2021年12月25日土曜日

次の本が出来るまで その223

 冬歌

冬の歌を五首。読みづらいかも知れませんが嵯峨本フォントで組んで見ました。


※飛躍的な技術の進歩は人を幸せにするのだろうか、と考えてみた。関係ない気もする。

2021年12月20日月曜日

次の本が出来るまで その222

 「貧しい家」の言い方


粗末な家の名称を並べてみます。むかしは俗世間を嫌い山奥に住む人を「隠者」と呼び、その住まいを山居、閑居、村居、田家などと言ったそうです。今ならすべて「小屋」「ボロ家」でしょうね。


草屋(そうおく)   草亭(そうてい)     草舎(そうしゃ)

草堂(そうどう)   草菴(そうあん)     茅屋(ぼうおく)

白屋(はくおく)   破屋(やぶれや)     蔽屋(へいおく)

柴門(さいもん)   柴扉(さいぴ)      蝸舎(かしゃ)

草蘆(そうろ)    寒窓(かんそう)     尖頭蘆(せんとうろ)

賎屋(しずのや)   葦家(あしのや)     埴生小屋(はにゅうのこや)

四阿(あずまや)   萱軒(かやがのき)    草の戸(くさのと)

柴戸(しばど)    縄樞(なわすだれ)    仮庇(かりのひさし)

竹簀垣(たけすがき) 筵屏風(むしろびょうぶ) 菰簾(こもすだれ)


方丈庵(京都・河合神社)

コンパクトな暮らしぶり

※イラストは朝日百科・日本の歴史〈新訂増補〉より転載


※キャンプ気分で一晩なら楽しめそうですが。

2021年12月13日月曜日

次の本が出来るまで その221

草鞋作り


前々回書いたように、展覧会でこの作品を見て草鞋が目に止まりました。画題は「石山寺」。参拝に訪れた老夫婦が手を合わせてなにか真剣に祈願してる様子を描いています。

というわけで、ここしばらく草鞋を作っていました。

作りながら、なににしても一人前になるのは簡単ではないと感じました。

120mあります。

作り始め、まだやる気満々

編んでは解き、解いては編み

思っていたものとはかなり違う出来栄えです

※とにかく出来たことでひと安心。履いて歩くのはあとで。次の本にやっとかかれます。

2021年12月4日土曜日

次の本が出来るまで その220

 ある朝のこと


しばらく前の朝のことです。

横断歩道で信号待ちをしている私の横に

自転車に乗った母子連れがやってきました。

保育園に行くのかな、と見ていると

女の子が突然、よく通る声でお母さんにこう言いました。

「ねぇママー、たましいってなにー?」

」私は、お母さんがどう答えるかを待っていました。

しかしお母さんは娘の声など聞こえなかったように

無言のまま前の信号機をみつめていました。

信号が変わり二人の乗った自転車は走り去って行きました。

私なら何と答えるだろうと考えましたが

考えれば考えるほどわからなくなり、あきらめました。

※それ以来、思い出しては考えていますが、気の利いた答えはいまだに見つかりません。

2021年11月29日月曜日

次の本が出来るまで その219

 前句付


前句付とは連歌・俳諧で、ある下の句(短句)の前句に対して、上の句(長句)の付句を試みること。(コトバンク)より 

一例を紹介します。



※私は10月の終わりに京都近代美術館へ「発見された日本の風景 美しかりし明治への旅」を見に行きました。展示された多くの絵画は、私をノスタルジックな気分にするのに十分すぎるほど魅力的でした。中でも特に、私はある絵に惹かれました。いや、絵に惹かれたというより、絵に描かれている車夫の「草鞋(わらじ)」に惹かれました。そして自分で作ってみたいと思いました。私はネットで「草鞋の作り方」を調べ、ホームセンターで縄を買い、動画を参考にいま作り方を学んでいます。あなたが訪れた底冷えの京都の町で、草鞋を履いた老人を見かけたら、それはきっと私に違いありません。(英語の文章をそのまま訳すとこんな感じ?)

