2024年10月18日金曜日

次の本ができるまで その314

 永井荷風『断腸亭日乗』より


昭和十三年三月二十日

この頃名古屋より屡々艷書を送り来る女あり。文言次の如し。



未来の御主人様まいる

お顔も御存じ申し上げていませぬのにお手紙差上げたりして御免なさい。

貴方様はきっと静かないい毎日をお暮らしの事と存じ申し上げます でも私は困って居るのです 世の中がつまらなくって、ですから私を貴方様のお家へ女中に押込むことを思案しましたの。女中には困らないなどとおっしゃっては嫌でございます もう大分前から永井家の女中のつもりでいますから 困った奴でしょうかしら 私にとっては一生懸命な思い付きなものを 十月五日が来ると満二十五 国法でだって一人前ではございませぬか 女学校を出てからザット七ケ年 母さん達を怒らせてばかりいました ・・(二字不明)が多過ぎるだの頭形が横着いのなんだかんだで二十六になったのです いい話がなかったわけは第一御面相が御面相ですし 私自身母さんみたいに九人も産まされ育てたりする勇気がございません 保存すべき程の種でもございますまい

貴方様はそんな風の女人──一寸自分には過ぎた言葉ですが──大嫌いでしょうか、だと私困る どうしても貴方様のお家へ寄せて戴きたいのですから

今まで沢山の妹達とのうのうと暮して来ました 末のが十になり次々と下の子達も大人になったし その上素晴らしい恋愛が私にやって来そうもなし しばらく他家へ行きたいと云い出したって母さん達に文句はあるまいと思います 十月になったらきっとまいります

私は九人兄妹の三人目だから素直な好い子ではない お料理も出来ない どうやら割り切れる女でもないらしい

貴方様のおっしゃる事を聞いたり又よく守って 朝に夕にお心のそばにいたいと思います そして一寸お仕事の邪魔をして上げたい こわい顔にいつもお会いしていたい では又 光江拝

                名古屋市熱田区沢下町十五

                           岸 田 光 江


1954年撮影

※現代文にしました。また文章の切れめにスペースをいれました。勝手に変えてすみません。