厄除け詩集
いくつかを掲載します。
佐藤春夫の『あじさい』は1800字ほどの掌編です。
重病を患った小さな女の子が眠る座敷で、女とその恋人らしき男がそれぞれの想いに耽っています。女は夫を思い出しながら、「あの人があんなふうにして不意に死んだのでなかったら、仮にまあ長い患のあとででもなくなったのであったら、きっと、あなたと私とのことを、たとえばいいとか決していけないとか、何かしらともかくもはっきりと言い置いたろう……」と話はじめます。
言葉に打たれぬ者は、杖で打っても効き目がない
アリにも羽アリにも怒りはある
金の靴をはいても猿は猿
魚は頭から臭いはじめる
カドメイアの勝利
勝つには勝ったが、負けたのに等しい打撃を受ける、そういう勝ち方のことをいう。
出典『ギリシャ・ローマ名言集』(岩波文庫)
筆で手紙を書きたいと思いたち、書道教室に通ったことがあります。が、漢字の臨書で頓挫しました。いまだに手紙を書く時(ここ何年も年賀状以外書いたことはありませんが)一文字ずつ小学生の漢字ノートのように書いていました。細い筆で流れるように書いた手紙は美しいものですが、読むのはなかなか難しいようで、先日こんな文章に出会いました。
今の世に用ゆる所のかなは、尊圓以来の姿にやとおもはる。いと古き代のかな文は、一向何やらんよめ侍らず。かなの姿の今の世ならぬを、連綿して略しぬればよめぬはづ也。今時の女用のふみ、日用の手紙の略草も、古人を蘇生せしめなば、一向によめまじとおもはる。古のふみの詞遣(ことばづか)ひなぞは、今の代の好古のものは覚了し侍れ共、字体字行の違(ことな)る故によめぬ也。まして降れる代の文体、なをしも古人のよめかぬべき也。静斎先生の強記秀才にても、慈円のかなぶみは一向によめず。めでたくかしこのみよめたりとの事也。
尊円=尊円親王。伏見天皇の第六皇子。南北朝時代の書家。小野道風や藤原行成の書、さらに中国の書風をも取り入れて青蓮院流を確立。
静斎=斎静斎(いつきせいさい)江戸中期の儒学者。服部南郭に徂徠学を学び,京で講説。また医を業とした。
慈円=鎌倉初期の天台宗の僧。関白藤原忠通の子。九条兼実の弟。「愚管抄」の著者。
『異説まちまち』文化十年(1813年)烏江正路
写真は昭和10年発行の『手紙講座』(平凡社)という本に掲載の見本です。読めない私が言うのも何ですが、こんな手紙がすらすら書けたら楽しいでしょうね。
ぼくの考えをいうと、未来は考えないで、目の前のことだけを見ている方が好きだ。
事物の本性のなかに未来を読もうともしない。
誰の身に起ころうと重要な出来事はすべて予測を超えていて、予見できないものだ。
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憂鬱症の人たちはどんな考えに対しても悲しい理由をちゃんと見つけてしまう。何を言われても傷ついてしまう。彼らを憐れめば、侮辱されたと思い、何も文句を言われないと、自分はひとりぼっちなのだと思いこむ。彼らはグルメのように、悲しみの味を賞味している。
❊
ぼくがもっともよく慰められる考えは、混乱が引き起こされているほとんどすべての原因は、自分自身を考えすぎるということだ。
❊
われわれの社会は、求めようとしない者には何ひとつ与えない。
使いたいと思っている者にはお金はたまらない。当然のことだ。なぜなら、彼の望んでいるのはお金を使うことであって、儲けることではないから。
※昨夜は大きな月を見た。美味しい筑前煮を食べた。少しギターが弾けるようになった。ささやかな喜び。
今回は本文より印象的な見出しを選んでみました。「蛇の牙」などはハードボイルド小説にありそうです。
光への敵意
知性のペシミスト
科学の砂漠にて
蛇の牙
罪悪感なき世界
勝利なき力
快感と錯誤
危険な書物
屈辱
成り上がり者の哲学
無垢な悪党
武装した無知
習俗とその犠牲
剽窃の天才
冷たい書物
展望と回顧
博物学の語り方
射手と思想家
ゲーテの錯覚
深いひとたち
幻滅
山中の漂白者の独り言
永遠の子供
隠匿の達人たち
時には
人食い人種の国から
倦怠
神々の嫉妬
言葉のにおい
彩色された骸骨
治療法としての戦争
運命と胃袋
※40年ぶりにギターを弾こうとしましたが、指先がマシュマロみたいに柔らかくなっていて、力をいれて押さえてもきれいな音が出ませんでした。情けないことです。
ニーチェ全集(昭和49年、理想社)第五巻『人間的、あまりに人間的Ⅰ』より抜粋しました。不定期に掲載します。