2021年11月15日月曜日

次の本が出来るまで その218

 今週の献立


『安価生活三百六十五日料理法』(明治44年)に掲載の献立です。100年前の庶民は毎日何を食べていたのだろうと思い調べてみました。作り方は省略します。



11月15日(月)

わかめ汁 タイのあらい 大根がんもどき芋の煮付 じゃが芋焼豆腐 カツオの刺身 

フナの雀焼


11月16日(火)

ネギとからし菜の味噌汁 いわしの干物 鳥とこんにゃくの旨煮 サバのせんば汁 

奈良漬


11月17日(水)

豆腐味噌汁 金がしら塩焼 ネギのぬた 棒ダラ大根煮 うずら豆 じゃが芋と牛肉 

軽便カレー粉


11月18日(木)

蕪の味噌汁 塩ダラのなます 切昆布煮付 いかの天ぷら ヒラメ刺身 うずら豆 

ハゼの佃煮


11月19日(金)

わかめ味噌汁 かこい南瓜煮付 塩クジラとネギの汁 三つ葉とあさりの卵とじ 

カレイの煮付 べに生姜


11月20日(土)

ぜんまい味噌汁 ニシンの昆布巻 切干大根二杯酢 ブリと蕪のあんかけ うずら豆旨煮 

わさび粕漬


11月21日(日)

豆腐と小芋の味噌汁 あわびの旨煮 干瓢とはすの甘煮 あみの塩辛 塩サバ焼物



※自分の小さいころ(当方古稀)を思い出してみると、この献立はかなり豪華な気がします。

たぶん私の家が貧乏だったのでしょう。

2021年11月11日木曜日

次の本が出来るまで その217

 『チエーホフの手帖』より


お祖父さんに魚を食べさせる。

もしもお祖父さんが中毒しないで、命に別状がなかったら、

家じゅうの者が魚を食べる。


                 ♦︎


悪德──それは人間が背負って生れた袋である。


                 ♦︎


死は怖ろしい。だが、永劫に生きて決して死ぬことがないと意識したら、

もっと怖ろしいことだろう。


                 ♦︎


特別寝台の乗客──それは社会の屑だ。


                 ♦︎


ああ戦慄すべきは骸骨ではなくて、私がもはや骸骨に恐怖を感じないという事実だ。


                 ♦︎


野原の遠景、白樺が一本。その絵の下の題名に曰く、〈孤独


                 ♦︎


自分が悪いと感じる人間だけが悪人であり、従って後悔もできる。


                 ♦︎


幸運に恵まれた、何でもトントン拍子に成功する人間は、

時として何と鼻持ちのならぬことだ!


                 ♦︎


まだ母親の胎内(はら)から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。


                 ♦︎


彼は己の卑劣さの高みから世界を見おろした。


                 ♦︎


あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って

あれは美しい夢だった……と思いたいものだ。


※以前製作した『21のことば』より選びました。

2021年11月4日木曜日

次の本が出来るまで その216

 古本市


知恩寺の青空古本市に行った。

本棚を眺めていると、5歳ぐらいの女の子とお父さんが来た。

女の子が「わたし、これがいい」と重そうな本を棚から取り出した。

私はちらっと表紙を見た。

『ブッダのことば 中村元』とあった。

お父さんが「それ、すこし難しくないかい」と心配そうに言うと

女の子は「ううん、わたし、ひらがな読めるから」とページを開いて

「に、か、な、つ、た、い」と声を出して読み始めた。

一字づつだが、たしかにひらがなは読めるらしい。

しばらく見ていると、もう読むのに飽きたのか

「やっぱり、これいらない」と父親に本を押し付けて

ひらひらとどこかへ駆けていった。


※チェーホフの全集を何冊か買う。読まないくせに。

2021年10月25日月曜日

内田百閒『流渦』

 『流渦』内田百閒

『流渦』は幻想的な掌編を集めた百閒の処女短編集『冥土』の中の一篇です。漱石の『夢十夜』に触発されて書いたと言われています。どれも薄気味悪い話ばかりですが、読み出すとやめられない面白さがあります。今回は『流渦』を選びましたが、『雪』や『木蓮』も捨てがたい味があり選択に迷いました。芥川が推した『冥土』や『旅順入城式』もふくめ一読をおすすめします。


