『心霊現象を探る』ウディ・アレン
この短編は『羽根むしられて』(1981年、CBSソニー出版)に掲載されています。彼の映画(どちらかといえば初期の頃)をそのまま活字にしたような内容で、ツボを心得たギャグやパロディが詰め込まれ、大いに笑わせてくれます。BRUTUS『村上春樹の私的読書案内』でこの『羽根むしられて』が紹介されていました。
※「僕はあの世なんて信じない。だけど、着替えと、少しばかりの金は持っていくつもりさ」
この短編は『羽根むしられて』(1981年、CBSソニー出版)に掲載されています。彼の映画(どちらかといえば初期の頃)をそのまま活字にしたような内容で、ツボを心得たギャグやパロディが詰め込まれ、大いに笑わせてくれます。BRUTUS『村上春樹の私的読書案内』でこの『羽根むしられて』が紹介されていました。
※「僕はあの世なんて信じない。だけど、着替えと、少しばかりの金は持っていくつもりさ」
ある男が宮殿に近づく。たったひとつの入口には、気性の荒いフン族の番兵たちががんばっていて、ユリウスという名の人間しか通してくれない。男は番兵たちを買収するために、チキン一等肉一年分を差し上げますと申し出る。むこうは、男の申し出をせせら笑うでもなく、受け入れるでもなく、ただ、男の鼻をつまんで、蝶形ナットのようにねじり上げる。男はぜひとも宮殿の中に入れてもらいたい。皇帝陛下の下着の替えを届けにきたのだから、と訴える。それでも番兵たちに拒絶されて男は、チャールストンを踊りはじめる。番兵たちはこの踊りが気に入ったようすだが、まもなく連邦政府によるナバホ・インディアンの取り扱いのことで、機嫌を悪くする。息もたえだえで、男はばったり倒れる。とうとう皇帝にお目通りもかなわず、八月にスタインウェイの楽器店から借りたピアノの賃貸料、六十ドルを溜めたまま、男は死ぬ。
※ウディ・アレンの『たとえ話』という短文です。短篇集『僕の副作用』(1981年、CBSソニー出版)、または『これでおあいこ』(同)のどちらかに載っていました。(手元に本がないので確認できません、不悪)
以前何度か載った毎日新聞「万能川柳」に、ときどき投稿しています。しかし、うまくできたと思えるものはなく、どれも着眼点が平凡だったり、言葉が消化不良だったりで選ばれなくて当然と思っていました。今回はどういう風の吹きまわしか掲載されました。謎です。
※「お子たちは元気ですかと知らぬ人」
「セクシーに見えぬ真冬の超ビキニ」
「でもママは言ったらダメよと言ってたの」
里見弴は、人情の機微を描く心理描写と会話の巧みさで、晩年まで長く活躍した作家です。川端康成が自著『新文章読本』で『椿』を短篇の名作として取り上げていました。内容はシンプルです。叔母と姪(30歳ぐらいと20歳)が布団を並べて寝ていた夜中、瓶に挿してあった椿の花が突然のポトッと落ちました。この音に驚いた二人の様子が描かれています。
インドの賢者が妖術使いと賭けをした。彼は、魔法ごときにたぶらかされる自分ではないと言い張った。それを受けた妖術使いは、賢者の頭をたたき、彼を一羽の鳩に変えてしまった。鳩は窓から飛び立ち、マダガスカルめざして飛んでいった。荷物はあとから送らせることにした。
これを見ていた賢者の妻は、妖術使いにたずねた。何でも黄金に変えることができるのか、もし、できるのなら、自分の弟を現金三ドルに変えてほしい。そうすればきょうという日も無益な一日ではなかったことになるというのである。
妖術使いは言った。その秘術を学ぶには、世界の四方に旅に出なければならない。しかし、出かけるには季節外れがよい。なぜなら、シーズン中は四方のうち三方までが予約でいっぱいだからである。
女はしばし考え、聖地(メッカ)へ巡礼の旅に出た。ストーブは消し忘れたままだった。十七年の歳月が過ぎ、彼女はラマの高僧の接見を得て帰郷し、すぐさま生活保護を受ける身の上となった。
(以上の物語は、我々が小麦を持つようになった経緯を述べた一連のヒンズー神話の一篇である:著者注)。
※『羽根むしられて』(CBSソニー出版、1981年)。面白い一冊。昔の筒井康隆氏を思い出した。
先日ブックオフへ100円の本を探しに行ったとき、たまたま目についたのが田辺聖子さんの『武玉川・とくとく清水』。読みたかったので、迷わず買いました。400円。開けると扉に田辺さんのサインがあり、少し得した気分になりました。いくつか紹介します。
俯向けば言訳よりも美しき
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うつくしい女四十物すごき
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寝ていた前を合す稲妻
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腹の立つとき見るための海
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みどり子の欠伸(あくび)の口の美しき
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猟師の妻の虹に見とれる
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問はれてみれば見残した京
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素人へ近い女郎の顔淋し
〘名〙この世の中のことは、何によらず、人間の定め得るところのものではないということを、並外れて、と言い得るほど明瞭かつ明白に、改めて教えてくれるもの。災難には、自分自身にとっての不幸と、他人にとっての幸運と、この二種類がある。
※普段なら“確かに”と納得するところだが、北陸の状況などを思うと心底笑えない。
Head of a woman called “La Scapiliata”
レオナルド・ダ・ヴィンチ1492 ca.-1501 ca.
