2025年6月27日金曜日

アースキン・コールドウェル『苺の季節』

『苺の季節』 アースキン・コールドウェル

アメリカジョージア州生まれの作家アースキン・コールドウェルは、ブルーカラーの人々に共感し、彼らとすごした経験をもとに、自分より貧しく運のない人々の質素な生活を賞賛する物語を多く著しました。

『苺の季節』は収穫期の農場へ苺摘みのアルバイトに来たぼくとファニーが、〝苺つぶし〟といういたずらがきっかけで親しくなるお話です。



※〝青春は力の限りの思い違い〟寺山修司の本で読んだ気がしています(不安)。

2025年6月13日金曜日

次の本ができるまで その327

 ヴァレリー一家言



好みは千の嫌悪から成る。



           ☘︎



彼が為した馬鹿らしいことと、彼が為さなかったバカらしいことが、

人間の後悔を半分づつ引受けている。

失ったものよりも、失わなかったもののほうが余計に惜しまれることがしばしばある。



           ☘︎



うんと子供が生まれるだろう、まなざしで妊ませることが出来たら。

うんと死人が出るだろう、まなざしで殺すことができたら。

往来は、屍体と妊婦でいっぱいになるはずだ。



           ☘︎



生は死より、ほんの僅かに年上だ。



ポール・ヴァレリー Paul-Ambroise Valéry  1871─1945
フランスの詩人・思想家・批評家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。長編詩『若きパルク』、評論集『バリエテ』『芸術論集』など多数。

2025年5月17日土曜日

次の本ができるまで その326

グールモン『沙上の足跡』より


女を悪く言う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである。


               ☽


謙遜は高慢な含羞(はにかみ)である。


               ☽


人が真実を追求するに際し最も恐るべきはそれが見つかる事である。


               ☽


愛する女の匂いは常に甘い。


               ☽


人生って何だ? 感覚の連続さ。

では感覚って何だ? 思い出さ。

人間と云う奴は生きていはしないよ。

人間と云う奴は生きていた事のあるものさ。

一老人が云っていたよ。

人生は後悔だ」と。



※確かに人生は後悔に溢れている。あの時もこの時も自分の判断はほぼ間違っていたと思う。

 本文と関係のない絵はクエンティン・マサイス / An Old Woman  1513年頃

2025年5月11日日曜日

ニュージェント・バーカー『告知』

 『告知』ニュージェント・バーカー


ニュージェント・バーカー[1888-1955]は1920年代から30年代にかけて人気のあったイギリスの小説家です。しかし現在では事典にすら記載がないので、経歴の詳細は不明です。内容は、母親を殺してしまった男が自首するため警察署に向かう途中、図書館に立ち寄り好きな本の背を眺めながらあれこれ思いを巡らすという話です。


※最近私も図書館へよく行きます。申し訳ないなあと思いながら文庫本を借りたりしています。

2025年4月25日金曜日

次の本ができるまで その325

 好意の報酬(上)


