2019年10月1日火曜日

次の本が出来るまで その141

「The modern series of English literature」


芥川龍之介が大正14年頃、旧制高等学校生向けに編纂した英米文学短編集。
全8巻中2冊を幽霊譚にあてたシリーズ構成が芥川らしい。原文で読みたい方は近代ライブラリーで。全巻のリストを掲載します。


※校正もなにもしていません。誤植があればゴメンなさい。2018年にこのうちの20篇を翻訳した「芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚」が岩波書店より発売されています。

2019年9月25日水曜日

次の本が出来るまで その140

『仮名世説』


『仮名世説』は蜀山人が「世説」に倣い近世の逸話、名言を蒐めたものです。
近松門左衛門の辞世の文章を掲載します。


※そろそろ辞世の準備をしないと…といいつつ何年過ぎたことやら。

2019年9月18日水曜日

次の本が出来るまで その139

式亭三馬『小野□(竹かんむりに愚)譃字尽』より







※ハンコのデザインらしい。

2019年8月27日火曜日

石兮『芭蕉翁附合集評注』

『芭蕉翁附合集評注』石兮


『芭蕉翁附合集評注』は江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)が編集した「芭蕉翁附合集」に石兮(せっけい)という人が一句ごとに短く解説を附したものです。つけ句を学ぶ人には必携の教科書だったようで、確かにこれを読めば芭蕉が極めて優れた言葉の使い手であったことがよくわかります。

ひとつふたつ抜き出して掲載します。



やさしき色に咲ける撫子


四ツ折の蒲團に君が丸く寢て


これも翁の例の恋句なれば、きもつぶるるまでよき句なり。四ツ折の蒲団の上にそつと丸く寢たる姿、えもいわず艶なるべし。さては前句の撫子にたとえたるこころなり。



さまざまに品かはりたる戀をして


浮世の果はみな小町なり


前句はすきずきしき人の、さまざまに恋したるなり。後句轉じて観想の情をおこし、小町の果をいいて、哀情多し。少壮いくばく時ぞ老いをいかんといえるこころなり。


※わたしも常に携帯し事ある毎に読み返すつもりでいます。いまはね。

2019年8月16日金曜日

次の本が出来るまで その138

覚え書き(2)


仕事

仕事ほど私を魅惑するものはない。私は何時間ものあいだ、すわったままでそれを見ていることができる。

問題

われわれの社会の悲劇は第一に真の問題に取り組まないことだ。第二にたとえ真の問題に取り組んだとしても、それらをどう解決すればよいかわからないことだ。第三に、真の問題とは何かを知らないことだ。

選挙

選挙とは耄碌した人たちによって四年ごとにくり返される譲位である。

お金

人が他人から借りた金を、いっそう自由に、いっそう楽しく享受するのは、必要に迫られて余儀なく借りて使うのではないときであり、自分の意志においても運命においても、この金なしに済ませるだけの力と手段をもっているときである。

対立

野心、貪欲、残忍、復讐は、それだけではまだ十分にその本来の自然的な激しさをもたない。正義とか信仰という輝かしい名目で、それらに火をつけ、煽り立てようというのである。われわれは、邪悪が合法的となり、為政者の許しを得て徳の外套を着るときほど、悪い状態を想像することができない。

※この暑さと隣同士の口喧嘩にはウンザリする。

2019年7月25日木曜日

次の本が出来るまで その137

覚え書き



妻の心得

妻は「夫に対しては、心にもない敬意のこもった、疑いぶかい尊敬をもって接すべし」。


困難

何ごとにつけてもそうである。困難は事物に価値を与える。


医者

医者の話を要約すると
「地から生まれ、草の中を匍いまわり、家を背負い、血をもたない動物を食え」。


戦争

私的な利害や情念から生じる内心の苦慮を(われわれがいつもそうするように)義務と呼んではならない。謀反的な邪悪な行為を、勇気と呼んではならない。
彼らは邪悪と暴力へ向かう自分たちの傾向を熱心と名づけている。しかも彼らを昂奮させているのは、大義名分ではなくて、彼らの利益である。彼らが戦争をあおり立てるのは、それが正義だからではなくて、それが戦争だからである。


