2026年5月27日水曜日

次の本ができるまで その348

養生七不可 杉田玄白 


昨日非不可恨悔

きのうは過ぎぬ。たとえ少しの過ちにても改めがたきは勿論なり。

(昨日の失敗をぐずぐず考えるてもしかたがない)


明非是不可慮念

明日はしられず。およそ成ると成らざるは賢愚によらず予め知るるものなり。

(明日何が起こるかなんて誰にもわからない)


飲与食不可過度

飲と食の二つはその品を賞しその味を楽しむためにあらず。ただこれをもって一身を養うために飲み食うものなり。

(飲み食いは生きるため、美味いかどうかよりまず栄養をとることが先決)


非正物不可苟食

食は五味の調和を賞すといえども、食に対して品数多く交え食うべからず。

(いろんなものを一緒に食べるより、新鮮なものを品数少なく食べよう)


無事時不可服薬

薬物は効力あるものゆえ、法にたがう時はかえって害あるものなり。

(みだりに薬を飲まないよう、ほとんどの病気は薬を飲まなくても快復する)


頼壮実不可過房

人の精水は生涯その量の定まりたるものにはあらず。一気の感動により霊液となして射出するものなり。かくあるものを濫りに費やすことは生命を損することである。

(房事が過ぎると精力が減退し生命が危うくなることもあるのでご注意を)


勤動作不可好安

血液は飲食化して成り、一身を周流し、昼夜に止らざること河水の止らざるが如し。これによって生涯を保つこと衆人に異議なし。

(体を動かすことが元気の元で、これによって血液の循環もよくなり気力も満ちてくる)



※杉田玄白=享保18年〈1733年〉 - 文化14年〈1817年〉。江戸時代の蘭学医。オランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を和訳し、『解体新書』として刊行。当時としてはめずらしく長寿で83歳まで生きた。


2026年5月9日土曜日

ガルシア・マルケス『ついにその日が』

『ついにその日が』 ガルシア・マルケス

『百年の孤独』などラテンアメリカを代表するノーベル文学賞作家、ガルシア・マルケスの『ついにその日が』です。 本文は文庫本で三ページほどの超短篇です。 

政情が不安定なコロンビアで歯医者を営むエスコバルは、 政府側の人間が大嫌いです。 そこへ軍人である町長から歯を治療してくれと連絡がはいります。 「留守だと言っておけ」と治療を拒否すると、ふたたび電話があり「歯を抜いてくれなければ、一発ぶちこむぞ」と。医者はしかたなく承諾しますが……。


※いつか読もうと買った『百年の孤独』。いまどこにあるのか、行方不明。

2026年4月9日木曜日

次の本ができるまで その347

 定義集 最終


馬 鹿

最高の馬鹿とは、自分がそうでないと思い、自分以外のすべてがそうだと思っている人である。

グラシアン・イ・エラレス



           🃑



歴 史

まったく歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪、愚行、不運の登記簿にほかならない。

ギボン『ローマ帝国衰亡史』


2026年3月20日金曜日

アーネスト・ヘミングウェイ『雨の中の猫』

『雨の中の猫』 アーネスト・ヘミングウェイ

ヘミングウェイの『雨の中の猫』です。
1924年に発表されたこの作品は、若い女性の目線で描かれた短編です。
イタリアに滞在しているアメリカ人の若い夫婦。妻がホテルの窓から外を眺めていると、雨を避けてテーブルの下にうずくまる子猫を見つけます。「あの子猫、かわいそう、ひろってくるわ」。妻は探しに行きますが、猫はどこかへ消えていました。降りしきる雨と噛み合わない夫婦間の会話……。ノーベル文学賞作家ヘミングウェイが簡潔な文体で描く心模様。


※ヘミングウェイは無類の猫好きだったらしい。

2026年3月8日日曜日

次の本ができるまで その346

 『定義集』2


戦 争

戦争は国家の疫病であり正義の墓場である。
武器にとりかこまれた法は沈黙する。
大部分の民衆はこれを呪い、平和を希求しているのだ。
そして常に民衆の不幸の上に呪わるべき繁栄を温存する少数者のみが、
戦乱を望むのである。
彼らの非人間性が、かくも多くの善良な人々の意志にまさるべきであろうか? 
過去をかえりみるがよい。
条約や姻戚関係や暴力や復讐は、現在にいたるまで何一つとして
確固不易なものを築きえなかったことがわかろう。
危険の防止には寛容と好意ほど確かなものはないことがわかろう。
戦争は新たな戦争を招き、報復を呼び、不寛容は不寛容を生むのである。

