2026年1月27日火曜日

次の本ができるまで その343

『エセー』より 



最も思いがけない、短い死。短い死は、人生の最高の幸福である。


                  ✦


彼はよい評判よりも、むしろ大きな評判を欲していた。


                  ✦


過ぎ去る年は、一つずつ、われわれの幸福をわれわれから奪う。


                  ✦


死はなるほど人間の一生の最も注目すべき行為であるが、われわれは死に際しての他人の覚悟を判断するときに、つぎの一つのことを見失わないようにしなければならない。それは、「人はなかなかこの最後の時に来たと思わない」ということである。これが最後の時だと決心して死ぬ人はほとんどない。また、このときほど、希望のごまかしがわれわれを欺くことはない。

 希望はたえず耳元で笛を吹く。「他の人たちはずっと重い病気だったのに、死ななかった。お前が思うほど絶望的ではない。もっと悪いばあいにも、神様はいろいろ奇蹟を示してくださった。」これはわれわれが自分のばあいをあまりに重大に考えすぎるところからおこる。


モンテーニュ(1533-1592)


※思い残すことがないように。

2026年1月19日月曜日

次の本ができるまで その342

 ずっと前のどうでもいい話


近所のうどんやへ行った。ちょうど昼時で混んでいた。
「どうぞ~、座敷のほうへ〜」案内の声にすすめられ、大きな机のある座敷にあがって腰をおろした。
と同時に、作業服の男が四人、ヘルメットを手に入ってきた。
私はいやな予感がした。
席を探す男たちに店員は、「こちら、すみませんが相席でお願いしま~す」
男たちは私の座っているところにどかどかとあがりこんできた。
私は一番奥の隅の方に座っていた。うしろは壁だ。
男が四人(私を含めて五人)座ると、肩が触れあうほどの距離でかなり窮屈だ。
店員が運んできたお茶を奥から身体をのばして受取りながら、「うどん定食」を注文した。
この時点で一刻も早くこの場所から去りたいと思っていた。
汗と埃にまみれた男たちはおしぼりで首を拭きながら、しきりに親方の悪口を話している。
親方は随分嫌われているらしい。
次は女性の話になった。あいつとヤッタとか、ヤラないとか。
そんな話を仲間のように聞きながら、私はなかなか来ない「うどん定食」を待っていた。
やがて、男たちの分と一緒に運ばれて来た。
私は流し込むように慌てて食べた。
しかし一番奥の私は、並んで座っている二人の背中を跨ぐように飛び越えなければ外へ出られない。
それは何となく無理だと思った。
私はあきらめて、湯呑に残ったお茶を啜りながら、全員の食べ終わるのをじっと待っていた。
やがて全員が食べ終え、思いおもいにたばこを吸いだした。(この頃の店は禁煙ではなかった!)
話も尽きたとみえ、誰も口を開こうとしない。何か気まずい沈黙が続いた。
私はそれを自分のせいかなとも思った。
しばらくは壁のお品書きなどをぼんやり見ていたが、我慢も限界になり、心をきめ立ち上がった。
男たちの背中と壁の間をすりぬけて座敷から降り、急いで勘定を済ませた。
外に出ると、天気は上々で白い雲を浮かべた青空がひろがり、初夏の爽やかな風も吹いている。
すこし気分が良くなり、そのうちにいいこともあるだろうと思い直して帰路についた。


※スマホなどが無かった頃の話です。
絵はアンドリューワイエスの「クリスティーナ・オルソン(1947)」。4月に東京で展覧会がある。
自分は9月のあべのハルカス美術館へいくつもり。楽しみです。

2026年1月9日金曜日

2025年12月25日木曜日

次の本ができるまで その340

自省録 マルクス・アウレリウス・アントニヌス


第三章 10
ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ。
各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。

