泉鏡花の作品『胡桃(くるみ)』を作りました。
コメントは中島敦「鏡花氏の文章」より抜粋しています。
(前略)
私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、之を知ることも(少くとも文学を志すものにとっては)不幸であると(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異る。鏡花氏の作品については之を知らないことは不幸であり、之を知ることは幸である。とはっきり言い切れるのである。
泉鏡花というと奇怪な怪談話を想像しますが、そんな話ではありません。 旅人がおみやげを買おうと故郷の町の菓子屋に入ると、美しい新妻らしき女性が応対をしていました。旅人は初々しい女のようすを細かに観察し、その純真さにつけこんで小さな狼藉を働きます……。おみやげの胡桃はどうなったのか、若妻はどうしたのか、何度読んでもその結末がはっきりしません。そんな作品です。
※美しい鏡花の本をご存知の方は多分苦笑していることでしょう。なんとまあ品のない…
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