エラスムス『平和神の慨(なげ)き』


※人間=哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属に属する動物。他の動物に比べて脳が著しく発達しているが、過去に学ぶ能力は持っていない。

2026年2月27日金曜日

次の本ができるまで その345

 『定義集』


希 望

 わたしはおもった。希望というものは、もともと、ある、ともいえないし、ない、ともいえないものだ。それは地上の道のようなものだ。もともと地上には道などなかった。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

                              魯迅『故郷』


教 育

教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているところのものである。

アインシュタイン『晩年に想う』


音 楽

音楽は耳で食べるまんじゅうである。

兼常清佐



偶 然

 人生においては、偶然というものを考慮に入れなければならない。偶然は、つまるところ、神である。

A・フランス『エピクロスの園』


※なるほどね。

2026年2月19日木曜日

次の本ができるまで その344

 子規 『歌よみに与うる書』より


  月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれ
           我身一つの秋にはあらねど


という歌は最も人の賞する歌なり。上三句はすらりとして難なけれども、下二句は理屈なり。蛇足なりと存候。歌は感情を述ぶる者なるに理屈を述ぶるは歌を知らぬゆえにや候らん。


※画像は Barnett Newman / OnementⅠ(1948)

2026年2月3日火曜日

ジェイムズ・サーバー『妻を処分する男』

 『妻を処分する男』ジェイムズ・サーバー

1894年、アメリカオハイオ州コロンバス生まれのジェイムズ・サーバーは、週刊誌『ニューヨーカー』に文章と挿絵を発表し、ユーモア作家としての地位を確立しました。

『妻を処分する男』は秘書の女性と結婚するために妻を殺害する計画をたてた主人公が、何とか妻を地下室へつれていこうと躍起になるのですが、妻は動じることなくあれこれ指図します。気弱な男性と支配的な女性という関係をユーモラスに描いた短編です。


※「三月(みつき)経ち つくり笑いも 上手くなり」。私事ながら年明け『万能川柳』に投稿しました。載らないので、多分没だったのでしょう。衆議院選挙で見る機会が増えましたが、いまだにあの笑顔には馴れません。

2026年1月27日火曜日

次の本ができるまで その343

『エセー』より 



最も思いがけない、短い死。短い死は、人生の最高の幸福である。


                  ✦


彼はよい評判よりも、むしろ大きな評判を欲していた。


                  ✦


過ぎ去る年は、一つずつ、われわれの幸福をわれわれから奪う。


                  ✦


死はなるほど人間の一生の最も注目すべき行為であるが、われわれは死に際しての他人の覚悟を判断するときに、つぎの一つのことを見失わないようにしなければならない。それは、「人はなかなかこの最後の時に来たと思わない」ということである。これが最後の時だと決心して死ぬ人はほとんどない。また、このときほど、希望のごまかしがわれわれを欺くことはない。

 希望はたえず耳元で笛を吹く。「他の人たちはずっと重い病気だったのに、死ななかった。お前が思うほど絶望的ではない。もっと悪いばあいにも、神様はいろいろ奇蹟を示してくださった。」これはわれわれが自分のばあいをあまりに重大に考えすぎるところからおこる。


モンテーニュ(1533-1592)