第四章 5
君の頭の鋭さは人が感心するほどのものではない。よろしい。
しかし「私はうまれつきそんな才能を持ち合わせていない」と君がいうわけに行かないものがほかに沢山ある。それを発揮せよ、なぜならそれはみな君次第なのだから。
たとえば誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。
今すでに君がどれだけ沢山の徳を発揮しうるかを自覚しないのか。
こういう徳に関しては生まれつきそういう能力を持っていないとか、適していないとか言い逃れするわけには行かないのだ。

第四章 17
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。




※どちらさまも良いお年を。

2025年12月12日金曜日

次の本ができるまで その339

 人生


「人生」の長い旅をゆくとき


よくぶつかる二つの大きな難関がある


第一は、「分かれ道」である


第二は、「行きどまり」である


魯迅「両地書」より




※「まあ、生きるということはそういうことだろう」。老人は湯呑に手を伸ばし口にはこぶと、さめたお茶をゆっくり啜りあげた。

2025年11月27日木曜日

ジェイムズ・ジョイス『エヴリン』

 『エヴリン』 James Joyce


ジェイムズ・ジョイスの短編「エヴリン」を作りました。

家を捨てて船乗りの恋人と新しい人生へ踏み出すかどうか、主人公が最後の瞬間で迷い、結局踏み出せないという話です。こう書くとよくある若い男女の恋の逃避行のようですが、話はそう単純ではありません。面白かったです。

ジェイムズ・ジョイスはアイルランド出身の小説家で、『ユリシーズ』『若き芸術家の肖像』などで知られており、20世紀の最も重要な作家の1人と言われています。

鉄の錆びたような匂いがする小説でした。(個人的な感想です)

2025年11月24日月曜日

次の本ができるまで その338

 感想私録(覚書) ボードレール


暮春の頃の、しっとりとした夕暮のみどり色の闇。



                ⁂



市井の言語のうちに見出される意味深長な言葉、あれは幾代(なんだい)かの蟻によって穿たれた穴だ。



                ⁂



唐草模様は、模様の中で最も精神的である。



                ⁂



悲劇的な空━━物質的なものに適用された抽象的な形容。


※本人がそう言うなら、それでいい。


※ボードレールは、フランスの詩人、評論家。 フランス近代詩、象徴主義の創始者。
画像は「ミッドナイトインパリ」より

2025年10月22日水曜日

次の本ができるまで その337

 高濱虚子『風流懺法』 


虚子の「風流懺法」の面白さはその会話にある。自分がまるでその場に同席しているように感じさせる描写が絶妙で、登場する舞妓のあどけない仕草が目に浮かんでくる。ここにそのシーンを抜き出してみたい。果たしてどこまで伝わるだろうか。


場所は祇園「一力」の座敷。

訪れた主人公は仲居のお艶に赤い前垂れのいわくを訊いていた──


「三千歳(みちとせ)はん上げます」 

という声が聞える。舞妓は余等の前に指を突いて、

「姉(ねえ)はん、今晩は」 

とお艶(つや)に会釈する。厚化粧の頬に靨(えくぼ)が出来て、唇が玉虫のように光る。お艶の赤前垂れの赤いのが此時もとの通り帯の間に畳まれて、極彩色の京人形が一つ畳の上に坐って居る。

