2018年10月29日月曜日

次の本が出来るまで その110

老人は


七十歳になったS・モームは言う。

 老人は自分を迷惑なものにしないように努めるべきだ。しいて若い者の仲間に加わろうとするのは軽率である。
 若い者はそのために緊張させられて決して打ちとけぬからで、自分が立ち去ればみんながほっとするのを察しられないようでは、彼は鈍感だと云わざるを得ない。(中略)

 老人は同じ老人仲間の交際につき合うよう忠告される。もしそこから何か楽しみが得られるなら幸いである。片足を墓場に突っ込んだ者たちばかりの集まりへ招かれるのは定めし、憂鬱なことにちがいない。愚人は年寄りになったからとてよくなるものではなく、愚かな老人は愚かな青年より遥かに退屈なものである。
 せめ寄る年波に負けまいとして胸くそわるい児戯のふるまいをする連中と、一方、自分たちが受け入れられぬ世の中になったことに業を煮やしてしばしば席をけってゆく頑固な連中と、どっちが耐えがたいか私はわからない。
 ともかくそんな風で、若い者たちには望まれぬし、同年輩の仲間はこちらで飽きあきだとすると、老人は見渡すところまことに寂寥のようである。

 そうなると彼に残されるのは自分以外になく、そこで私は、自分が誰よりも辛抱づよくこの私に満足して来たのを此の上なく有りがたいことと考えるのである。
 私はもともと仲間の大きな集まりに出るのを好まなかったもので、今、私の上に孤独が深まるにつれて私は一層満足を感じている。

 私は時折、自分の生涯をもう一度繰り返したいかと尋ねられることがある。大体において私の人生はかなりよいもので、おそらく一般の人々よりもよかったろうが、特にもう一度くり返したい気はしない。それはきっと、前に読んだ探偵小説をもう一度読むように気のぬけたものだろう。

 もう十分である。私はあっさりと苦痛なく死にたいと思うだけで、最後の息と共に私の魂も、その切望や弱さもろとも、無に帰すことを確信して満足である。

※ふむふむ。