『苺の季節』 アースキン・コールドウェル
アメリカジョージア州生まれの作家アースキン・コールドウェルは、ブルーカラーの人々に共感し、彼らとすごした経験をもとに、自分より貧しく運のない人々の質素な生活を賞賛する物語を多く著しました。
『苺の季節』は収穫期の農場へ苺摘みのアルバイトに来たぼくとファニーが、〝苺つぶし〟といういたずらがきっかけで親しくなるお話です。
アメリカジョージア州生まれの作家アースキン・コールドウェルは、ブルーカラーの人々に共感し、彼らとすごした経験をもとに、自分より貧しく運のない人々の質素な生活を賞賛する物語を多く著しました。
『苺の季節』は収穫期の農場へ苺摘みのアルバイトに来たぼくとファニーが、〝苺つぶし〟といういたずらがきっかけで親しくなるお話です。
好みは千の嫌悪から成る。
☘︎
彼が為した馬鹿らしいことと、彼が為さなかったバカらしいことが、
人間の後悔を半分づつ引受けている。
失ったものよりも、失わなかったもののほうが余計に惜しまれることがしばしばある。
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うんと子供が生まれるだろう、まなざしで妊ませることが出来たら。
うんと死人が出るだろう、まなざしで殺すことができたら。
往来は、屍体と妊婦でいっぱいになるはずだ。
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生は死より、ほんの僅かに年上だ。
女を悪く言う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである。
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謙遜は高慢な含羞(はにかみ)である。
☽
人が真実を追求するに際し最も恐るべきはそれが見つかる事である。
☽
愛する女の匂いは常に甘い。
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人生って何だ? 感覚の連続さ。
では感覚って何だ? 思い出さ。
人間と云う奴は生きていはしないよ。
人間と云う奴は生きていた事のあるものさ。
一老人が云っていたよ。
※確かに人生は後悔に溢れている。あの時もこの時も自分の判断はほぼ間違っていたと思う。
本文と関係のない絵はクエンティン・マサイス / An Old Woman 1513年頃
ボクはたった一度だけ「イイコト」をしたことがある。
ある日ボクが道を歩いていると、交差点に目の不自由な人がいた。
方向を見失ったのか、白い杖を地面に這わせて行ったり来たりしている。
いつもなら知らん顔をして通り過ぎるボクだが、まわりには人もおらず、途方にくれた様子を見かねて声をかけた。
「どこへ行くんですか」
男性は喫茶店の名を言い、その近くに家があると言う。
その喫茶店は信号を渡ったすぐのところだ。
「じゃ、いっしょに行きましょう」
ボクは彼の横に並び腕をとって歩いた。
店の横を曲がって二三軒行くと、「あんまマッサージ」と書いた小さな看板がぶら下がった家があった。
「じゃ、ここで」
「ありがとうございました」
ボクは道を戻りながら、人助けをした満足感でいっぱいだった。
そのうちそんなことも忘れてしまった。
何ヶ月か過ぎた。
仕事も一段落したある日、
肩がパンパンに張ってきたのでマッサージにでも行こうかなと思った。
その時、前の出来事を思い出し彼のところへ行くことにした。
見覚えのある家の玄関を開け「すみません」と声かけると、
「はい」と彼は奥の薄暗い部屋の隅に置物のように座っていた。
灯りぐらいつければ……と思ったが、彼には必要ないことに気づいた。
「ちょっとマッサージを…」と言うと
「どうぞ、二階へ上がってください」と彼。
ボクはスリッパに履き替え、玄関横の階段を上がって行った。
通りに面した、少し明るい畳の部屋に小さな布団が敷いてあった。
後から上がってきた彼は、
「どうぞ、そこへ横になってください」
と言いながら、タオルを巻いた枕を置く。
ボクはそれを抱えるようにして、布団の上にうつ伏せになった。
横に正座した彼は、何の会話もないまま、ボクの背中に手を置きゆっくり揉み始めた。
平日の午後、あたりはしんとして、ボクと彼の息遣いだけが聞こえてくる。
ボクは目を閉じて、ぼんやりと彼の生活を想像してみた。
一人で暮らしているのだろうか、食事はどうしているのだろう、いつもあんな風に
部屋の隅でじっと座ってお客さんが来るのを待っているのだろうか……。
彼はおし黙ったまま、ゆっくりと肩から腰の方へ手を進めていった。
ボクは小さく「ウッ」とか「アッ」とか言いながらじっとしていたが、
緊張しているのか、体は硬いままでなかなかほぐれない。
「こちらを向いてください」
ボクは彼に向き合うように体を回した。
