2015年5月8日金曜日

『老人』リルケ 森鷗外訳



森鷗外訳の『老人』です。ドイツの詩人リルケの小説を鷗外が翻訳し大正2(1913年)に『帝国文学』に掲載されました。約100年前のことです。
毎日決まった時間に公園の同じベンチにやってくる老人たちの様子を淡々と描写したものでストーリーらしきものはありませんが、最後の小さなエピソードが少し心を温かくしてくれます。今日もどこかの町の公園で同じようなことが行われているのかも知れません。

2015年5月7日木曜日

『盈満の咎 弐 』


前に作った『盈満の咎』の続編です。掲載できなかったものや新しく見つけたものに副題をつけて並べました。ほとんどがお説教です。ご存知の歌も多いと思います。歌の世界は背景を知らなければ意味が理解出来ないものも多く相応の知識が必要です。もちろんわたくしにはそんな知識はありません。これから勉強したいと思います。
続編にも載せられなかった歌を二、三首ご紹介します。
見出しはわたくしが勝手につけたものです。本来の意味と違うかもしれません。


〈人生〉
一里ぞと聞きし山路を一里来て猶一里ある旅ぞはてなき

〈恋〉
一昨年も去年も今年も一昨日も昨日も今日も我が恋る君

〈花〉
寝て居よが起きて居ようが花の春


気に入った言葉があつまれば第三集を作りたいと思っています。

2015年5月6日水曜日

『獨樂吟』 橘曙覧




幕末の歌人橘曙覧の『独楽吟』です。正岡子規が『日本』誌上おいて、「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と絶賛しその名を知られることとなりました。
「たのしみは…」ではじまり「…の時」で終わる50余りの歌を集めたものです。ほとんどは日常生活の些細な出来事を詠んだもので、つつましい暮らしの中で見つけた楽しみや喜びを素直に表現しています。

たのしみは草のいほりの筵ひとりこゝろを靜めをるとき

たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時

たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時

たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花の咲ける見る時

たのしみはつねに好める燒豆腐うまく煮たてゝ食せけるとき

2015年5月5日火曜日

『黒猫・餅饅頭』薄田泣菫



詩人である薄田泣菫はまた随筆家として『茶話』など数多くの軽妙な文章を残しています。無駄のないその文体は短文のお手本としても高く評価されています。今回は随筆集『猫の微笑』より「黒猫」と「餅饅頭」を選びました。

「黒猫」は荷車で子猫を轢いた男とそれを見た婦人活動家の女性とのやりとりです。作者が実際に見た出来事かも知れません。この作品は関西弁がポイントです。ヒステリックな女性といかにも大阪人らしいオッサンのやりとりがコントのようでどこまで真剣なのかよくわかりません。昭和初期の関西弁がいい味をだしています。

「餅饅頭」は古い本に載っていた話。京都で人気の饅頭屋へ、乞食が饅頭を買いに行きました。しかしお店の主人は売らないといいます。お金を払うなら誰であってもお客だろうという乞食と、人の慈悲で生きているような人に売ることはできないと言う主人。このやりとりに泣菫は感想を述べています。なるほどこの話、京都ならいかにもありそうなことです。これが大阪ならば主人は「毎度、おおきに」と頭を下げていたかも知れません。ところが京都ではこれが通用しません。なんだかんだと理屈をいいます。ほんまむずかしいところどす。