2019年6月14日金曜日

次の本が出来るまで その133

死にかた



 死にはさまざまな形があり、或る死は、他の死よりもいっそう容易である。死は、各人の想像によってそれぞれ異なる性質を帯びる。

 自然死のなかでは、衰弱と麻痺からくる死が、私には最もおだやかで楽なように思われる。急激な死のなかでは圧しつぶされて死ぬよりも、断崖から落ちる方が、いっそう楽ではない、と私は想像する。私だったらカトー*のように剣で自分を突くよりも、ソクラテスのように毒を飲んだであろう。

 結局おなじであるとはいえ、私の想像は、燃えている大釜のなかに飛びこむのと、ゆるやかな河の流れに飛びこむのとでは、死と生とほどの差異を感じる。それほど愚かにも、われわれの恐怖は、結果よりも手段を重視する。

 それは一瞬でしかない。けれども、これは重大な一瞬であるから、私はそこを自分流に通過するためには、喜んで私の一生の何日かを提供するであろう。

 各人の想像は、死の辛さを、多くあるいは少なく見いだすのであるから、また各人はいろいろな死にかたのなかでいくらか選択ができるのであるから、もう少し前進して、まったく不快をともなわない死にかたを見いだすようにつとめよう。  
                           モンテーニュ「エセー」

*カトー=ローマの政治家。ストア哲学を学んだ。共和政を支持、ポンペイウスに味方してカエサルに反抗。ポンペイウスの死後、アフリカに渡ったが、カエサルの追討を恐れて自殺。小カトー。


※そうだね。