2022年9月24日土曜日

次の本が出来るまで その256

 愛書家の病


 書物好きの人に三つの病がある。

 其の一は、一時の名望を無暗と欲しがり、徒らに書架の美を誇りたがることである。やれ牙籤だ、錦の軸だと、装幀にも学識を見せびらかそうとするが、外見を知っているだけで、内容は一切なにも知らない。一冊も書物をもっていないといってよいようなものである。

 其の二は、広い範囲から、また遠くから書物を取り寄せ、これに全精力を傾注するものである。しかし沢山蓄えることに努めるだけで、研究などには努力せず、いたずらに灰や塵に汚れ、半ば高閣に束ねられている。書店といってもよいようなものである。

 其の三は、博学多識で、一生涯こつこつと努力しつづけるけれども、眼識にはするどさも深さもないため、自らを発揮できない。よく記憶していて、一ページもひろげることなしに、立て板に水を流すがごとく暗誦できるから、美食をしていながら知見のせまい連中に比べると、いかにも隔たりはあるだろうが、一生の間、世に聞こえることのない点は、同様である。

 そもそも知ってよく好み、好んでよく運用できるということは、古人でさえ難しいとしたことで、今日ではなおさらである。  『五雑組』より


※牙籤=蔵書を捜し出すのに便利なように、ひとつひとつにつける象牙のふだ。


▶愛書家でも蔵書家でもないが、本はなかなか捨てられない。