無題
『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)より短文を掲載します。
大学の構内を歩いて居た。
病院の方から、子供をおぶつた男が出て来た。
近づいたとき見ると、男の顔には、何といふ皮膚病だか、葡萄位の大きさの疣(いぼ)が一面に簇生(ぞくせい)して居て、見るもおぞましく、身の毛がよだつやうな心地がした。
背中の子供は、やつと三つか四つの可愛い女の児であつたが、世にもうらゝかな顔をして、此の恐ろしい男の背にすがつて居た。
さうして「お父ちやん」と呼び掛けては、何かしら片言で話して居る。
その懐かしさうな声を聞いたときに、私は、急に何者かゞ胸の中で溶けて流れるやうな心持がした。(大正十二年三月、渋柿)
※ありますね、こんな事。
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