有能

知識のある人は、すべてにわたって、知っているわけではない。けれども有能な人は何ごとにも有能であり、無知においてすら有能である。


老年

老年はわれわれの顔よりも、むしろわれわれの精神に皺をきざむ。年老いて酸っぱい、かびくさい匂いをただよわせないような霊魂は、まったく見られない。少なくともごく稀にしか見られない。人間は成長へ向かうにも、衰退へ向かうにも、心身一体で進む。


恋愛

恋愛は、人が恋愛より以外のものによって結ばれることをきらう。そして、結婚というような別の名目のもとに結ばれ保たれる交わりには、恋愛は消極的にかかわりあうにすぎない。

※なるほどと思った言葉を抜書きしました。適宜掲載します。見出しは勝手につけています。

2019年7月22日月曜日

次の本が出来るまで その136

小野篁歌字尽


古来より小野篁歌字尽と伝えられるものあり。果して篁の作か聊か疑いなきにしもあらず。参考までに掲載す。


※全部で119首ある。すこし多すぎる。

2019年7月11日木曜日

次の本が出来るまで その135

与謝野晶子


『夏より秋へ』(大正3年・金尾文淵堂)よりいくつか掲載します。


※今恋をしているあなたに。

2019年6月26日水曜日

漱石『モナリサ・懸物』

『モナリサ・懸物』 夏目漱石



漱石の短編集『永日小品』より「モナリサ」と「懸物」の2作を選びました。「モナリサ」は古道具屋で買ってきた薄汚れた複製画(モナリザ)をめぐるあれこれ、モナリザもダビンチもまだ知られていない当時の見方が面白かったので選びました。「懸物」は死んだお婆さんの三回忌に墓を建てるため家宝の掛軸を売りにゆく年寄りの話です。両方とも古物を扱った黴臭い物語ですが、私はこんな話が好きです。


※函にいれてみました。題字はいつもの中村不折。

2019年6月22日土曜日

次の本が出来るまで その134


愚見数則


言者不知 知者不言


言う者は知らず 知る者は言わず。よけいな、不確かなことを喋々するほど、見苦しきことなし。いわんや毒舌をや、何事も控え目にせよ、おくゆかしくせよ、むやみに遠慮せよとにはあらず。一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬことばかりならば糞紙に等し。
損得と善悪を混ずるなかれ。軽薄と淡白を混ずるなかれ。真率と浮跳とを混ずるなかれ。温厚と怯懦とを混ずるなかれ。磊落と粗暴とを混ずるなかれ。機に臨み変に応じて、種々の性質を表わせ、一有って二なき者は、上資にあらず。(夏目漱石)

※自戒をこめて。

2019年6月14日金曜日

次の本が出来るまで その133

死にかた



 死にはさまざまな形があり、或る死は、他の死よりもいっそう容易である。死は、各人の想像によってそれぞれ異なる性質を帯びる。

 自然死のなかでは、衰弱と麻痺からくる死が、私には最もおだやかで楽なように思われる。急激な死のなかでは圧しつぶされて死ぬよりも、断崖から落ちる方が、いっそう楽ではない、と私は想像する。私だったらカトー*のように剣で自分を突くよりも、ソクラテスのように毒を飲んだであろう。

 結局おなじであるとはいえ、私の想像は、燃えている大釜のなかに飛びこむのと、ゆるやかな河の流れに飛びこむのとでは、死と生とほどの差異を感じる。それほど愚かにも、われわれの恐怖は、結果よりも手段を重視する。

 それは一瞬でしかない。けれども、これは重大な一瞬であるから、私はそこを自分流に通過するためには、喜んで私の一生の何日かを提供するであろう。

 各人の想像は、死の辛さを、多くあるいは少なく見いだすのであるから、また各人はいろいろな死にかたのなかでいくらか選択ができるのであるから、もう少し前進して、まったく不快をともなわない死にかたを見いだすようにつとめよう。  
                           モンテーニュ「エセー」

*カトー=ローマの政治家。ストア哲学を学んだ。共和政を支持、ポンペイウスに味方してカエサルに反抗。ポンペイウスの死後、アフリカに渡ったが、カエサルの追討を恐れて自殺。小カトー。