「お前いくつ」 

「十三どす」

「ほんまに可愛い児どすやろう。私等毎日見てますけど、見る度(たんび)に可愛てかないませんわ」

とお艶は銀煙管に煙草をつめる。

「其帯は妙な結びやうね」

「これどすか、こうやつて、ここをこう取つて、こつちやに折つて、こう垂らしますのや」

と赤いハンケチを膝の上でたがねて見せる。白い指が其ハンケチにからまって美しい。

「何というの其名は」

「だらり」 

「髷(まげ)の名は」

「京風」 

「櫛(くし)は」

「これどすか」

と白い手を前髪の後ろにやって、

「花櫛、これは前髪くくり。あなた何書いといやすの」 

と余のノートを覗き込む。

「三千歳はん、今日虚空蔵様(こくぞうはん)へお詣りやしたか」

「ハー」

「何というてお拝みだ」

「阿呆どすさかい智慧おくれやす、ちうて」

銀紙の衝立の蔭からまた人形が一つ出る。

「松勇(まつゆう)はんあげます」

「姉はん今晩は」

と三千歳に並んで坐って、

「今日お詣りやしたか」

と三千歳の手を取って自分の膝の上に置く。

「ハー」

「帰りしなにあとお向きやへなんだか」

「向かしまへなんだ」

と三千歳は髷の上を両手で圧へる。

「面白さうなお話ね」

と聞くと、

「虚空蔵様に詣って戻り道にあと向くと智慧かへしますてやわ。あの染菊はんな、つい忘れてあと向かはって、帰らはってから阿呆にならはったて、おぉいや」

とお艶がいう。

「いやらし」

と三千歳と松勇は同じように眉をよせて同じように背中の帯に手をやる。一つの糸で二つの人形が一所(いっしょ)に動いたのかと思われる。ちりけ元から垂れた帯は松勇のが殊に長く畳の上に流れている。

「その帯は何という結びよう」

と又松勇に聞いて見る。

「これどすか、だらり」

「髷は」

「京風」

と同じ事をいう。

銀紙の衝立の蔭から今度は人形が二つ出る。

「喜千福(きちふく)はんあげます」

「玉喜久(たまきく)はんあげます」

「姉はんおほきに」

「姉はんおほきに」

と二人並んで燭台の向うに坐る。此方の二人が鏡にうつったようによく似て居る。

「二人の帯は」

と又聞くと、

「これどすか、だらり」

と喜千福が玉喜久を見る。

「髷は」

「京風」

と玉喜久が喜千福を見る。

「同じことお聞きやす」

と三千歳は笑つて又ノートを覗き込む。

「喜千福はん、あんたの顔見て書いといやすわ。妙な顔にお書きやしたえ」

と三千歳がいう。皆が笑つて喜千福の顔を見る。

「おぉ晴れがまし」

と喜千福は長い袂の中程で顔をかくして、

「姉はん、芸子はんは」

「お花はん貰ひにやったの、もう来やはるやろ、あんた都踊(みやこをどり)にお出るのン」

「ハー」

「踊りばっかり」

「踊りと鼓」

「三千歳はんは」

「踊りばっかり」

銀紙の衝立の蔭から今度は五十余りの芸子が出る。

「お花はんあげます」

「姉はんおほきに」

とお艶に会釈して座ると、

「姉はん」

「姉はん」

「姉はん」

「姉はん」

と四つの人形が先を争って老妓にお辞儀をする。(続く)

※ずっと前に掲載したものを再掲しています。

2025年9月30日火曜日

永井荷風『寝顔』

 『寝顔』永井荷風

『寝顔』の主人公は荷風の小説によく登場する芸者や娼婦でなく、十五歳の女学生です。父を亡くした後、十八しか違わない母と二人で、仲の良い姉妹のように暮らしています。男気のないこの家に、かかりつけの老医師に代わって若い医者が往診に来るようになったのは、最近のこと。その後、長唄の会へ行ったり三人で海水浴へ行ったりと、家族ぐるみの交際が始まって、しばらく経ったある日、電車の中で偶然となりの乗客の会話を耳にします、それは……。

※このあいだまで『断腸亭日乗』を再読していました。読み終えると、この気ままで偏屈で女性好きな小説家の作品をまた作りたくなりました。

2025年9月18日木曜日

次の本ができるまで その336

 これは歌?