ボクはたった一度だけ「イイコト」をしたことがある。


ある日ボクが道を歩いていると、交差点に目の不自由な人がいた。

方向を見失ったのか、白い杖を地面に這わせて行ったり来たりしている。

いつもなら知らん顔をして通り過ぎるボクだが、まわりには人もおらず、途方にくれた様子を見かねて声をかけた。

「どこへ行くんですか」

男性は喫茶店の名を言い、その近くに家があると言う。

その喫茶店は信号を渡ったすぐのところだ。

「じゃ、いっしょに行きましょう」

ボクは彼の横に並び腕をとって歩いた。

店の横を曲がって二三軒行くと、「あんまマッサージ」と書いた小さな看板がぶら下がった家があった。

「じゃ、ここで」

「ありがとうございました」

ボクは道を戻りながら、人助けをした満足感でいっぱいだった。

そのうちそんなことも忘れてしまった。


何ヶ月か過ぎた。

仕事も一段落したある日、

肩がパンパンに張ってきたのでマッサージにでも行こうかなと思った。

その時、前の出来事を思い出し彼のところへ行くことにした。

見覚えのある家の玄関を開け「すみません」と声かけると、

「はい」と彼は奥の薄暗い部屋の隅に置物のように座っていた。

灯りぐらいつければ……と思ったが、彼には必要ないことに気づいた。

「ちょっとマッサージを…」と言うと

「どうぞ、二階へ上がってください」と彼。

ボクはスリッパに履き替え、玄関横の階段を上がって行った。

通りに面した、少し明るい畳の部屋に小さな布団が敷いてあった。

後から上がってきた彼は、

「どうぞ、そこへ横になってください」

と言いながら、タオルを巻いた枕を置く。

ボクはそれを抱えるようにして、布団の上にうつ伏せになった。

横に正座した彼は、何の会話もないまま、ボクの背中に手を置きゆっくり揉み始めた。

平日の午後、あたりはしんとして、ボクと彼の息遣いだけが聞こえてくる。

ボクは目を閉じて、ぼんやりと彼の生活を想像してみた。

一人で暮らしているのだろうか、食事はどうしているのだろう、いつもあんな風に

部屋の隅でじっと座ってお客さんが来るのを待っているのだろうか……。

彼はおし黙ったまま、ゆっくりと肩から腰の方へ手を進めていった。

ボクは小さく「ウッ」とか「アッ」とか言いながらじっとしていたが、

緊張しているのか、体は硬いままでなかなかほぐれない。

「こちらを向いてください」

ボクは彼に向き合うように体を回した。

彼はボクの胸の前に座って、上にした首から肩を黙ったまま揉み続ける。

あいかわらず緊張した空気が流れている。

ボクは目だけを動かして、窓の上の方に少しだけ見える青空を見ていた。

そしてここへ来たことを少し悔やんでいた。


                              次回へ続く


好意の報酬(下)


そうしているうちに、気になることが起こった。
腰を揉んでいる彼の手が動くたびに、ボクの股間にそっと触れていくのだ。
指先で撫でるようにそっとやさしくふれていくのが、ズボンの上からでも感じられる。
初めは思い過ごしかと思ってじっとしていたが、どう考えても意識的に触っているよう思える。
ボクは少し腰を引いた。
「上向きに」
断る理由が見当たらないまま、上向きになった。
彼はゆっくり腰から太もものあたりを揉みながら、手を動かすたびに股間に触れていく。
先ほどよりも少し大胆になった気もする。
ボクは気が気でなく、何度も腰を動かして避けようとした。
この雰囲気のなか口にだして「やめてください」とは言えるものではない。
ボクはなんとか彼の手を避けようと、お腹の上に両手を組んだ。
何かしら気まずい空気が流れ、彼の触る手は止んだ。
「むこう向きに」
彼はそう言ってボクの手のひらを揉み始めた。
そして初めて、ちいさな声で
「あなたはいい人ですね」と言った。
ボクは驚いた。
彼は何ヶ月か前、ほんの一言ふたこと話しただけのボクを覚えているのだろうか。
ボクは彼の顔をそっと見た。
黒い眼鏡の奥の表情はよくわからなかった。
日が傾き、明るかった部屋が薄暗くなった。
ボクは揉まれる手に虫が走るようなむず痒さを感じながら
この時間が早く過ぎることだけを願っていた。
彼はボクの手を胸の前で抱くように揉みながらゆっくりと
「もう一度上向きになってください」
そして独りごとのようにちいさな声で言った。
「あなたはいい人ですね」
                               終


※画像は、La matinée angoissante/ジョルジョ・デ・キリコ/1912年

2025年3月29日土曜日

森鷗外『余興』

 『余興』森鷗外

義理で参加した同郷の親睦会には浪曲師の舞台が設けられていた。鷗外は浪花節が嫌いだった。我慢して聞いていたが徐々にいらいらがつのってくる。終わって拍手しているのを見た芸妓が「面白かったでしょう」と話しかけてきた。鷗外は自分が浪曲好きの人間だと思われたかもしれないと、さらに気持が落ち込む……。



※わたしの場合、ド演歌が大音量で流れる場所にいると、逃げ出したくなります。

2025年3月22日土曜日

次の本ができるまで その324

エリック・ホッファーが言うには


幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。


            ♱


その死によって、われわれの食欲を奪い、この世を空しく思わせる人の何と少ないことか。


            ♱


大声を出すのは寂しいからである。これは犬と同様、人間についても真実である。


            ♱


つまらない人間ほど、自分を重視するものである。


            ♱


われわれはたいがい、見ず知らずの人間を憎悪している。


            ♱


謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。


            ♱


食事を与えてくれる手に噛みつく者は、たいてい自分を蹴りつける長靴を舐めるものである。


            ♱


空っぽの頭は、実は空ではない。ゴミで一杯になっているのだ。空っぽの頭に何かを詰め込むのがむずかしいのは、このためである。

            ♱


人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。


※エリック・ホッファー(1902-1983)アメリカ、社会哲学者。『魂の錬金術』(作品社、2003)。

2025年3月19日水曜日

次の本ができるまで その323

万能川柳 

3月15日に掲載されました。
いや、それだけの話ですが……。



2025年3月14日金曜日

つぎの本ができるまで その322

少年の頃に…


田舎の風呂屋の脱衣場に貼ってあった「月曜日のユカ」の映画ポスター。ポニーテールの加賀まりこが男物のワイシャツを羽織って、ちょっと拗ねたような表情でこちらを見ているというものだった。ポスターを見てぜひ映画を観たいと思ったが、結局見ずじまいで、ポスターの印象だけが脳裏に焼き付いている。風呂上がりにはいつも〈フルーツ牛乳〉を飲んだ。