彼はボクの胸の前に座って、上にした首から肩を黙ったまま揉み続ける。
あいかわらず緊張した空気が流れている。
ボクは目だけを動かして、窓の上の方に少しだけ見える青空を見ていた。
そしてここへ来たことを少し悔やんでいた。
次回へ続く
義理で参加した同郷の親睦会には浪曲師の舞台が設けられていた。鷗外は浪花節が嫌いだった。我慢して聞いていたが徐々にいらいらがつのってくる。終わって拍手しているのを見た芸妓が「面白かったでしょう」と話しかけてきた。鷗外は自分が浪曲好きの人間だと思われたかもしれないと、さらに気持が落ち込む……。
幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。
その死によって、われわれの食欲を奪い、この世を空しく思わせる人の何と少ないことか。
大声を出すのは寂しいからである。これは犬と同様、人間についても真実である。
つまらない人間ほど、自分を重視するものである。
われわれはたいがい、見ず知らずの人間を憎悪している。
謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。
食事を与えてくれる手に噛みつく者は、たいてい自分を蹴りつける長靴を舐めるものである。
人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。
田舎の風呂屋の脱衣場に貼ってあった「月曜日のユカ」の映画ポスター。ポニーテールの加賀まりこが男物のワイシャツを羽織って、ちょっと拗ねたような表情でこちらを見ているというものだった。ポスターを見てぜひ映画を観たいと思ったが、結局見ずじまいで、ポスターの印象だけが脳裏に焼き付いている。風呂上がりにはいつも〈フルーツ牛乳〉を飲んだ。
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「黒のシリーズ」は田宮二郎の当たり役で、面白かった。刺激の少ない田舎の中学生にはちょっとしたシーン(恋人が悪人に連れ去られ、あわやというところで主人公に助けられる)にハラハラドキドキした。同じ理由で「眠狂四郎シリーズ」や「くノ一シリーズ」もものすごく楽しみにしていた。映画を見ながらいつも〈さきイカ〉を食べた。
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「鬼婆」は初めて見た成人映画だ。中三だった。友だちと三人で観に行ったが、期待はまったく裏切られた。主人公の乙羽信子と吉村実子が、ボロを身にまとい山小屋のような場所で言い争ったりするもので一向に面白くなかった。あとで知ったが新藤兼人監督の芸術作品だったらしい。帰りに三人でぼやきながら〈お好み焼〉を食べた。
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岩下志麻の「五瓣の椿」も忘れられない。身内を殺された娘が、その美貌を武器に復讐する話だったと思うが、最後のほう、屋形船の中で悪代官を相手の濡れ場があり、そこで乳房がポロリと出るシーンがあった。時間にすればわずか一、二秒のこの場面がいつまでも忘れられなかった。外にでて米屋で〈プラッシー〉を飲んだ。
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土曜日の午後、学校の帰りに「日本春歌考」を見た。高校生だった。どんな話だったかまったく覚えていない。主演は荒木一郎だったと思う。二本立てで「夜の夜光虫」という映画も見た。主役の大原麗子は可愛かった。田舎にはゼッタイにいない女の人だと思った。ストーリーはもちろん覚えていない。帰りにガード下で〈タコ焼き〉を食べた。
※記憶があいまいなまま書いているので、思い違いがあるかもしれません。不悪。
ケイト・ショパン(1850-1904)はアメリカ、セントルイス生まれの女性作家です。 彼女が育った19世紀のアメリカは、いまよりずっと女性の立場が弱く、 結婚するまでは父親、結婚後は夫の所有物として扱われ、 子供を育てるのが唯一の存在意義であった時代でした。
人 間
この世界は人間のいないときに始まり、人間がいなくなって終わる。(レヴィ=ストロール)
時 間
一日一日はたぶん時計には公平なのだろうが、人間には公平ではない。(プルースト)
現 世
現世は悲惨の谷間、不満の井戸、悲しみのスープ、不運のサラダボール。(ゴビノー)
悪 意
個人的な利益と結びつかない悪意は性格からくることが多い。(バルザック)
幸 福
我々人間の願いは幸福に生きることであって、幸福に死ぬことではない。(モンテーニュ)
この奇妙な絵は、ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン[1470-1533]の「Laughing Fool」。
年賀状に使おうかなと言ったら妻から叱られました。