※『冥土』はいつからか本棚に並んでいました。買った覚えはないのですが……。

2021年10月12日火曜日

次の本が出来るまで その215

 エセー』より


刑罰は善をなそうとする気持を生まずに、悪を犯しながらつかまるまいとする気持だけを生む。


                  ❖


人間と人間のあいだには、動物と人間とのあいだにおけるよりも、いっそう多くの差異がある。

                  ❖


昔のあらゆる予言のなかで、最も古く、最も確実なのは、鳥たちの飛びかたから引き出される予言であった。



                  ❖


少しも苦痛をもたないこと、これが人間の望みうる最大の幸福である。


                  ❖


現在という時はない。われわれが現在と呼ぶところのものは、未来と過去との接ぎ目でしかない。


                  ❖


正しい行為の報いは、それを為したということである。


                  ❖


「許されないことだから、だめよ」と言う女は、「いいわ」と言ったも同然である。


                  ❖


哲学は理屈を並べた詩にすぎない。


※人間の生命など大河の一滴にすぎないという。このちっぽけな感じが好きです。

2021年10月2日土曜日

次の本が出来るまで その214

世の中


世の中を何にたとへむ〜で始まる歌五首。



※出典はわすれました。

2021年9月22日水曜日

次の本が出来るまで その213

アンデルセン『月の物語』より  

いたずらな少女


──お月様のお話です──


 昨日のことです家の軒(のき)の間にあるせまくるしい内庭を照らしてみました。

そこには雛鳥が十一羽と、親鶏が一羽いました。

 そこへ小さな可愛らしい少女がやってきて、その鶏どものまわりを、ぐるぐる廻りはじめました。

鶏はびっくりして、コッコッと大きな声で啼きながら、しかしその羽根をひろげて、雛を庇ってやっていました。

 そこへ、お父さんがやってきました。そしてこのいたずらな少女を叱りつけました。

 私はそれきり、この事は忘れてしまって、空をながれ去ってゆきました。

 それから数分の後でしたが、またその内庭を照らしました。今度はまったく静まりかえっていました。

 ところが、突然また例の少女が、足音をひそまえながら、そっと鶏小屋にちかよってきました。そして、閂(かんぬき)をはずして、親と雛の鶏のところにしのび込みました。

寝ていた鶏はびっくりして啼き叫んで飛び廻ります。少女はその後を追いかけ廻すのです。

 私は壁のすき間からそれを眺めながら、どうも仕方のないいたずらっ子だな、と思っていますと、またお父さんがやって来ました。そして、その少女の腕を掴まえながら、さっきより一層ひどく叱りつけました。

 少女は顔をあげて、私をみあげました。その真珠のような瞳からは、大粒の涙が流れていました。

 『お前は何をしているのだ?』

 と、お父さんに聞かれて、少女はまだ泣きじゃくりながら、

 『あたし、鶏さんに、「さっきのことは御免ね」って、あやまりにきたの…』

 お父さんはこの無邪気な少女を抱きあげて接吻しました。

私も、あたりいちめんを月のひかりで接吻いたしました。



※昨日(9月21日)の満月の写真をいれる予定でしたが、月はあいにく黒い雲に隠れて見えませんでした。

2021年9月13日月曜日

次の本が出来るまで その212

ギッシングおぼえ書き


  われわれはときとして急に本が読みたくてたまらなくなることがあるが、そんなときなぜだかその理由が分からないこともあるし、おそらくはなにかほんのちょっとした暗示の結果によることもある。昨日も私は夕暮れに散歩していたが、そのときある一軒の古い農家のところにでた。庭の木戸のところに車が止まっていたのでよくみると、それは顔見知りの医者の二輪馬車であった。行きすぎて、ふり返ってみた。煙突の向こうの空には、かすかな夕映えがまだ残っていた。二階の窓の一つには灯が一つきらめいていた。私は、「あ、『トリストラム・シャンディ』だ」と独語した。そして、おそらくは二十年間もの長い間開いたこともない本を読もうと大急ぎで家に帰っていった。


『トリストラム・シャンディ』イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた未完の小説原題は『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』。内容は奇抜で、一貫したストーリーはなく、牧師の死を悼む真っ黒に塗り潰されたページや、読者の想像のままに描いてほしいと用意された白紙のページ、タイトルだけが記された章、自分の思考をあらわす 「マーブルページ」 と呼ばれる墨流し絵のようなページなど読者をからかうような意匠に満ちた本。