                 ✦



「黒のシリーズ」は田宮二郎の当たり役で、面白かった。刺激の少ない田舎の中学生にはちょっとしたシーン(恋人が悪人に連れ去られ、あわやというところで主人公に助けられる)にハラハラドキドキした。同じ理由で「眠狂四郎シリーズ」や「くノ一シリーズ」もものすごく楽しみにしていた。映画を見ながらいつも〈さきイカ〉を食べた。



                 ✦



「鬼婆」は初めて見た成人映画だ。中三だった。友だちと三人で観に行ったが、期待はまったく裏切られた。主人公の乙羽信子と吉村実子が、ボロを身にまとい山小屋のような場所で言い争ったりするもので一向に面白くなかった。あとで知ったが新藤兼人監督の芸術作品だったらしい。帰りに三人でぼやきながら〈お好み焼〉を食べた。



                 ✦



岩下志麻の「五瓣の椿」も忘れられない。身内を殺された娘が、その美貌を武器に復讐する話だったと思うが、最後のほう、屋形船の中で悪代官を相手の濡れ場があり、そこで乳房がポロリと出るシーンがあった。時間にすればわずか一、二秒のこの場面がいつまでも忘れられなかった。外にでて米屋で〈プラッシー〉を飲んだ。



                 ✦



土曜日の午後、学校の帰りに「日本春歌考」を見た。高校生だった。どんな話だったかまったく覚えていない。主演は荒木一郎だったと思う。二本立てで「夜の夜光虫」という映画も見た。主役の大原麗子は可愛かった。田舎にはゼッタイにいない女の人だと思った。ストーリーはもちろん覚えていない。帰りにガード下で〈タコ焼き〉を食べた。


※記憶があいまいなまま書いているので、思い違いがあるかもしれません。不悪。

2025年3月2日日曜日

ケイト・ショパン『1時間の物語』

 『1時間の物語』ケイト・ショパン

ケイト・ショパン(1850-1904)はアメリカ、セントルイス生まれの女性作家です。 彼女が育った19世紀のアメリカは、いまよりずっと女性の立場が弱く、 結婚するまでは父親、結婚後は夫の所有物として扱われ、 子供を育てるのが唯一の存在意義であった時代でした。

『1時間の物語』はそんな時代の物語です。 心臓の病気で寝込んでいる妻に夫の訃報が伝えられると、妻はショックのあまり自分の部屋に鍵をかけ閉じこもります。 周囲は病気が悪化するのを心配し、なんとか部屋から連れ出そうとしますが……


※1893年に「ヴォーグ」に掲載された本作が、現代のフェミニスト文学運動の始まりであると言われています。
(ウィキペディア)

2025年2月10日月曜日

次の本ができるまで その321

 どこかで聞いた言葉


人 間

この世界は人間のいないときに始まり、人間がいなくなって終わる。(レヴィ=ストロール)



時 間

一日一日はたぶん時計には公平なのだろうが、人間には公平ではない。(プルースト)



現 世

現世は悲惨の谷間、不満の井戸、悲しみのスープ、不運のサラダボール。(ゴビノー)



悪 意

個人的な利益と結びつかない悪意は性格からくることが多い。(バルザック)



幸 福

我々人間の願いは幸福に生きることであって、幸福に死ぬことではない。(モンテーニュ)




この奇妙な絵は、ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン[1470-1533]の「Laughing Fool」。

年賀状に使おうかなと言ったら妻から叱られました。

2025年1月24日金曜日

宮武外骨『我が家の猫いらず騒動』

 『我が家の猫いらず騒動』宮武外骨


政治家や官僚など権力の腐敗を追及した反骨のジャーナリスト宮竹外骨は、自著『自家性的犠牲史』で、明治十八年より昭和三年までの四十三年間に十六人の妾がいたことを告白しています。彼が言うには、蓄妾には『娯楽的』と『実用的』の二種があり、彼の場合は一夫一婦制の実用を兼ねた娯楽で、俗に言う『炊き転び』であり『小間ざわり』であり『カリ(仮)の妻』であると説明しています。今回の作品『我が家の猫いらず騒動』は昭和三年、外骨が六十二歳、妻の小清水マチが三十二歳のときに発覚した浮気騒動の顛末記です。


※宮武外骨(みやたけ がいこつ)=とぼねとも言う。香川県生れ。1867(慶應3)年-1955(昭和30)年。