※そうだね。

2019年6月8日土曜日

次の本が出来るまで その132

道号


松永貞徳(号長頭丸、又明心居士)云う、相國寺の仁如和尚の御門弟に、俗男の儒学を志し、詩作を自慢せしものあり。入道して道号(どうごう)を和尚に申しければ、彼が心中を知ろしめしたりけん、ただ其方の思うように付かれよ、と宣いしに、東坡山谷*が片字をとりて、坡谷菴(はこくあん)と付きけり。人々きたなき菴号**かな、と笑うよしを聞きて、“菴”の字をのけて“斎”の字に付きたけれど、いよいよ呼称悪しくなりて人に笑われし、と由己法橋かたられ侍りし、大笑い、大笑い。
                               「仮名世説」

* 東坡山谷=蘇東坡、黄山谷、共に宋の詩人
** きたなき菴号=はこは糞のこと

※現代でいえば雲竹菴、雲竹斎ですかね。

2019年5月24日金曜日

次の本が出来るまで その131

短句



短句とは「七七」の十四文字でつくられます。これは連歌の前句である「五七五」が俳諧や川柳になったあとの「七七」が独立したもので、宝暦頃に流行しました。いくつか掲載します。


※前に言葉を入れたくなるのはわたしだけ?

2019年5月16日木曜日

永井荷風『罹災日録抄 偏奇館炎上』

『罹災日録抄 偏奇館炎上』


「罹災日録」(扶桑書房・1947年)は荷風が大正6年から昭和34年まで42年間書き続けた日記「断腸亭日乗」の昭和20年分だけを選抜したものです。今回はさらに絞り込み3月9日未明の東京大空襲後の3日間を選んで製作しました。この空襲による死者は10万人以上といわれ「偏奇館」も全焼します。最後の様子を眺める荷風の心情はいかばかりか、歴史に残る大空襲3日間のドキュメントです。




※何があろうと戦争はだめ。そんなことすら理解できない輩が政治家だなんて…。

2019年5月9日木曜日

次の本が出来るまで その130

女性


女性に対しての格言(皮肉や毒舌)を集めてみた。これらがすべて真実だとは思わないが。


後悔 Regret


貞淑な女たちは、犯さなかった過ちが残念でならない。(サシャー・ギトリー)

秘密 Secret


女が守る唯一の秘密は自分の知らない秘密である。(セネカ)

四つの真実 Quatre Vérités


私の体の四分の三が墓に入ったら、女についてどう思うか口にしよう。それから墓穴の蓋石を勢いよく閉めよう。(レフ・トルストイ)

年齢 Âge


一人の女はさまざまの年齢をもつ。見かけの年齢、友人たちが与えている年齢、彼女が告白する年齢、そして彼女が隠している年齢である。(アシール・トゥルニエ)

手への接吻 Baise-main


私は男が初対面の女性の手に接吻する習慣に賛成である。いずれにせよどこかから始める必要があるのだから。(サシャー・ギトリー)

おしゃべり Bavardage


私が妻には話しかけなくなって二年になる。それは彼女の言葉をさえぎらなかったからだ。(ジュール・ルナール『日記』)

女が黙るのは何かを言おうとしているからだ。(ジョルジュ=アルマン・マソン)

身持ちのよい女 Honnête


「それじゃ身持ちのよい女というのはいないのかい。」
「そんなことはない。思っているより多くいるよ。でも言われているほど多くはないがね。」

不倫 Infidélité


女の中には、その不倫だけが、彼女らをまだ夫に結びつけている唯一の絆であるという人達がいる。(サシャー・ギトリー)

女には二種類しかない。不倫をする女と、不倫はしていないと言い張る女である。(マルセル・アシャール)

知性 Intelligence


彼女が知的に見えるのは、彼女が自分に理解できないことを聞いているときだけだ。(ジュール・ルナール『日記』)

