ずーと前の話
1970年代、二階の六畳一間の部屋に私は住んでいた。住人のほとんどは一人暮らしだったが、階段をはさんで隣の部屋には、夫婦と子ども二人の四人家族が住んでいた。炊事場もトイレも共同の住宅で、どうして暮らして居るのだろうと不思議でならなかった。
蒸し暑い夏のある日、部屋の前を通ると、普段なら少しだけ開いている戸が、思い切り開いていて、レースのカーテン越しに部屋の中がよく見えた。広さは八畳ぐらいで、中央に小さな卓袱台があり、家財道具が壁に沿ってぐるりと置かれていた。留守番でもしているのか、子どもたちが寝転んでテレビの野球中継を見ていた。押入れも窓もないこの部屋で四人が寝起きしているのはやはり信じられなかった。
父親は、左半身が少し不自由な人だった。ときどき廊下で会うと、愛想よく挨拶をしていたが、近づくと酒の匂いがして、いつも目が赤く充血していた。
上の男の子は四年生ぐらいで、ひょろりとして背が高く顔色が悪かった。夏休みも終りのころ、宿題を持って父親がやってきた。分からないので教えて欲しいと云われ、私は小学生の宿題ぐらいならと軽く引き受けた。しかし理科の問題は難しく、茎がどうとか、葉っぱをどうしろとかまったくチンプンカンプンで、結局、専攻が違うから…と、返してしまった。それ以来、私を見る目が少し変わったように見えた。
炊事場もトイレも共同だから、もちろん風呂などない。私は毎日風呂に入らないと気が済まないので、近くの風呂屋に通っていた。まだ日が高いうちから湯船に寝そべり、ぼんやり天井の湯けむりを見上げるのが日課だった。
隣の家族にもときどき風呂屋で出会った。たいていは父親と三人だったが、ときには子どもたちだけで来ていることもあった。下の子は小学校へ入る前ぐらいで、おとなしいが、元気そうに見えた。この子だけには生活の影響は感じられなかった。
ある日、いつものように風呂屋にゆくと、兄弟が二人で来たところだった。時間が早いせいか、客も少なくガランとしている。上の子はさっさと服を脱いで中へ入って行ったが、下の子は私の方を見ながら、ぐずぐずとシャツを脱いでいた。
私はズボンを脱ぎ、籠に入れようとしたとき、ポケットの中の小銭をあたり一面にぶちまけてしまった。小銭は、あちこちに散らばり、離れて見ていた男の子の足元にも転がっていった。私が近づいていくと男の子は後ずさりして、隅の方でじっと動かずにいた。小銭は見つからなかった。
「まあ、いいか」
脱衣篭をロッカーに押込み、洗面器を手に洗い場に向かった。その間も男の子は、ずっと片方の腕だけをシャツに通したまま、私の方を見ていた。
中から兄の呼ぶ声がした。
私は洗い場のドアを開けるとき、何気なく鏡を見た。男の子は脱衣場の隅から、脱いだばかりのシャツをまるめて自分の篭に近づいていくところだった。
一方の足を引きずりながら…。
※印象に残ったので書き留めておきました。