津波の町の揃う命日
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闇のとぎれるうどん屋の前
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恋しいときは猫を抱きあげ
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大人は唇子供は乳房
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女の誉める女すくなし
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八十七は欲の出る年
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白いところは葱のふともも
※いまも十四字詩として残っていますが、軽妙な付句とは違いより詩的になっています。
中国近代文学の父といわれる魯迅は、留学生として来日し、仙台医学専門学校で医学を学びましたが、途中から文学に転向しました。7年後帰国した魯迅は『狂人日記』を発表、続いて『孔乙己』と『薬』を「新青年」に寄稿し文学者としての一歩を踏み出します。
『孔乙己(こういっき)』は酒好きのインテリで、科挙に挑みますが受からず、やがて生活が困窮し盗みをはたらくようになります。しばらく酒場に姿を見せないので店主が周りに訊くと、盗みに入った家の者に見つかり、殴られたうえ両足を折られたとのことでした。しばらくたったある日、店先で「熱燗を一杯」と声がするので出て見ると……
※こういう話は寒いときに読むと余計身にしみます。
先日新聞に西田幾多郎の歌についての記事が載っていました。以前紹介しましたが、今回改めていくつか掲載します。哲学の世界では偉大な足跡を残した西田ですが、家庭的にはあまり幸福な人生ではなかったようです。病弱な子供や妻を亡くした思いを詠んだ歌は、シンプルがゆえ心に響くものがあります。
※「次の本が出来るまで その62」でも紹介しています。
久しぶりにミステリーでもと手に取ったアガサ・クリスティ。以来ずっと読んでいる。ポアロやミス・マープルはもはや親戚のような感じすらある。古書店に行っても無意識に赤いカバーの文庫本を探している。(100円以上のときは熟考する。)が、似たようなタイトルも多く、内容もたいてい大富豪がいて、その妻や兄弟、甥や姪、女中や知人など登場人物の設定が似ているので、読んだことを忘れて同じ本を買うこともしばしばある。大分読んだつもりだが、まだ先は見えない。
イギリス風のユーモアを感じさせる文章もあった。
政治家にとって言葉は事実を明確に表現するためのものでなくて、事実をあいまいにする手段である。
ことの真偽はべつとして、あらゆる人が著名な避暑地トーキーに伯母がいるといわれてきた。また同様な意味合いから、あらゆる人がマートンシャに少なくともまたいとこがいるともいわれる。 『ヘラクレスの冒険』より
ソネット(十四行詩、Sonnet)とは、14行から成るヨーロッパの定型詩で、ルネサンス期にイタリアで創始されました。のちに英語詩にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなりました。シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれています。(Wikipedia)
18番を掲載します。
ヨシオ君はいわゆるハーフである。
お母さんがドイツ人で、彼の美しい金髪とトビ色の瞳はそれを見事に受継いでいる。
保育園に通う息子と同い年であり、家も近いので、よく遊びに行ったり来たりしていた。
お正月に彼を見た。
私は車を降り家へもどる途中、少し離れたところにから彼に声をかけた。
「ヨッチャーン、あけましておめでとうーー!」と言うと
ヨシオ君は、こちらに向かって大きな声で
「アリガトーー!」と言ってペコリと頭を下げた。
※もう30年前のことですが印象に残っていたので書き留めていました。
※わたしは「長生きなんてしたくない」と言いながら毎朝血圧を測っています。