※図版は雰囲気だけで選んだ川瀬巴水の「大森海岸」です。

2021年9月7日火曜日

次の本が出来るまで その211

 ラ・ロシュフコー格言集より(2)


人間一般を知ることは人間個々を知ることよりも容易である。


                     ♠︎


人はその平安を自分自身のうちに見いださないかぎりどこを捜してもむだである。


                     ♠︎


むこうの言い分もきいてやろうという気がなくなったら、もうその人の負けである。


                     ♠︎


人間における才能の一つ一つは、樹木の一つ一つと同様、それぞれに特有な性質と力を持っている。


                     ♠︎


この世はいかに定めなく変わるように見えても、そこには目にみえぬ一種の連続があり、常に摂理によってさだめられた秩序がある。この摂理あればこそ、万物はそれぞれの列をすすみ、その定命の流れに従うのである



※本文とはまったく関係ない写真ですみません。ここは平安神宮近くの古本屋さん。外観からも想像できるように、店内はいい感じのカオスで、裸電球の下、積み上げた本で家が潰れるのではないかという恐怖と隣合わせの本探しはスリル満点です。近くへお越しの節はぜひ足をお運びください。


2021年9月2日木曜日

次の本が出来るまで その210

 ラ・ロシュフコー『格言集』より




われわれはみんな他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い。


                   ♣︎


人は自分で思っているほど幸福でも不幸でもない。


                   ♣︎


おべんちゃらはわれわれに虚栄がなければ通用しないにせ金である。


                   ♣︎


希望はずいぶんうそつきではあるけれども、とにかくわれわれを楽しい小道をへて人生の終りまでつれていってくれる。


                   ♣︎


嫉妬は恋といっしょに生まれる。しかし恋が死んでも必ずしもいっしょに死にはしない。


                   ♣︎


われわれは人生のもろもろの時期にまったく新参ものとしてたどりつく。いや、われわれはいくつ年をとっても、しばしばそこでは未経験者である。


※頷けるものもあり、そうでないものもあり、ウマいコトをいうのはムズかしい。

2021年8月24日火曜日

志賀直哉『老人』

『老人』 志賀直哉


芥川龍之介は、
 「志賀直哉氏の作品を一貫している特色は、一言にして言えば知的なことである。氏の作品は、どれを見ても、巧妙なる建築家の手になった設計のように、整然たる面目を備えていないものはない。どの行を消しても、全体の釣合は破れてしまう、又、どの行を加えても、矢張全体の釣合が狂ってしまう。(中略)『老人』の如きは、実に僅々十頁の作品で、殆、何の遺憾もなく、おさめ得るだけの効果をおさめている。」


※表紙の文字は活字にしたほうがよかったかもしれません。それにしても地味ですね。

2021年8月13日金曜日

次の本が出来るまで その209

 短編

時間にすればほんの4、5分のどこにでもありそうな話ですが、なぜか心に残りました。


※芥川龍之介未定稿集より

2021年7月31日土曜日

次の本が出来るまで その208

 流星の道 与謝野晶子

タイトルが素敵なので……。五首掲載します。


※最近夜空を眺めたことがありますか。

2021年7月21日水曜日

次の本が出来るまで その207

名文

新聞の投稿欄にあった文章を紹介します。投稿主は磯田七虹さん(12歳・小学生)です。


荷物持ちのお手伝いしたよ


 学校からの帰り道、私が一人で歩いていると、前にとても重そうにスーパーの買い物袋を持って歩いているおばあさんがいました。

 「こんにちは」とあいさつをして通りすぎましたが、気になってふりむくと、休けいしながら歩いていました。思わず戻って「持ちましょうか」と声をかけると「ありがとね」と言われたので、私が買い物袋を持って2人並んで歩きました。

 私は、おばあさんに笑顔になってほしいと思って話しかけました。暑くなったこと、学校でタブレットが使えるようになったこと。おばあさんは、うれしそうに聞いてくれました。

 分かれ道まで来たので、買い物袋をおばあさんに渡して「さようなら」と言いました。するとおばあさんは「本当にありがとね」と言ってくれました。私は晴れやかな気持ちになり、勇気を出して声をかけてよかったと思いました。おばあさんは笑顔になり、それ以上に私も笑顔になりました。

