2026年10月11日日曜日
次の本ができるまで その353
2026年9月14日月曜日
バリー・ユアグロー『謎』・夏目漱石『夢十夜 第一夜』・薄田泣菫『暗示』
『謎』 バリー・ユアグロー
『夢十夜 第一夜』 夏目漱石
『暗示』 薄田泣菫
バリー・ユアグローは南アフリカ生まれのアメリカ人作家です。詩的で白日夢のような超短編で知られています。漱石の『夢十夜』は多分ご存知なので説明は省略します。泣菫の『暗示』は「次の本ができるまで その281」で紹介していますのでこれも省略します。三冊の体裁をだいたい同じにして、箱に入れて並べたら見栄えがいいのではと思い、作ってみました。二種類作りましたが、あまり納得していません。
2026年8月19日水曜日
次の本ができるまで その352
短文二つ 萩原朔太郎
群集と孤独
本当の孤独と言うものは━━ボードレールの言った通り━━群集の中でのみ味われる。
群集の中に居る時ほど、人生の落寞たる秋の悲哀や、
心を食い裂く、einsam(アインザーム)の痛みやを、寂しく哀切に感ずることはない。
それ故に真の孤独的性格者は、いつも都会にのみ生活して居る。
西行やワーズワースの如き隠遁者等が、都会を嫌って山里の中に籠ったのは、
如何にしても我々に理解できない、不思議な別の真理に属する。
おそらく彼等は、本当の深酷な孤独者でなく、
むしろ田舎の自然美を愛したところの、風雅な楽天家であったのだろう。
黄色い月夜に
宿命論は、しばしば容易なあきらめの思想として非難される。
さらば非宿命論はそうではないか?
人間のはかない努力を以ってして、尚且つ因果や定法の外に逃れようとする、
あの英雄的な焦燥から、より悲しげなあきらめの歌を聴かなかったか?
ああ、だれがそれを聴いているか! 波止場の黄色い月夜に。
『萩原朔太郎全集別冊 遺稿 下』より
2026年8月5日水曜日
ネッド・ガイモン『会話』
『会話』ネッド・ガイモン
久しぶりに小さい本(48×35mm)を作ってみました。以前ここでも紹介したネッド・ガイモンの『会話』という短編です。タイトル通り、二人の男が交わす短い言葉のやりとりだけで、状況がわかるように作られた、小さい本にはぴったりのユニークな作品です。
※同じサイズでもう一、二冊作ってみようと思っています。
2026年7月28日火曜日
次の本ができるまで その351
菊池寛の言葉
自分の生活の折々に 石川啄木全集総内容
自分は「一握の砂」「悲しき玩具」の歌を今でも数十首覚えている。中につき「眼閉づれど 心に浮ぶ何もなし さびしくもまた 眼をあけるかな」の一首の如き、自分の生活の折々何百度頭に浮んできたかわからない。
2026年7月11日土曜日
佐藤春夫『街上小景』
『街上小景』佐藤春夫
ある晴れた日曜日。銀行の前で三、四歳の子供を連れた視覚障害者の男女が箏を弾き歌を唄っていました。 子供の腰に縄をつけ、その端を女が掴んでいます。 曲が終った時、誰かが銅貨を投げました。 その音を聞いた女は縄を引いて子供に知らせると、子供はよちよちと銅貨に近づき、それを拾って、父親の麦藁帽子に入れました。なるほど、そういうことかと見ていると、その後事件が……。
2026年7月2日木曜日
次の本ができるまで その350
たまには詩
倚りかからず
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
※茨木のりこ(1926〜2006)大阪に生まれる。詩人。
2026年6月8日月曜日
つぎの本ができるまで その349
ラ・ブリュイエール 『カラクテール』より
女性について
「十三歳から二十二歳までは女の子、もちろん美しい女の子で、ありたい。その年をすぎたら、男になりたい。」
♀︎
女は極端だ。男よりもよいか、さもなくば男より悪い。
♀︎
すばらしい美貌も、ただすばらしい幸運を待ちのぞませることにしか役立たなかった娘がどれほど多いことだろう!