我が恋は 障子の引き手 峰の松 火打ち袋に 鶯の声


春日山 峰こぐ船の 薬師寺 淡路の島の からすきのへら


本に書いてあるままに言うなら、これらは「無心所着体(むしんしょぢゃくたい)の歌」といわれ、「それぞれの句は連想によってつながってはいるが、全体としては意味をなさない歌のこと」だそうです。歌病(かへい)ともいわれました。

※写真はComposition no.Ⅱ/ ピエト・モンドリアン 1913

2025年9月2日火曜日

次の本ができるまで その335

 人生


一生この世の中に暮す間、若き時より老ゆるまで、誠にたわひもなき事なり


 世の中は 市の仮屋のひとさわぎ 誰も残らぬ 夕暮れの空



※司馬江漢「春波楼筆記」より。
暑いのはうんざりだが、夕方の空はなんともいえず美しい。

2025年8月25日月曜日

次の本ができるまで その334

 断片

 

自分の持っている定規に合うように人を強いる事を親切と心得ている人がある。こういう人の定規は不思議に曲がっているのが多い。

同情のない親切と同情のある不親切自分は糊の硬くない浴衣の方がいい。




ある問題に対して「ドーデモイイ」と云う解決法のある事に気のつかぬ人がある。何事でも唯一つしか正しい道がないと思っているからである。

「ドーデモイイ」ということは必ずしも無責任という事を意味するのではない。




常識という言葉の内容はこれを用いる人々によって悉くちがっている。

換言すれば、人の事を「常識がある」とか「ない」とかいうのは

自分と似ているかいないかという意味に了解すればいい。


※寺田寅彦の文章より抜粋。前にも掲載しています。

絵はヴィルヘルム・ハンマースホイ「Interior with Ida Playing the Piano」1910

2025年8月16日土曜日

次の本ができるまで その333

人生


一里ぞと聞きし山路を一里来てなお一里ある旅ぞはてなき   詠人不知



※あと一里だと聞いたのに。

2025年8月8日金曜日

ベル・カウフマン『日曜日の公園』

 『日曜日の公園』ベル・カウフマン

あまり知られていない(私が知らないだけかも)ベル・カウフマンはドイツ生まれのアメリカの作家です。1964年のベストセラー『下り階段を登れ(up the down stair case)』も、まったく知りませんでした。今回の短編『日曜日の公園(sunday in the park)』は、後味の悪い話です。晴れた日曜日の午後、夫と息子の3人で公園に行きました。爽やかな風が吹く気持のいい日で、ベンチに座って本を読んだり、砂場で遊ぶ息子を眺めて幸せな気分に浸っていました。ところがこの気分を台無しにするトラブルが発生します。


※表紙の色は気に入ってます。

2025年7月30日水曜日

次の本ができるまで その332

 遺書


私、ヴォランスキーは、死期の近いことを知って、この遺書を認める。

それは私の家族に対する私の評価が、私の彼等に遺贈するものの少なさに

比例することを知って欲しいためである。


私の最愛の妻に対しては、庭の奥の小屋の床下にかくしてある

ポルノ写真をおくりたい。彼女と嘗て一度も共にしたことのない

あらゆる痴態について彼女に感謝するために。


弟のルイに対しては電気ノコギリをおくりたい。

余のため嘗て一挙手一投足の労も取ったことのない彼が、

このノコギリで片腕を切り落とすことを願いながら。

※ジョルジュ・ヴォランスキー(フランス人・風刺漫画家)。「次の本ができるまで その179」より

2025年7月23日水曜日

つぎの本ができるまで その331

『愚見数則』夏目漱石

知者不言 言者不知
言う者は知らず 知る者は言わず。

よけいな、不確かなことを喋々するほど、見苦しきことなし。
いわんや毒舌をや。
何事も控え目にせよ、おくゆかしくせよ、むやみに遠慮せよとにはあらず。
一言も時としては千金の価値あり。
万巻の書もくだらぬことばかりならば糞紙に等し。

損得善悪を混ずるなかれ。
軽薄淡白を混ずるなかれ。
真率浮跳とを混ずるなかれ。
温厚怯懦とを混ずるなかれ。
磊落粗暴とを混ずるなかれ。
機に臨み変に応じて、種々の性質を表わせ、
一有って二なき者は、上資にあらず。