                               毎日新聞2021年7月21日(水)朝刊より

※七虹さん、ありがとう。いい文章に出会うと心が洗われます。

2021年7月12日月曜日

次の本が出来るまで その206

 『ドリアン・グレイの画像より


世の中には他人に拾われはしまいかという虞(おそ)れがなければ、捨ててしまいたい

 ようなものが無数にある。


                  ✣


人間は幸福なときはつねに善良なんだよ、だが善良なときかならずしも幸福とはかぎらない。


                  ✣


女ってものはちょうど『人類』が神々を扱うようにわれわれを扱うものだ。

 女は男を崇拝したあげく、あたしのためになにかしてくれといっていつも男を悩ます。


                  ✣


真に魅力のある人間というものは二種類しかない──絶対になにもかも知りつくしている

 人間と、絶対になにも知らない人間だ。


                  ✣


女というものは自分の亭主のことを見破ると恐ろしくだらしなくなるか、さもなければ

 ほかの女の亭主に買わせたとてもしゃれた帽子をかぶるかのどちらかだ。


                  ✣


女は自分を崇拝してくれる男に逃げられるとだれかよその女の崇拝者を横取りする。


※と、オスカー・ワイルドは申しております。あと関係ありませんが、オリンピックの開催には反対です。

2021年6月30日水曜日

次の本が出来るまで その205

 フローベールが言うには


医学[médecine] 

 健康なときは愚弄(ぐろう)すべし。


怒り[colère] 

 血行をよくする。したがって、ときどき怒りを覚えることは体によい。


いとこ[cousin] 

 妻の「遠縁のいとこ」だという男には警戒するよう、夫には忠告すべし。


[visage] 

 「魂を映しだす鏡」。だとすると、ずいぶん醜い魂のひとたちがいるものだ。


老人[vieillard]

 洪水や雷雨などが発生すると、土地の老人連中は、こんなにひどいのは見たことがないと

 かならず言う。


小間使い[femme de chambre]

 みんな女主人を裏切る。

 彼女たちの秘密を知っている。

 しばしば彼女たちより美人である。

 かならず一家の息子によって誘惑される。


キス(する)[baiser]

 「接吻する」と言うほうがより上品。

 やさしい盗み。

 キスを「してもいい」のは、

 若い女性の額、

 母親の頬、

 美人の手、

 子供の首筋、

 恋人の唇。


※出典:「紋切型辞典」(岩波文庫)


2021年6月23日水曜日

中島敦『寂しい島』

 『寂しい島』中島敦


この作品は、彼がパラオの南洋庁に勤務していた頃の見聞を題材にした『環礁─ミクロネシア巡島記抄─』の中の一篇です。

赴任したパラオ諸島に、子供が生まれない離島があります。原因は不明です。島には二十歳以下の人間は、五歳の女の子が一人いるだけで、近いうちに島から人間が居なくなるのは間違いありません。作者は島で満天の星を見ながら、地球上から人類の絶えてしまった後の世界を想像します。「誰も見る者も無い、暗い天体の整然たる運転」の世界を……。いい作品です。


※2冊あります。販売いたします。2,000円(税・送料込)メールでお問合せください。

2021年6月15日火曜日

次の本ができるまで その204

  芥川龍之介 『SODOMYの発達』 (二)