※思い残すことがないように。

2026年1月19日月曜日

次の本ができるまで その342

 ずっと前のどうでもいい話


近所のうどんやへ行った。ちょうど昼時で混んでいた。
「どうぞ~、座敷のほうへ〜」案内の声にすすめられ、大きな机のある座敷にあがって腰をおろした。
と同時に、作業服の男が四人、ヘルメットを手に入ってきた。
私はいやな予感がした。
席を探す男たちに店員は、「こちら、すみませんが相席でお願いしま~す」
男たちは私の座っているところにどかどかとあがりこんできた。
私は一番奥の隅の方に座っていた。うしろは壁だ。
男が四人(私を含めて五人)座ると、肩が触れあうほどの距離でかなり窮屈だ。
店員が運んできたお茶を奥から身体をのばして受取りながら、「うどん定食」を注文した。
この時点で一刻も早くこの場所から去りたいと思っていた。
汗と埃にまみれた男たちはおしぼりで首を拭きながら、しきりに親方の悪口を話している。
親方は随分嫌われているらしい。
次は女性の話になった。あいつとヤッタとか、ヤラないとか。
そんな話を仲間のように聞きながら、私はなかなか来ない「うどん定食」を待っていた。
やがて、男たちの分と一緒に運ばれて来た。
私は流し込むように慌てて食べた。
しかし一番奥の私は、並んで座っている二人の背中を跨ぐように飛び越えなければ外へ出られない。
それは何となく無理だと思った。
私はあきらめて、湯呑に残ったお茶を啜りながら、全員の食べ終わるのをじっと待っていた。
やがて全員が食べ終え、思いおもいにたばこを吸いだした。(この頃の店は禁煙ではなかった!)
話も尽きたとみえ、誰も口を開こうとしない。何か気まずい沈黙が続いた。
私はそれを自分のせいかなとも思った。
しばらくは壁のお品書きなどをぼんやり見ていたが、我慢も限界になり、心をきめ立ち上がった。
男たちの背中と壁の間をすりぬけて座敷から降り、急いで勘定を済ませた。
外に出ると、天気は上々で白い雲を浮かべた青空がひろがり、初夏の爽やかな風も吹いている。
すこし気分が良くなり、そのうちにいいこともあるだろうと思い直して帰路についた。


※スマホなどが無かった頃の話です。
絵はアンドリューワイエスの「クリスティーナ・オルソン(1947)」。4月に東京で展覧会がある。
自分は9月のあべのハルカス美術館へいくつもり。楽しみです。

2026年1月9日金曜日

2025年12月25日木曜日

次の本ができるまで その340

自省録 マルクス・アウレリウス・アントニヌス


第三章 10
ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ。
各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。

第四章 5
君の頭の鋭さは人が感心するほどのものではない。よろしい。
しかし「私はうまれつきそんな才能を持ち合わせていない」と君がいうわけに行かないものがほかに沢山ある。それを発揮せよ、なぜならそれはみな君次第なのだから。
たとえば誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。
今すでに君がどれだけ沢山の徳を発揮しうるかを自覚しないのか。
こういう徳に関しては生まれつきそういう能力を持っていないとか、適していないとか言い逃れするわけには行かないのだ。

第四章 17
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。




※どちらさまも良いお年を。

2025年12月12日金曜日

次の本ができるまで その339

 人生


「人生」の長い旅をゆくとき


よくぶつかる二つの大きな難関がある


第一は、「分かれ道」である


第二は、「行きどまり」である


魯迅「両地書」より




※「まあ、生きるということはそういうことだろう」。老人は湯呑に手を伸ばし口にはこぶと、さめたお茶をゆっくり啜りあげた。

2025年11月27日木曜日

ジェイムズ・ジョイス『エヴリン』

 『エヴリン』 James Joyce


ジェイムズ・ジョイスの短編「エヴリン」を作りました。

家を捨てて船乗りの恋人と新しい人生へ踏み出すかどうか、主人公が最後の瞬間で迷い、結局踏み出せないという話です。こう書くとよくある若い男女の恋の逃避行のようですが、話はそう単純ではありません。面白かったです。

ジェイムズ・ジョイスはアイルランド出身の小説家で、『ユリシーズ』『若き芸術家の肖像』などで知られており、20世紀の最も重要な作家の1人と言われています。

鉄の錆びたような匂いがする小説でした。(個人的な感想です)

