『余興』森鷗外
義理で参加した同郷の親睦会には浪曲師の舞台が設けられていた。鷗外は浪花節が嫌いだった。我慢して聞いていたが徐々にいらいらがつのってくる。終わって拍手しているのを見た芸妓が「面白かったでしょう」と話しかけてきた。鷗外は自分が浪曲好きの人間だと思われたかもしれないと、さらに気持が落ち込む……。
義理で参加した同郷の親睦会には浪曲師の舞台が設けられていた。鷗外は浪花節が嫌いだった。我慢して聞いていたが徐々にいらいらがつのってくる。終わって拍手しているのを見た芸妓が「面白かったでしょう」と話しかけてきた。鷗外は自分が浪曲好きの人間だと思われたかもしれないと、さらに気持が落ち込む……。
幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。
その死によって、われわれの食欲を奪い、この世を空しく思わせる人の何と少ないことか。
大声を出すのは寂しいからである。これは犬と同様、人間についても真実である。
つまらない人間ほど、自分を重視するものである。
われわれはたいがい、見ず知らずの人間を憎悪している。
謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。
食事を与えてくれる手に噛みつく者は、たいてい自分を蹴りつける長靴を舐めるものである。
人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。
田舎の風呂屋の脱衣場に貼ってあった「月曜日のユカ」の映画ポスター。ポニーテールの加賀まりこが男物のワイシャツを羽織って、ちょっと拗ねたような表情でこちらを見ているというものだった。ポスターを見てぜひ映画を観たいと思ったが、結局見ずじまいで、ポスターの印象だけが脳裏に焼き付いている。風呂上がりにはいつも〈フルーツ牛乳〉を飲んだ。
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「黒のシリーズ」は田宮二郎の当たり役で、面白かった。刺激の少ない田舎の中学生にはちょっとしたシーン(恋人が悪人に連れ去られ、あわやというところで主人公に助けられる)にハラハラドキドキした。同じ理由で「眠狂四郎シリーズ」や「くノ一シリーズ」もものすごく楽しみにしていた。映画を見ながらいつも〈さきイカ〉を食べた。
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「鬼婆」は初めて見た成人映画だ。中三だった。友だちと三人で観に行ったが、期待はまったく裏切られた。主人公の乙羽信子と吉村実子が、ボロを身にまとい山小屋のような場所で言い争ったりするもので一向に面白くなかった。あとで知ったが新藤兼人監督の芸術作品だったらしい。帰りに三人でぼやきながら〈お好み焼〉を食べた。
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岩下志麻の「五瓣の椿」も忘れられない。身内を殺された娘が、その美貌を武器に復讐する話だったと思うが、最後のほう、屋形船の中で悪代官を相手の濡れ場があり、そこで乳房がポロリと出るシーンがあった。時間にすればわずか一、二秒のこの場面がいつまでも忘れられなかった。外にでて米屋で〈プラッシー〉を飲んだ。
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土曜日の午後、学校の帰りに「日本春歌考」を見た。高校生だった。どんな話だったかまったく覚えていない。主演は荒木一郎だったと思う。二本立てで「夜の夜光虫」という映画も見た。主役の大原麗子は可愛かった。田舎にはゼッタイにいない女の人だと思った。ストーリーはもちろん覚えていない。帰りにガード下で〈タコ焼き〉を食べた。
※記憶があいまいなまま書いているので、思い違いがあるかもしれません。不悪。
ケイト・ショパン(1850-1904)はアメリカ、セントルイス生まれの女性作家です。 彼女が育った19世紀のアメリカは、いまよりずっと女性の立場が弱く、 結婚するまでは父親、結婚後は夫の所有物として扱われ、 子供を育てるのが唯一の存在意義であった時代でした。
人 間
この世界は人間のいないときに始まり、人間がいなくなって終わる。(レヴィ=ストロール)
時 間
一日一日はたぶん時計には公平なのだろうが、人間には公平ではない。(プルースト)
現 世
現世は悲惨の谷間、不満の井戸、悲しみのスープ、不運のサラダボール。(ゴビノー)
悪 意
個人的な利益と結びつかない悪意は性格からくることが多い。(バルザック)
幸 福
我々人間の願いは幸福に生きることであって、幸福に死ぬことではない。(モンテーニュ)
この奇妙な絵は、ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン[1470-1533]の「Laughing Fool」。
年賀状に使おうかなと言ったら妻から叱られました。
明治45年(1912)、晶子は夫鉄幹の後を追ってひとりフランスのパリに旅立ちます。『巴里にて』は到着一カ月ほどのちに書かれた小品です。当時のパリのファッションや街の様子、置いてきた子供たちへの思いを素直に書き綴った旅日記です。
金銀の虫の啼くごと音を立つるオペラ通りの秋の夜の靴
「るせえなあ、もう」
母親の小言が始まるとマサオは、キッチンのドアを力まかせに閉め、玄関から飛びだして行った。
