2016年5月5日木曜日

ジュール・ルナール『葡萄畑の葡萄作り』『榛のうつろの実』


ジュール・ルナールは『にんじん』や『博物誌』で知られるフランスの小説家です。短文を集めた『葡萄畑の葡萄作り』はルナール30歳の作品で、大正13年岸田國士の訳で出版されました。この本の中から「力持ち」「七面鳥になった男」「水甕」「商売上手な女」を『葡萄畑の葡萄作り』として一冊にしました。また同じ本に掲載されていた『榛のうつろの実』の気に入った言葉をいくつか選んで一冊にしました。読んでいると、なるほど芥川が『文芸的な、余りに文芸的な』でルナールを好意的に書いているのも頷ける気がします。少し物足りないので作品を吟味してもういちど作ってみたいと思っています。

※帯の文章がおかしいので赤いボールペンで直しました。また“ルナール”を“ルナアル”と昔の表記のまま使用しているのも間違いです。次に作る時訂正します。不悪。





2016年4月15日金曜日

次の本が出来るまで 19

露伴翁の文章


「文は人なり」という見本のような文章です。




次の本が出来るまで 18

書籍の寸法

書籍の寸法は、横が曲尺にて六寸ならば縦は曲尺の裏の尺にて六寸にすべし。
縦横ともに裏表の尺にて同寸にすべし。
外題は縦は書物の三分二、横は六分一なり。
書物に限らず、縦横ある箱なども裏表の尺にて同寸にすれば恰好よろし。

昔の本に載っていました。覚えとして書き留めておきます。

2016年4月6日水曜日

次の本が出来るまで 17

当たり障りのない話でお茶を濁します。
本を読んでいるとこんな文章がありました。

金、三両。
右、馬代、
くすかくさぬか、こりゃどうじゃ、
くすというならそれでよし、
くさぬにおいてはおれが行く、
おれが行くには、ただおかぬ、
かめが腕には骨がある。

※くす=返す

馬方の亀という男が、馬を三両で売りました。ところが相手の男が、容易に金を払わない。そこで出したのがこの手紙。要件だけを伝える簡潔な手紙の例として載っていたものです。

2016年3月14日月曜日

夏目漱石『変な音』

夏目漱石の短編『変な音』です。
センター試験に出題されたこともあるのでご存知の人がいるかも知れません。
漱石はこれを書く前の年に修善寺で吐血し、生死の境をさ迷いました。運良く回復しますがその後も入退院を繰り返しています。この作品は入院した病院での出来事を綴ったものです。

入院している隣の病室から夜になると変な音が聞こえてきます。それは大根おろしをするような音でした。誰が、何のために……腑に落ちない漱石は音の発生源を考えます。ホラーやミステリーではありません。重症患者の病棟で生死を思う味わい深い掌編です。

思うところあって、体裁を変えた別ヴァージョンを作りました。




2016年3月11日金曜日

次の本ができるまで 16

日本語も英語もまったくなんちゃって訳です。
こんなことを言いたいのだろう、きっとそうだろうと。


陶淵明  帰去来兮 homeward bound 



序 Prologue

私の家は貧乏で、百姓だけでは食べて行けない。
My house being poor, cannot live with just the farmer.

幼い子どもがいつも腹を空かせているが、家には一粒の米もなく、収入を得るめどもない。
The young child has spaced the stomach always, but there is no either food completely in the house and there is no either aim which works.

親戚が私に官吏になれとすすめるが、どうしたらなれるのだろう。
The kindred being accustomed recommends to the official in me, but if how it does, probably will be accustomed to the official.

たまたま皇帝が入れ替わる時だった。
Accidentally when the emperor inserts and substituting was.

窮状を見かねた叔父が官吏の仕事を周旋してくれた。
From combining, the uncle who justified sympathy mediated the work of the official.

世の中はまだ戦乱が続いていたので、遠くへは行けない。
Because as for society disturbances of war were continued still, the distance was dangerous.

勤め先の彭澤(ホウタク)は家から僅か十里ほどの隣町で、公田の収獲で酒をつくることもできるらしい。
The Houtaku of the workplace from the house harvesting the wheat in next door town about of 25 miles, can also make the liquor seems.

わたしは思い切って就職した。
I was employed resigning.

しかし勤めて二か月あまり、日に日に故郷への思いが強くなる。
But serving, two month remainders, in day the thinking to the home becomes strong in day.

人の性格は無理に歪めたり誤摩化したりはできないものだ。
It is something where character of the person does not twist unreasonably and it is not possible, and does not cheat in the same way and is not possible.

貧乏はもちろんつらいが自分の気持に嘘をつく毎日も同じようにつらい。
Poverty of course balance. But every day when lie you are attached to your own feeling in the same way balance.