 清が中学の一年生になった時の事である。

 二級上に勝田と云う男がいた。短い髯の生えかけた、太った男で、色の黒い脂ぎった体は、柔道の上手なのを示していた。この男が何と云う事なく、清と親しくなった。
 柔道の道場へゆくと、親切に稽古をしてくれる。算術の宿題でむずかしいのがあると、教えてくれる。学校から帰るときも又、一緒に帰ってくれるのである。
 所がある夜、ふいに勝田が清の家へさそいに来た。近所の大師様の縁日へ行こうと云うのである。清はすぐに承知した。そうして一緒に外へ出た。
 勝田は自分の腕と清の腕と組んで歩いた。この男とは、いつもこうして歩くのである。
 縁日は一通りざっと見た。けれども勝田は、うちの方へ歩をむけない。狭い通りを、淋しい川岸の方へ歩いてゆく。
 「どこへゆくの」ときくと「まあこいよ」と大ように答える。
 その中に二人は、石をつんであるところへ来た。大きな花崗岩や安山岩が、行儀よくつみかさねられて、その間に又細い路がついている。この細い路へはいると、勝田は立止った。両側とも石が可成高くつんであるから、空が細長く見える。その空には天の川が、煙のように流れていた。
 勝田は、ぐっと力をいれて清をひきよせると、耳の近くヘ口をよせて「おい□□□□□をかせよ、な、いいだろう」と云った。清は強い恐怖を感じた。色の白い顔を斜にふって、拒む意をしめした。が実は□□□□□を借すと云うことが、どんな事だか、よくわからなかったのである。唯それが、漠然と悪い事のように考えられたのである。
 勝田は上眼をつかって「いいだろう、なっ、かさなければ俺だって考えはあるんだぜ。なっ、いいだろう」と繰返した。そうして、その言が完る時には、もう左の手で清の首から胸をささえながら、右の手で裾をまくりかけたのである。
 清は「よし給えよ、人が来るようだから、ねっ、よし給えってば」と低い声で言った。実際は、人が来るような気はいがなかったのである。勝田は一寸手をとどめて、耳をすました。そしてすぐ又、清の背中の上に掩いかかるようにして「なっ、かせって事よ」と云った。
「よし給えよ、僕はうちで叱られるから、よし給えってば、ねっ」
「うちへは黙ってるさ、誰にも知らさなければいいじゃないか」
「だって」
「黙ってりゃいいだろう」
すぐ勝田の手が動こうとする。清はおいかけるように「だけど僕はいやだもの」と云った。
 「いやならいいさ、いいけれども俺だって、そうなれば考えはあるぜ、なっ、だからかせよ。だまってりゃいいじゃないか、なっ」
その中に、勝田はもう清の下ばきの紐をといた。ずるずるとずるこけて落ちる、ネルの下ばきを清は気味わるく感じた。まくられた腰から下がうすら寒い。
 清は羞恥と恐怖で、顏を赤めた。何だかすべてが、夢の中の事のような気がする。勝田の手が◯◯◯◯◯の上を、何度もなでた。さうするとそこが冷くなつた。どうも洩れたらしい。
 すると勝田は、自分の上半身の重量を清の小さな体の上に託して、清を下へ押しふせるようにした。 清は中腰になって丁度、蛙を立てたような形になった。其時、勝田の左手は、後からしっかりと清をだきしめた。清は直に◯◯◯◯◯にSOMETHINGの触れたのを感じた。触れたばかりではない。それが非常な力で、内へ押し入れられるのを感じた。
 そして、殆どそれと同時に、勝田の右の手が、淸の△△△△△をとらえた手が、巧にこぐように動かされると、△△△△△に快い感じを以て✕✕✕✕✕した。清はその✕✕✕✕✕したのが、何となく淺間しかった。
 すると清は、可成な太さのものが、可成の深さを以て◯◯◯◯◯にはいったので、一種の疼痛を感じた。最もそれより前に、不気味な感じは、絶えず生じていたのである。
 「いたい」勝田は黙っている。「あいた、いたい」「がまんしろよ」。笑をふくんだ勝田の声がした。その中に、圧迫が減じたと思ふと、すぐ勝田の△△△△△は清の◯◯◯◯◯を離れた。それから同じような事が、二三度くりかえされた。
 そうして、やっと又、下ばきの紐をむすんで、元のように腕をくんであるき出すと、勝田は「ほかの奴にかしちゃいけないぜ、えっ」と云った。清はだまってうなづいた。
 其後勝田は、清を釣に誘った。そして又、船の中で□□□□□をほった。三度目には、勝田のうちの二階で、頭から毛布をかぶせてほった。
 これまでは、いつも実行される迄に清が、多少の拒絶の意を示したのである。けれども、四度目に、学校の便所のうしろでやられた時に、清はすぐ洋服のMぼたんを、はずしたのである。こうして、とうとう勝田のCHIGOになったのである。

※ローマ字表記の部分は記号にしています。芥川の作品ということで掲載しましたが、内容が思ったより過激なので今回で最後にします。

2021年6月3日木曜日

次の本ができるまで その203

 芥川龍之介 『SODOMYの発達』 


 これはSODOMYの発達を書こうと思うものである。自分自身の事実に多少の粉飾を加えるのが前のVITA SEXUALISと違っている点である。HEROの名は「清」とした。別に意味のある事でもない。