2025年11月24日月曜日

次の本ができるまで その338

 感想私録(覚書) ボードレール


暮春の頃の、しっとりとした夕暮のみどり色の闇。



                ⁂



市井の言語のうちに見出される意味深長な言葉、あれは幾代(なんだい)かの蟻によって穿たれた穴だ。



                ⁂



唐草模様は、模様の中で最も精神的である。



                ⁂



悲劇的な空━━物質的なものに適用された抽象的な形容。


※本人がそう言うなら、それでいい。


※ボードレールは、フランスの詩人、評論家。 フランス近代詩、象徴主義の創始者。
画像は「ミッドナイトインパリ」より

2025年10月22日水曜日

次の本ができるまで その337

 高濱虚子『風流懺法』 


虚子の「風流懺法」の面白さはその会話にある。自分がまるでその場に同席しているように感じさせる描写が絶妙で、登場する舞妓のあどけない仕草が目に浮かんでくる。ここにそのシーンを抜き出してみたい。果たしてどこまで伝わるだろうか。


場所は祇園「一力」の座敷。

訪れた主人公は仲居のお艶に赤い前垂れのいわくを訊いていた──


「三千歳(みちとせ)はん上げます」 

という声が聞える。舞妓は余等の前に指を突いて、

「姉(ねえ)はん、今晩は」 

とお艶(つや)に会釈する。厚化粧の頬に靨(えくぼ)が出来て、唇が玉虫のように光る。お艶の赤前垂れの赤いのが此時もとの通り帯の間に畳まれて、極彩色の京人形が一つ畳の上に坐って居る。

「お前いくつ」 

「十三どす」

「ほんまに可愛い児どすやろう。私等毎日見てますけど、見る度(たんび)に可愛てかないませんわ」

とお艶は銀煙管に煙草をつめる。

「其帯は妙な結びやうね」

「これどすか、こうやつて、ここをこう取つて、こつちやに折つて、こう垂らしますのや」

と赤いハンケチを膝の上でたがねて見せる。白い指が其ハンケチにからまって美しい。

「何というの其名は」

「だらり」 

「髷(まげ)の名は」

「京風」 

「櫛(くし)は」

「これどすか」

と白い手を前髪の後ろにやって、

「花櫛、これは前髪くくり。あなた何書いといやすの」 

と余のノートを覗き込む。

「三千歳はん、今日虚空蔵様(こくぞうはん)へお詣りやしたか」

「ハー」

「何というてお拝みだ」

「阿呆どすさかい智慧おくれやす、ちうて」

銀紙の衝立の蔭からまた人形が一つ出る。

「松勇(まつゆう)はんあげます」

「姉はん今晩は」

と三千歳に並んで坐って、

「今日お詣りやしたか」

と三千歳の手を取って自分の膝の上に置く。

「ハー」

「帰りしなにあとお向きやへなんだか」

「向かしまへなんだ」

と三千歳は髷の上を両手で圧へる。

「面白さうなお話ね」

と聞くと、

「虚空蔵様に詣って戻り道にあと向くと智慧かへしますてやわ。あの染菊はんな、つい忘れてあと向かはって、帰らはってから阿呆にならはったて、おぉいや」

とお艶がいう。

「いやらし」

と三千歳と松勇は同じように眉をよせて同じように背中の帯に手をやる。一つの糸で二つの人形が一所(いっしょ)に動いたのかと思われる。ちりけ元から垂れた帯は松勇のが殊に長く畳の上に流れている。

「その帯は何という結びよう」

と又松勇に聞いて見る。

「これどすか、だらり」

「髷は」

「京風」

と同じ事をいう。

銀紙の衝立の蔭から今度は人形が二つ出る。

「喜千福(きちふく)はんあげます」

「玉喜久(たまきく)はんあげます」

「姉はんおほきに」

「姉はんおほきに」

と二人並んで燭台の向うに坐る。此方の二人が鏡にうつったようによく似て居る。

「二人の帯は」

と又聞くと、

「これどすか、だらり」

と喜千福が玉喜久を見る。

「髷は」

「京風」

と玉喜久が喜千福を見る。

「同じことお聞きやす」

と三千歳は笑つて又ノートを覗き込む。

「喜千福はん、あんたの顔見て書いといやすわ。妙な顔にお書きやしたえ」

と三千歳がいう。皆が笑つて喜千福の顔を見る。

「おぉ晴れがまし」

と喜千福は長い袂の中程で顔をかくして、

「姉はん、芸子はんは」

「お花はん貰ひにやったの、もう来やはるやろ、あんた都踊(みやこをどり)にお出るのン」

「ハー」

「踊りばっかり」

「踊りと鼓」

「三千歳はんは」

「踊りばっかり」

銀紙の衝立の蔭から今度は五十余りの芸子が出る。

「お花はんあげます」

「姉はんおほきに」

とお艶に会釈して座ると、

「姉はん」

「姉はん」

「姉はん」

「姉はん」

と四つの人形が先を争って老妓にお辞儀をする。(続く)