2026年5月27日水曜日
次の本ができるまで その348
養生七不可 杉田玄白
昨日非不可恨悔
きのうは過ぎぬ。たとえ少しの過ちにても改めがたきは勿論なり。
(昨日の失敗をぐずぐず考えるてもしかたがない)
明非是不可慮念
明日はしられず。およそ成ると成らざるは賢愚によらず予め知るるものなり。
(明日何が起こるかなんて誰にもわからない)
飲与食不可過度
飲と食の二つはその品を賞しその味を楽しむためにあらず。ただこれをもって一身を養うために飲み食うものなり。
(飲み食いは生きるため、美味いかどうかよりまず栄養をとることが先決)
非正物不可苟食
食は五味の調和を賞すといえども、食に対して品数多く交え食うべからず。
(いろんなものを一緒に食べるより、新鮮なものを品数少なく食べよう)
無事時不可服薬
薬物は効力あるものゆえ、法にたがう時はかえって害あるものなり。
(みだりに薬を飲まないよう、ほとんどの病気は薬を飲まなくても快復する)
頼壮実不可過房
人の精水は生涯その量の定まりたるものにはあらず。一気の感動により霊液となして射出するものなり。かくあるものを濫りに費やすことは生命を損することである。
(房事が過ぎると精力が減退し生命が危うくなることもあるのでご注意を)
勤動作不可好安
血液は飲食化して成り、一身を周流し、昼夜に止らざること河水の止らざるが如し。これによって生涯を保つこと衆人に異議なし。
(体を動かすことが元気の元で、これによって血液の循環もよくなり気力も満ちてくる)
2026年5月9日土曜日
2026年4月9日木曜日
次の本ができるまで その347
定義集 最終
馬 鹿
最高の馬鹿とは、自分がそうでないと思い、自分以外のすべてがそうだと思っている人である。
グラシアン・イ・エラレス
🃑
歴 史
まったく歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪、愚行、不運の登記簿にほかならない。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』
2026年3月20日金曜日
アーネスト・ヘミングウェイ『雨の中の猫』
『雨の中の猫』 アーネスト・ヘミングウェイ
1924年に発表されたこの作品は、若い女性の目線で描かれた短編です。
イタリアに滞在しているアメリカ人の若い夫婦。妻がホテルの窓から外を眺めていると、雨を避けてテーブルの下にうずくまる子猫を見つけます。「あの子猫、かわいそう、ひろってくるわ」。妻は探しに行きますが、猫はどこかへ消えていました。降りしきる雨と噛み合わない夫婦間の会話……。ノーベル文学賞作家ヘミングウェイが簡潔な文体で描く心模様。
2026年3月8日日曜日
次の本ができるまで その346
『定義集』2
戦 争
武器にとりかこまれた法は沈黙する。
危険の防止には寛容と好意ほど確かなものはないことがわかろう。
エラスムス『平和神の慨(なげ)き』
2026年2月27日金曜日
次の本ができるまで その345
『定義集』
希 望
わたしはおもった。希望というものは、もともと、ある、ともいえないし、ない、ともいえないものだ。それは地上の道のようなものだ。もともと地上には道などなかった。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅『故郷』
教 育
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているところのものである。
アインシュタイン『晩年に想う』
音 楽
音楽は耳で食べるまんじゅうである。
兼常清佐
偶 然
人生においては、偶然というものを考慮に入れなければならない。偶然は、つまるところ、神である。
A・フランス『エピクロスの園』
※なるほどね。
2026年2月19日木曜日
次の本ができるまで その344
子規 『歌よみに与うる書』より
月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれ
我身一つの秋にはあらねど
2026年2月3日火曜日
ジェイムズ・サーバー『妻を処分する男』
『妻を処分する男』ジェイムズ・サーバー
1894年、アメリカオハイオ州コロンバス生まれのジェイムズ・サーバーは、週刊誌『ニューヨーカー』に文章と挿絵を発表し、ユーモア作家としての地位を確立しました。
『妻を処分する男』は秘書の女性と結婚するために妻を殺害する計画をたてた主人公が、何とか妻を地下室へつれていこうと躍起になるのですが、妻は動じることなくあれこれ指図します。気弱な男性と支配的な女性という関係をユーモラスに描いた短編です。
2026年1月27日火曜日
次の本ができるまで その343
『エセー』より
最も思いがけない、短い死。短い死は、人生の最高の幸福である。
✦
彼はよい評判よりも、むしろ大きな評判を欲していた。
✦
過ぎ去る年は、一つずつ、われわれの幸福をわれわれから奪う。
✦
死はなるほど人間の一生の最も注目すべき行為であるが、われわれは死に際しての他人の覚悟を判断するときに、つぎの一つのことを見失わないようにしなければならない。それは、「人はなかなかこの最後の時に来たと思わない」ということである。これが最後の時だと決心して死ぬ人はほとんどない。また、このときほど、希望のごまかしがわれわれを欺くことはない。
希望はたえず耳元で笛を吹く。「他の人たちはずっと重い病気だったのに、死ななかった。お前が思うほど絶望的ではない。もっと悪いばあいにも、神様はいろいろ奇蹟を示してくださった。」これはわれわれが自分のばあいをあまりに重大に考えすぎるところからおこる。
2026年1月19日月曜日
次の本ができるまで その342
ずっと前のどうでもいい話
「どうぞ~、座敷のほうへ〜」案内の声にすすめられ、大きな机のある座敷にあがって腰をおろした。
と同時に、作業服の男が四人、ヘルメットを手に入ってきた。
私はいやな予感がした。
席を探す男たちに店員は、「こちら、すみませんが相席でお願いしま~す」
男たちは私の座っているところにどかどかとあがりこんできた。
私は一番奥の隅の方に座っていた。うしろは壁だ。
男が四人(私を含めて五人)座ると、肩が触れあうほどの距離でかなり窮屈だ。
店員が運んできたお茶を奥から身体をのばして受取りながら、「うどん定食」を注文した。
この時点で一刻も早くこの場所から去りたいと思っていた。
汗と埃にまみれた男たちはおしぼりで首を拭きながら、しきりに親方の悪口を話している。
親方は随分嫌われているらしい。
次は女性の話になった。あいつとヤッタとか、ヤラないとか。
そんな話を仲間のように聞きながら、私はなかなか来ない「うどん定食」を待っていた。
やがて、男たちの分と一緒に運ばれて来た。
私は流し込むように慌てて食べた。
しかし一番奥の私は、並んで座っている二人の背中を跨ぐように飛び越えなければ外へ出られない。
それは何となく無理だと思った。
私はあきらめて、湯呑に残ったお茶を啜りながら、全員の食べ終わるのをじっと待っていた。
やがて全員が食べ終え、思いおもいにたばこを吸いだした。(この頃の店は禁煙ではなかった!)
話も尽きたとみえ、誰も口を開こうとしない。何か気まずい沈黙が続いた。
私はそれを自分のせいかなとも思った。
しばらくは壁のお品書きなどをぼんやり見ていたが、我慢も限界になり、心をきめ立ち上がった。
男たちの背中と壁の間をすりぬけて座敷から降り、急いで勘定を済ませた。
















































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