外は雨が降っている。
マサオは駐車場に向かって駆け出した。白いテープで区切りがしてあるだけの空地の奥に、白い大型車が停まっている。
マサオは靴を脱いで運転席に座ると、エンジンをかけた。いきなり大音量でアイドルグループの歌が鳴り響いてきた。
「くそっ、あのばばあが!」
マサオはタバコに火を点けながら毒づいた。
雨が激しくなり、薄暗い街灯の光をモザイク模様に変えていった。
……ひと月前まで、助手席にはいつもヨシエが座っていた。後ろの席にある赤いハート型のクッションも、彼女がマサオの誕生日に贈ったものだ。それが先月突然別れることになった。
いつもならこうして座っていると気持が落着くマサオだったが、今夜は違っていた。
「もう一度、ヨリを戻したい」
マサオはヨシエとの楽しい日々を思い出していた。
初めてのキスは、そうだ、公園の横だった。唇がやわらかくて、髪のいい匂いがしていた。胸に触れるとヨシエは体を固くして両手を握りしめていた。太ももの間に手を入れるとヨシエは少し抵抗した。あのときの湿った感触は忘れられない。マサオはズボンの中が熱くなった。
「今度会ったら、ぜったいヤルぞ!」
マサオは、矢も盾もたまらなくなり、今すぐ会いに行こうと決めた。
なぜか今夜はヨシエが自分の来るのを待っているような気がした。……
雨はますます強くなってきた。
ワイパーを最速にしても、一瞬後には前が見えなくなる。すれ違う車のヘッドライトが宙に浮いたまま通り過ぎていく。
信号が黄色になったのが見えた。マサオはまっすぐ突っ込んで行った。
突然、眼の前に大きなライトがあらわれた。
大型トラックのバンパーが目の前にあった。
夢中でブレーキを踏みハンドルを左に切った。車がヨコに傾く。
「ウソだ、ウソだ」頭のどこかで声がした。
「あああああああっ」
声が口から出る前に、車はトラックに激突していた。
雨はいまも激しく降っている。
道路に投げ出されたマサオは、流れ出た血が側溝に吸い込まれていくのを見ていた。
遠くでサイレンの音がしている。
薄らいでいく意識の中で、マサオは何かを思い出そうとしていた。
「オレはどこへ行くつもりだったんかなぁ」
頭の中は靄がかかったようにぼんやりして、もはや自分が誰なのかも分からなかった。
玄関のドアが風でガタガタ震えた。
「マサオかい?」
母親は台所のテーブルに頬杖をつき、テレビの画面から目を離さず独り言のように言った。
雨はまだ降り続いている。
※つまらない話はこれで最後にします。お疲れさまでした。
「フフン」と少し鼻にかかった甘い声で君が笑う。
ボクはその声がとても好きだ。
その笑い声が聞きたくて
ボクはバカな話を際限なく続けている。
ウソをホントに、ホントをウソに
あることないこと、おもしろおかしく
テーブルの上の料理もとうに冷めてしまった。
君はそのたびに小さな笑い声を聞かせてくれる。
ボクが話し疲れ、ひと息ついたとき、君が言った。
「おしゃべりな男って大キライ!!」
M君は友達がいない。
趣味は「変装」。
毎日、何時間も鏡の前に座って、いろいろな人物に変装する。
老人、サラリーマン、労働者、ヤクザ、ときには女性にもなる。
満足すると、その格好で繁華街へ出かける。
デパートの前で人待ち顔で立ってみたり、
肩が触れ合う雑踏の中をあてもなく歩いたりする。
「だれもボクが変装していることに気付いていない」
これが快感だと言う。
M君は友達がいない。
昭和四十年代、夏。関西地方の田舎町。
外で声がする。
あれは隣の家の姉妹の声だ。
テレビの時代劇を見ていた敏夫は
急いで引出しから懐中電灯とりだすと、
サンダルを引っ掛けて外へ飛び出して行った。
二軒はなれた家の前で姉妹が花火を手にしゃがみこんでいた。
水を入れたブリキのバケツが置いてある。
敏夫は懐中電灯を振り回しながら、駆け寄っていった。
敏夫は二人の向かい側にしゃがみこんだ。
地面には小さな花火の束が置いてあった。
「敏ちゃん、はい持って」。
敏夫よりひとつ年下のみっちゃんは花火を手渡すと、ぎこちない手つきでマッチを擦った。
火のついた花火はパチパチと青白く輝き、周りを昼のように明るくした。
「マッチ落としたわ。敏ちゃん、照らして」。
みっちゃんが言った。
「いいよ」。
敏夫は持っていた懐中電灯を点け、みっちゃんの足下に向けた。
懐中電灯の光が、しゃがんだみっちゃんの太ももの間を明るく照らした。
白い下着のふくらみが光の中ではっきり見えた。
敏夫は心臓がドキッとした。
「さあ、これで、おしまい」。
みっちゃんの手には線香花火があった。
敏夫は懐中電灯を地面に置き、押し黙ったまま手にした線香花火のか細い光を見ていた。
薄暗い光の向こう側で、みっちゃんの下着のふくらみが見え隠れしていた。
敏夫はこのまま花火が消えないように願っていた。
しかしすぐに先が丸くなり、やがてぽとりと地面に落ちてしまった。
夜の闇がひろがった。
「あーおもしろかった。」
「バイバーイ。」
姉妹は家に帰っていった。
敏夫も自宅に向かって歩きだした。
が、突然、忘れ物でもしたように、さっきまでいた場所に戻ってきた。
火薬のにおいがかすかに漂い、マッチの燃えカスが地面に散らばっている。
敏夫は同じところにしゃがみこむと、手にした懐中電灯を点け、みっちゃんの座っていたあたりを照らしてみた。
光は闇の中の地面を少し明るくした。
敏夫は膝をかかえ、じっと光の先をみつめていた。
※退屈しのぎに読む短い短い話です。