※ずっと前に掲載したものを再掲しています。

2025年9月30日火曜日

永井荷風『寝顔』

 『寝顔』永井荷風

『寝顔』の主人公は荷風の小説によく登場する芸者や娼婦でなく、十五歳の女学生です。父を亡くした後、十八しか違わない母と二人で、仲の良い姉妹のように暮らしています。男気のないこの家に、かかりつけの老医師に代わって若い医者が往診に来るようになったのは、最近のこと。その後、長唄の会へ行ったり三人で海水浴へ行ったりと、家族ぐるみの交際が始まって、しばらく経ったある日、電車の中で偶然となりの乗客の会話を耳にします、それは……。

※このあいだまで『断腸亭日乗』を再読していました。読み終えると、この気ままで偏屈で女性好きな小説家の作品をまた作りたくなりました。

2025年9月18日木曜日

次の本ができるまで その336

 これは歌?


我が恋は 障子の引き手 峰の松 火打ち袋に 鶯の声


春日山 峰こぐ船の 薬師寺 淡路の島の からすきのへら


本に書いてあるままに言うなら、これらは「無心所着体(むしんしょぢゃくたい)の歌」といわれ、「それぞれの句は連想によってつながってはいるが、全体としては意味をなさない歌のこと」だそうです。歌病(かへい)ともいわれました。

※写真はComposition no.Ⅱ/ ピエト・モンドリアン 1913

2025年9月2日火曜日

次の本ができるまで その335

 人生


一生この世の中に暮す間、若き時より老ゆるまで、誠にたわひもなき事なり


 世の中は 市の仮屋のひとさわぎ 誰も残らぬ 夕暮れの空



※司馬江漢「春波楼筆記」より。
暑いのはうんざりだが、夕方の空はなんともいえず美しい。

2025年8月25日月曜日

次の本ができるまで その334

 断片

 

自分の持っている定規に合うように人を強いる事を親切と心得ている人がある。こういう人の定規は不思議に曲がっているのが多い。

同情のない親切と同情のある不親切自分は糊の硬くない浴衣の方がいい。




ある問題に対して「ドーデモイイ」と云う解決法のある事に気のつかぬ人がある。何事でも唯一つしか正しい道がないと思っているからである。

「ドーデモイイ」ということは必ずしも無責任という事を意味するのではない。




常識という言葉の内容はこれを用いる人々によって悉くちがっている。

換言すれば、人の事を「常識がある」とか「ない」とかいうのは

自分と似ているかいないかという意味に了解すればいい。


※寺田寅彦の文章より抜粋。前にも掲載しています。

絵はヴィルヘルム・ハンマースホイ「Interior with Ida Playing the Piano」1910

2025年8月16日土曜日

次の本ができるまで その333

人生


一里ぞと聞きし山路を一里来てなお一里ある旅ぞはてなき   詠人不知



※あと一里だと聞いたのに。

2025年8月8日金曜日

ベル・カウフマン『日曜日の公園』

 『日曜日の公園』ベル・カウフマン

あまり知られていない(私が知らないだけかも)ベル・カウフマンはドイツ生まれのアメリカの作家です。1964年のベストセラー『下り階段を登れ(up the down stair case)』も、まったく知りませんでした。今回の短編『日曜日の公園(sunday in the park)』は、後味の悪い話です。晴れた日曜日の午後、夫と息子の3人で公園に行きました。爽やかな風が吹く気持のいい日で、ベンチに座って本を読んだり、砂場で遊ぶ息子を眺めて幸せな気分に浸っていました。ところがこの気分を台無しにするトラブルが発生します。


※表紙の色は気に入ってます。