病人の忠告者──
病人に忠告をあたえる者は、それが受け入れられてもはねつけられても、相手に対する或る優越感を覚える。それゆえに敏感で誇りの高い病人は忠告者を自分の病気以上にもっと憎むのである。
待たせること──
人々を憤慨させて邪悪な考えを思いつかせる確かな手段は、彼らを長く待たせることである。これは道徳的ではない。
自殺者の身内の者──
自殺者の身内の者は、彼が自分たちの評判を顧慮して生きていてくれなかったことを遺憾とする。
証人が居合わせること──
人は水に落ちた人間の後から二倍もいさんでとび込む、そうする勇気のない人々が居合わせている場合には。
一種の嫉妬──
母親たちは自分の息子の友人たちが特別の成功をすると、すぐ彼らをねたむ。通常母親というものは息子そのものよりも息子のなかにある自己を愛しているのである。
さまざまな溜め息──
幾人かの男たちは彼らの妻の駈け落ちを歎いた、たいていの男たちはだれも彼らから妻を奪い去ろうとしてくれなかったことを歎いた。
※次の本にと思っていましたが、うまく纏まりそうもないのでこちらに掲載します。
──バスで寝過ごした私は遍路岬にあるたった一軒の宿屋「へんろう宿 波濤館」に宿泊することになった。この宿は宿屋としてはまったく貧弱であるが、五人も女中がいる。三人のお婆さんと、二人の女の子である。その日の夜中、隣の部屋で、泊りの客とお婆さんが、酒を飲みながら話をしているのが聞こえてきた──
『へんろう宿』は井伏が室戸岬への旅の途中に着想を得て書いた作品だと言われています。実際にこのような宿があったかどうかは不明です。
※YouTubeに朗読の動画があります。興味がある方はお聴きください。
天明の春ごろ、ひとり流浪の士が、六、七歳の男の手をひき両国橋にやって来た。
見るからに粗末な衣服を着ているが、腰には一刀を帯している。男の子は破れた単衣(ひとえ)を着て、春先の寒さに身体を震わせていた。
二三日食べていないと見え、子は「とと様、ままが食べたい」と訴える様子が、見ていても哀れだった。親は涙ながらに「今に何なりともたべさせん」と、だましつすかしつ来たところ、橋のこなたの店先に、ふかした琉球芋がうず高く積まれていた。それを見て子は「あの芋が食べたい」と泣きだした。
この憐れな様子を橋ぎわで草履を直す非人が見兼ねて、声をかけた。
「誠に失礼ではございますが、私にも子供がおりますので、そのお子さまのひもじい思いはよくわかります。なにとぞそのお芋を差上げたく存じます。よろしければ食べさせてあげて下さいませ」と、小銭をさし出した。浪人は涙ながらに「さてさて情深きおこころざしかたじけなく存じます。お礼の申しようもございません。そのおこころざしありがたく頂戴いたします」と、すぐさま子供に腹いっぱい芋を食べさせ、その様子を親は涙ながらに眺めると、非人の前にやってきて「ごらんの通り十分に食べさせました。このお礼は死んでも忘れはいたしませぬ」と、涙とともに厚く礼を述べ、もと来た橋の方へ歩き出した。
二人がちょうど橋の半ばに来た時、浪人は子供を抱えあげるといきなり川へ投げ入れた。人々が驚いている間もなく、自らも川に身を投げた。二人とも溺れ死んだという。不憫というも余りある話である。
『宮川舎漫筆』より
※文章は現代文にしています。
粗末な家の名称を並べてみます。むかしは俗世間を嫌い山奥に住む人を「隠者」と呼び、その住まいを山居、閑居、村居、田家などと言ったそうです。今ならすべて「小屋」「ボロ家」でしょうね。
草屋(そうおく) 草亭(そうてい) 草舎(そうしゃ)
草堂(そうどう) 草菴(そうあん) 茅屋(ぼうおく)
白屋(はくおく) 破屋(やぶれや) 蔽屋(へいおく)
柴門(さいもん) 柴扉(さいぴ) 蝸舎(かしゃ)
草蘆(そうろ) 寒窓(かんそう) 尖頭蘆(せんとうろ)
賎屋(しずのや) 葦家(あしのや) 埴生小屋(はにゅうのこや)
四阿(あずまや) 萱軒(かやがのき) 草の戸(くさのと)
柴戸(しばど) 縄樞(なわすだれ) 仮庇(かりのひさし)
竹簀垣(たけすがき) 筵屏風(むしろびょうぶ) 菰簾(こもすだれ)
前々回書いたように、展覧会でこの作品を見て草鞋が目に止まりました。画題は「石山寺」。参拝に訪れた老夫婦が手を合わせてなにか真剣に祈願してる様子を描いています。
というわけで、ここしばらく草鞋を作っていました。
