2020年6月1日月曜日

次の本が出来るまで その164

断片


 自分の持っている定規に合うように人を強いる事を親切と心得ている人がある。こういう人の定規は不思議に曲がっているのが多い。
 同情のない親切と同情のある不親切──自分は糊の硬くない浴衣の方がいい。

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 ある問題に対して「ドーデモイイ」と云う解決法のある事に気のつかぬ人がある。何事でも唯一つしか正しい道がないと思っているからである。
 「ドーデモイイ」ということは必ずしも無責任という事を意味するのではない。

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 常識という言葉の内容はこれを用いる人々によって悉くちがっている。換言すれば、人の事を「常識がある」とか「ない」とかいうのは自分と似ているかいないかという意味に了解すればいい。

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 AがBを評して「彼は気取っている」という場合には次のように解釈すればいい。即ち「彼は自分とちがった気取り方をしている」と。本当に気取らない人は人の気取るという事を感じない。

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 物事に対して「ツマラナイ」と云うのは「自分はその物事の中にツマルある物を発見する能力を持たない」と自白するに過ぎない。

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 人格の高いと思うような人の口から「人格」という言葉を聞く事は甚だ稀である。

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「邪道」という言葉は頭脳の古い人が新しい人の捉えた真理に名づけるものである。


※なるほどとうなずけるものばかり。
 出典は『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)居る=いる、或る=ある、此の=この、に変えました。