※私は女性とは花が散るのを見ても涙をながすセンチメンタルな生き物だと思っている。えっ! 違うの!。

2019年4月28日日曜日

次の本が出来るまで その129

大田垣蓮月


江戸後期の女流歌人。京都の人。名は誠(のぶ)。夫の没後、尼となり、法名蓮月を名乗る。陶器を作り、自詠の歌を書いて生活の資とした。


※たまにはしっとりとした情感を味わうのも興。たまにはね。

2019年4月17日水曜日

次の本が出来るまで その128

芭蕉「笠張説」


ある日、芭蕉は「あーぁ、なんかやる気出ないし、気分転換に笠でも作ろうっかな」と言ったとか言わなかったとか。


※どうやら上出来ではなかったようです。

2019年4月10日水曜日

次の本が出来るまで その127

ただ何となく「春は曙」


『枕草子』の一節を文学士 中村徳五郎訳で掲載します。


※新しすぎないのがいいですね。

2019年4月1日月曜日

フレデリック・ブウテ 森鷗外訳『橋の下』

『橋の下』フレデリック・ブウテ 森鷗外


物乞いをして暮らす「一本腕」は橋の下で寝起きしている。雪の降るある日、いつものように帰ってくると見知らぬ老人がいた。穴だらけの外套を着、白い髭を生やした男は「一本腕」と同じ境遇のように見えた。老人は横になったまま「一本腕」が手にした一切れのパンを物欲しげに見ている……。



※都会では今もありそうな話です。

2019年3月27日水曜日

次の本が出来るまで その126

草木の異名


誰がいつ名付けたのか、花や草にはそれぞれ名前がある。また正式な名称のほかに通名で呼ばれることもよくある。いくつかを紹介する。


※私は花を知らない。花も私を知らない。

2019年3月19日火曜日

次の本が出来るまで その125

相對死(あいたいじに)

※原文に適宜送り仮名を入れました。

元禄八(1695年)亥十二月七日、摂州西成郡下難波領(今の大阪難波千日前あたり)墓所南側石垣の根畑にて、年頃三十四、五の男と年二十四、五の女、咽を切り二人とも相果て居り候。

一、男の疵は咽二寸ほど、腹臍の上一寸ほど、突き疵に相見え申し候
一、女の咽四寸ほど、突き疵えぐり候様に相見え申し候

男の衣類
一、郡内縞両面綿入れ 一ツ
一、つむぎ茶帯    一すじ
一、羽二重下帯    一すじ
一、皮足袋      一足
一、珠数       一連 (手に掛け罷在候)
一、脇差       一腰 (拵え焼付金具長二尺一寸 糸柄)
一、小刀 (但し脇差しの鞘に御座候) 銅柄

女の衣類
一、日野すす竹小紋綿入れ 一ツ(但しひの茶裏)
一、郡内縞綿入      一ツ(但し同しま紫色裏)
一、京ろく帯       一すじ
一、緋ゆく        一すじ
一、もめん足袋      一足
一、縮緬ふくさ      一ツ(但し紅裏)

  右の通り男女着し居り申し候

一、封じ状(遺書) 一通
   三勝母殿
   みのや半左衛門殿

一、木綿茶色布子(但しこれは二人の者の下に敷居り申し候)


  右の通り吟味仕り候処相違い無く御座候 以上


元禄八年亥十二月七日


遺書の文
為参候。御袋様にはいつぞやくれぐれ申し置き候事も、みないつはりと成り、今更に恥ずかしく存じ候得ども、しかし果古(過去)のこうなりとおぼしめし、御あきらめ頼み存じ候。此の度三勝わたくし斯く相果て候事、嘸々(さぞさぞ)にくしと思し召候はんなれども、たがいに捨てがたき一命をかけ、斯く成り行き候事くどく具(ここ)にかかずとも、恋の切なる事、推いりやう可被下候。各様にも身の上の大事なる娘、我身もひとりの母と申、殊にはしんしよの中もわきまえず、人口にかかる死をとげ申し候。めいめい浮気なりとは思し召被下まじく候。兎にも角にも筆にはいわせがたく候まま、なからん跡不便(不憫)と思し召、よろ敷くたのみ存じ候。次第にあとには志れ不申し候間、筆をとめ申し候、以上。

 十二月
   三勝どの
    御袋殿                半  七
    半左衛門殿



※この事件はのちに「三勝半七」という名で浄瑠璃や歌舞伎などに脚色され人気を博しました。
 古柳句に「心中はほめてやるのが功徳なり」とその行動を肯定するような風潮もあったようです。