芸術と天分
(前略)
自分は思う。芸術的な気質がどんなに乏しい者でも、感覚が鉛のごとく鈍重である者でも、感情が豚の如く痴愚である者でも、どんなに心の貧しい者でも創作に与(たずさ)はつて一向差支えないものだと思ふ。創作の欣びと、鑑賞の欣びとを比べて見れば、陰と日向とのやうなものだ。どんなに天分の貧しい者でも、遠慮して、陰にのみ坐つている必要はないと思ふ。
どんな天才者の作品を読むよりも、──ゲーテだとか、ダンテだとか、シェイクスピアだとか、近代のいろいろな天才を束にして挙げてもいいが、──自分で一句の発句を作り、一首の歌を詠む方がどんなに楽しいか。どんなに、その作品が、他人からは貧弱であっても、自分自身の物を、一行でも書く方がどんなに楽しいか。
自分以外のどんな天才者が作った広大壮麗な藝苑の中へはいつて行くよりも、自分自身で(他人から見ればどんなに貧しくても)自分自身の花苑を作る方がどんなに楽しいか。自分は何う考えて見ても、享受するよりも、創造する方が、どれほど欣ばしくやり甲斐のある仕事であるか分からないと思ふ。(後略)
菊池寛「芸術と天分」より抜萃
※わたしもそう思う
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