 清が十一歳の時であった。 

 清の友達に木村関雄と云う少年があった。毛の薄い雀斑のある瘦せぎすなたちで、笑うと口もとが左へまがる癖があったが清とは誰よりも仲よくつきあっていたのである。

 時は春の中ばであった。学校の庭には海棠や木蓮が咲くし狭い池の水もどんよりと柔かな藍色に濁って、何となく暖みのこもった感じをあたえている。その春の日の午後に、清と木村とは掃除番で他の生徒が一時間体操をしている間だけ教室にのこって、はたきをかけたり塵を掃いたりする役になっていた。

 用がすむと二人は、向きあった机に腰をかけて、一緒に教科書を見はじめたが、木村ははじめから何となくそわそわして、落ちつかないようであった。何かと云うと清の手をとったり首をなでたりする。清は格別気にもとめなかったが、唯何となくそれが六月蝿かったので、その都度に顔をしかめてとられた手をはなした。勿論教室の中には誰もいない。

 隣の教室で読本をよむ声がするより外は、何もきこえない。白い壁にさげられた時計の針はまだ十分すぎたばかりである。窓からは青くはれた空が見えていた。

 木村は幾度も居ずまいを直したり、身体をゆすったりした。そして、話のついでに、清の傍へよる。そして、仕舞には、清の背から手をまわして、丁度両手で抱いたようになる。

 と今度は、顔を次第に近づけ始めた。時々頬と頬とがふれる。木村は益々力をいれて抱くようにする。

 時々話がきれると、清はそれをしおに、木村の手をはなそうとしたけれども、中々はなさない。そうして、しばらくすると、

「君、僕は君にLOVEしちゃった。君はLOVEって事をしってるかい、えっ」と云った。

 清は黙っていた。知っているような、知っていないような事である。

 その中に、木村は一そう力を入れて、清を自分の胸の方へひきよせた。ところが清がそれを抗がおうとして、左の手を木村の膝へかけると、手がすべって木村の帯の下へさわった。そしてそこに、袴の上から、固いもののあるのを感じた。そうすると、木村は急に早口に「しようよ、ねっ。いいだろう、ねっ。いや、えっ」ときいた。清は何だかわからないので「何を」とききかえした。前に書き落したが、清は木村より二つ年下である。

 木村は黙って、清の袴の紐をといた。その時清は、何かがかすかにわかったような気がした。けれども、まだ淡い恐怖に似た感じがするだけで、慥には何ともわからなかった。木村は又、自分の袴もとくと、そこの土間に清を押し仆した。「およしよ、およしってば」「いいじゃないか、ねっ、いや? いいだろう、ねっ」木村は左の手で、清の肩を仰えて起きないようにした。そして右の手で、自分の前をひろげると、又清の前もひろげた。二人ともSARMATAは、はいていなかった。

 「およしよ、関さん。およしってば、よう」

 清は多少の羞恥を感じたので、こう云った。木村は小さな声で「いいじゃないか、いいじゃないか」と何度も繰返した。

 そうして自分の□したを、清のそれに力づよく押しつけた。清のそれはしていなかった。

 清は仰むいたまま、自分の□□□□□に、熱い固い木村のそれを、幾度となく感じたのである。

 その中に木村は、黙って前をあわせて、袴の紐をしめた。清も同じようにした。

 木村は「誰にも云うのはよし給えよ」と云った。清は好意を以てその注告を守ったほど、まだ何もしらなかったのである。


※冒頭からの一部を掲載しました。伏字のところはローマ字表記です。問題があれば削除します。

 「VITA SEXUALIS」は『芥川龍之介未定稿集』(荒巻義敏編、岩波書店)に掲載されています。

2021年5月24日月曜日

ヨハン・ペーター・ヘーベル『暦物語』

『暦物語』 ヨハン・ペーター・ヘーベル

『暦物語』より「思いがけぬ再会」「恐ろしい事件が平凡な肉屋の犬によってあばかれた話」の二作を選びました。『暦物語』とはカレンダーに添える短い挿話や教訓話のことで、編集を担当したヘーベルは多くの物語を作りました。二百年も前のことです。彼の作った話は機知とユーモアに富み、現在も愛読されているということです。


※アンデルセンの『月の物語』とどちらを作ろうか迷いました。次回は日本の作家に決めています。