本来の自分の意思とかけ離れた世界にいることを恥ずかしく思う。
Being in the world where I think shy, am widely different with original my own intention.

秋の収穫が終わったらいさぎよく辞めようとわたしは心に決めた。
I decided in heart, being fall, when harvest of the wheat ends, that it will stop.

そんなとき遠くへ嫁いだ妹の訃報が届く。もう一刻もこうしては居られない。
That such a time the younger sister who marries to the distance died, the letter reaches. Already, in this way also moment, it cannot stay.

妹の葬儀に参列することを理由に職を辞した。
Attending the funeral of the younger sister job was left in the reason.



中秋から冬まで八十日余り、自らの心の内を「帰去来兮」と題す。
From middle fall to winter a little more than 80 day, among hearts of self “帰去来兮” with entitling.


晋安帝義煕元年十一月
November of 405


(次回に続く)It continues

2016年2月24日水曜日

次の本ができるまで その15


蜀山人のものに載っていた一文、こんなものが名物だったのかと驚く。ちなみに江戸の名物「比丘尼」とは尼の姿をした下級の売春婦(コトバンクより)を云う。紫は海苔のこと。


2016年2月10日水曜日

志賀直哉氏のノートより


政治家というものが割に重く見られ、

従って当人も自分が偉いかの如くに思う傾向がある。

此錯覚は何から起こるかといえば

政治或は政権というものには他に命令する機能がある、

政治家殊に大臣などになると

主人になったような気になるらしい、

然し裸の一人間として見る時に

多くは下らぬ奴の寄合いである。

今の政治家という人種、

僅かな例外を除けば下劣極まる人間の集団に違いない。

只或る技術が多少あるだけのもの、

今直ぐ我々に政治をやれといわれて困るのは

その技術が我等にないからに過ぎない。


(昭和九年一月二十二日)

──政治家は昔から何も変わっていないようだ。あの女性議員も、この男性議員も。

2016年1月30日土曜日

『名家遺詠集』

『名家遺詠集』です。
29歳から92歳まで80人の辞世の歌(句)を年齢順に並べました。一番多く残されているのは武士のものですが、「ますらお」や「もののふ」といった勇ましい言葉が多く、内容も似ているのでここでは取上げませんでした。そのぶん俳人や狂歌師のものが増えてしまいました。
登場する人は下記の通りです。
高橋お伝・地獄太夫・式亭三馬・中山信名・文車庵文員・加納諸平・巴扇堂常持・三世歌川廣重・天広丸・服部嵐雪・土岐善静・岩田凉莵・茨木春朔・朱楽菅江・岡崎屋勘六・柳亭種彦・呉山堂玉成・梅屋鶴寿・歌川廣重・珍齋其鸞・談洲楼燕枝・智恵内子・初代本因坊算砂・斯波園女・桃林亭東玉・仮名垣魯文・田捨女・桑岡貞佐・歌川豊廣・紫檀楼古喜・和泉屋源蔵・三谷因石・与謝蕪村・平田篤胤・竹意庵酔夢・志水延清・大淀三千風・深励・女乞食・蜷川親當・條野採菊・小嶋梅外・大木戸黒牛・魚屋北渓・羽川珍重・雛屋立圃・磯部百鱗・濱辺黒人・清水如水・松平定信・近松門左衛門・英一蝶・西行・徳川光圀・山本西武・絵馬屋額輔・白鯉館卯雲・鹿津部真顔・宿屋飯盛・戸田茂睡・谷文晁・小澤蘆庵・遠藤曰人・三世歌川豊國・北村季吟・亀玉堂亀玉・喜多武清・津崎矩子・宗祇・窓村竹・老鼠堂・松永貞徳・蓮月尼・早川丈石・英一桂・葛飾北斎・立羽不角



2016年1月25日月曜日

次の本ができるまで 14

場つなぎに俳句をいくつか掲載します。良し悪しはわかりません。
どの句も人の気配や話し声が聞こえてくるように思いました。



2016年1月7日木曜日

2016年


佳きにのみ 為さんとするや 悪しからむ
      ただそのままに 世こそおさまれ
                      里村紹巴 

年が明けた。気を引き締めて励もうと思う。
露伴翁がこんな言葉をつぶやいている。心に留めておきたい。


2015年12月24日木曜日

「道理の前で」フランツ・カフカ

フランツ・カフカの『道理の前で』(別題『掟の門前』)を作りました。
カフカは現代実存主義文学の先駆者といわれ『変身』や『審判』『城』など、人間存在の不条理を主題とする作品を書いた作家です。
『道理の前で』は文庫本にして3頁ほどの短かいものですが、読み手によってさまざまな解釈を生む奥の深い作品でもあります。