※「次の本ができるまで その134」より


2025年7月16日水曜日

次の本ができるまで その330

 島』 マーク・トウェイン


マーク・トウェインが、ある時ヨットに乗って航游していたことがあった。波の荒い日で、さすがの諧謔作家も青い顔をして、何一つものをいわないで、欄干にもたれたまま泣出しそうな目をしてじっと波を見つめていた。
食堂のボーイは心配して、主人の顔をのぞき込むようにして訊いた。
「大分お苦しそうですが、何かもってまいりましょうか。」
トウェインは咽喉を締められた鴎のような声をだした。
「小さくっていいから、島を一つもって来てくれ。」


※『次の本ができるまで その61』より再録。

2025年7月9日水曜日

次の本ができるまで その329

 以前掲載したものを再掲します。忘れていたのですこし新鮮です。


墓碑銘


古代数学者ディオファントゥスの墓碑にはこんな文章が記されているという。



※中島敦の作品のなかにあった文章。「次の本ができるまで  その39」に掲載。

2025年6月27日金曜日

アースキン・コールドウェル『苺の季節』

『苺の季節』 アースキン・コールドウェル

アメリカジョージア州生まれの作家アースキン・コールドウェルは、ブルーカラーの人々に共感し、彼らとすごした経験をもとに、自分より貧しく運のない人々の質素な生活を賞賛する物語を多く著しました。

『苺の季節』は収穫期の農場へ苺摘みのアルバイトに来たぼくとファニーが、〝苺つぶし〟といういたずらがきっかけで親しくなるお話です。



※〝青春は力の限りの思い違い〟寺山修司の本で読んだ気がしています(不安)。

2025年6月13日金曜日

次の本ができるまで その327

 ヴァレリー一家言



好みは千の嫌悪から成る。



           ☘︎



彼が為した馬鹿らしいことと、彼が為さなかったバカらしいことが、

人間の後悔を半分づつ引受けている。

失ったものよりも、失わなかったもののほうが余計に惜しまれることがしばしばある。



           ☘︎



うんと子供が生まれるだろう、まなざしで妊ませることが出来たら。

うんと死人が出るだろう、まなざしで殺すことができたら。

往来は、屍体と妊婦でいっぱいになるはずだ。



           ☘︎



生は死より、ほんの僅かに年上だ。



ポール・ヴァレリー Paul-Ambroise Valéry  1871─1945
フランスの詩人・思想家・批評家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。長編詩『若きパルク』、評論集『バリエテ』『芸術論集』など多数。

2025年5月17日土曜日

次の本ができるまで その326

グールモン『沙上の足跡』より


女を悪く言う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである。


               ☽


謙遜は高慢な含羞(はにかみ)である。


               ☽


人が真実を追求するに際し最も恐るべきはそれが見つかる事である。


               ☽


愛する女の匂いは常に甘い。


               ☽


人生って何だ? 感覚の連続さ。

では感覚って何だ? 思い出さ。

人間と云う奴は生きていはしないよ。

人間と云う奴は生きていた事のあるものさ。

一老人が云っていたよ。

人生は後悔だ」と。



※確かに人生は後悔に溢れている。あの時もこの時も自分の判断はほぼ間違っていたと思う。

 本文と関係のない絵はクエンティン・マサイス / An Old Woman  1513年頃

2025年5月11日日曜日

ニュージェント・バーカー『告知』

 『告知』ニュージェント・バーカー


ニュージェント・バーカー[1888-1955]は1920年代から30年代にかけて人気のあったイギリスの小説家です。しかし現在では事典にすら記載がないので、経歴の詳細は不明です。内容は、母親を殺してしまった男が自首するため警察署に向かう途中、図書館に立ち寄り好きな本の背を眺めながらあれこれ思いを巡らすという話です。


※最近私も図書館へよく行きます。申し訳ないなあと思いながら文庫本を借りたりしています。