本の外箱にはマッチ箱を使いました。手間が省けて助かりましたが、箱から出したマッチ棒をどうしたものか思案にくれる毎日です。



2015年12月11日金曜日

貝原益軒の辞世、勝海舟の弔辞

昔の本に名文として紹介されているものを掲載します。貝原益軒の辞世文と勝海舟が亡友山岡鉄舟を吊うた辞です。いずれも無駄のないいい文章だと思います。そのほかに近松門左衛門の経歴文というのがあり、この三つはよくセットで載っています。これらは私にとって「あたりかまわず大声で読みたい日本語」でもあります。実際に人前で読んだことはありませんが…。



心曲=心に思うことのすべて
存順没寧=存に順い、没に安んずる
朝聞夕死=朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり
徳業=徳をたてる事業。善にすすむ所業
夙志=幼少・若年のころからの志


塵世=汚れた世の中。俗世間
至愚=非常におろかなこと

2015年11月30日月曜日

これは歌か?

難しいことは分かりません。本に書いてあるまま言うなら、これらは「無心所着体(むしんしょぢゃくたい)の歌」といわれ、「それぞれの句は連想によってつながってはいるが、全体としては意味をなさない歌のこと」だそうです。歌病(かへい)ともいわれました。
ちょっと面白かったので掲載します。
──戯れ歌ともいわれました。


2015年11月20日金曜日

次の本が出来るまで その13


字が上手な人がうらやましい。その人柄まで尊敬できそうな気がしてくる。反対にとびきりの美人が何とも情けない字を書いていると、見てはいけないものを見せられた気持になる。自分に限って言えば、もともと下手な字が年とともにさらに下手になるようで、とくに縦横の線がまっすぐ書けない。ゆっくり書けば震えるし、早く書けば殴り書きのようになる。
細い筆で美しい字が書けたら毎日でも誰かに手紙を書くと思う。いややはり面倒で誰にも書かないかもしれない。




2015年11月6日金曜日

陶淵明『挽歌詩三首』


以前に陶淵明の「五柳先生」を紹介しました。おなじ時期に「挽歌詩三首」という作品に興味を持ち、今になって作ろうと思い立ちました。

「挽歌」とはを挽く時に歌う歌のことです。本来なら亡くなった人を偲んで親しい人が歌うものですが、陶淵明はこの歌を自ら作りました。内容は「其一、納棺を歌う」「其二、葬送を歌う」「其三、埋葬を歌う」の三首で、遺体から抜けだした魂が葬儀の一部始終を見ているかのように書かれています。最後に埋葬が終った棺の中でこうつぶやきます。「死ぬことは、自分の体を自然に託してしまうことだから、さほど悲しむことではないのだよ」。

果たして私はこんなふうに死ねるのでしょうか。




2015年10月27日火曜日

志賀直哉氏の言葉より


人間は何でも知っている。
専門専門で、どれ程人間が進んでいるか、その程度はその専門以外の人間には到底分からない位に進んでいる。恐ろしい位である。
ところが人間全体の幸福という事に対してはこれ又驚くべく人間は何も知らない。
人間はだから全体的に少しも幸福にならず、益々不幸になりそうな予感が多分にする。



※そのとおりだと思う。

2015年10月22日木曜日

次の本ができるまで その12


酒屋の前にこんな看板があったらしい



酒代よこさんひとはかさねて無用

2015年10月15日木曜日

志賀直哉氏の言葉

偉れた人間の仕事──する事、いう事、書く事、何でもいいが、
それに触れるのは実に愉快なものだ。
自分にも同じものが何処かにある、それを目覚まされる。
精神がひきしまる。
こうしてはいられないと思う。
仕事に対する意思をはっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。
この快感は特別なものだ。
いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは
必ずそういう作用を人に起こす。


──まったくそのとおりだと思う。

2015年9月29日火曜日

シャルル・ルイ・フィリップ『老人の死』


シャルル・ルイ・フィリップの短編「老人の死」(小牧近江訳)を作りました。
フィリップは1874年生まれのフランスの作家です。35歳という若さで亡くなった彼は、生前パリの新聞「ル・マタン」に計49編のコント(短編小説)を書き、『小さな町で』と『朝のコント』の2冊の短篇集を出版しました。「老人の死」はその中の一篇で、邦訳は大正時代に出版されています。最近知ったのですが、短篇集『小さな町で』は2003年に山田稔さんの訳でみすず書房から出ていました。この本の書評で作家の川上弘美さんが「老人の死」について書いています。興味があればご覧ください。

体裁はご覧の通り、背幅3mmの薄っぺらい本になりました。