作りながら、なににしても一人前になるのは簡単ではないと感じました。
※とにかく出来たことでひと安心。履いて歩くのはあとで。次の本にやっとかかれます。
しばらく前の朝のことです。
横断歩道で信号待ちをしている私の横に
自転車に乗った母子連れがやってきました。
保育園に行くのかな、と見ていると
女の子が突然、よく通る声でお母さんにこう言いました。
「ねぇママー、たましいってなにー?」
「!」私は、お母さんがどう答えるかを待っていました。
しかしお母さんは娘の声など聞こえなかったように
無言のまま前の信号機をみつめていました。
信号が変わり二人の乗った自転車は走り去って行きました。
私なら何と答えるだろうと考えましたが
考えれば考えるほどわからなくなり、あきらめました。
前句付とは連歌・俳諧で、ある下の句(短句)の前句に対して、上の句(長句)の付句を試みること。(コトバンク)より
一例を紹介します。
『安価生活三百六十五日料理法』(明治44年)に掲載の献立です。100年前の庶民は毎日何を食べていたのだろうと思い調べてみました。作り方は省略します。
11月15日(月)
わかめ汁 タイのあらい 大根がんもどき芋の煮付 じゃが芋焼豆腐 カツオの刺身
フナの雀焼
11月16日(火)
ネギとからし菜の味噌汁 いわしの干物 鳥とこんにゃくの旨煮 サバのせんば汁
奈良漬
11月17日(水)
豆腐味噌汁 金がしら塩焼 ネギのぬた 棒ダラ大根煮 うずら豆 じゃが芋と牛肉
軽便カレー粉
11月18日(木)
蕪の味噌汁 塩ダラのなます 切昆布煮付 いかの天ぷら ヒラメ刺身 うずら豆
ハゼの佃煮
11月19日(金)
わかめ味噌汁 かこい南瓜煮付 塩クジラとネギの汁 三つ葉とあさりの卵とじ
カレイの煮付 べに生姜
11月20日(土)
ぜんまい味噌汁 ニシンの昆布巻 切干大根二杯酢 ブリと蕪のあんかけ うずら豆旨煮
わさび粕漬
11月21日(日)
豆腐と小芋の味噌汁 あわびの旨煮 干瓢とはすの甘煮 あみの塩辛 塩サバ焼物
※自分の小さいころ(当方古稀)を思い出してみると、この献立はかなり豪華な気がします。
たぶん私の家が貧乏だったのでしょう。
お祖父さんに魚を食べさせる。
もしもお祖父さんが中毒しないで、命に別状がなかったら、
家じゅうの者が魚を食べる。
♦︎
悪德──それは人間が背負って生れた袋である。
♦︎
死は怖ろしい。だが、永劫に生きて決して死ぬことがないと意識したら、
もっと怖ろしいことだろう。
♦︎
特別寝台の乗客──それは社会の屑だ。
♦︎
ああ戦慄すべきは骸骨ではなくて、私がもはや骸骨に恐怖を感じないという事実だ。
♦︎
野原の遠景、白樺が一本。その絵の下の題名に曰く、〈孤独〉。
♦︎
自分が悪いと感じる人間だけが悪人であり、従って後悔もできる。
♦︎
幸運に恵まれた、何でもトントン拍子に成功する人間は、
時として何と鼻持ちのならぬことだ!
♦︎
まだ母親の胎内(はら)から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。
♦︎
彼は己の卑劣さの高みから世界を見おろした。
♦︎
あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って
「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。
※以前製作した『21のことば』より選びました。
知恩寺の青空古本市に行った。
本棚を眺めていると、5歳ぐらいの女の子とお父さんが来た。
女の子が「わたし、これがいい」と重そうな本を棚から取り出した。
私はちらっと表紙を見た。
『ブッダのことば 中村元』とあった。
お父さんが「それ、すこし難しくないかい」と心配そうに言うと
女の子は「ううん、わたし、ひらがな読めるから」とページを開いて
「に、か、な、つ、た、い」と声を出して読み始めた。
一字づつだが、たしかにひらがなは読めるらしい。
しばらく見ていると、もう読むのに飽きたのか
「やっぱり、これいらない」と父親に本を押し付けて
ひらひらとどこかへ駆けていった。
※チェーホフの全集を何冊か買う。読まないくせに。
『流渦』は幻想的な掌編を集めた百閒の処女短編集『冥土』の中の一篇です。漱石の『夢十夜』に触発されて書いたと言われています。どれも薄気味悪い話ばかりですが、読み出すとやめられない面白さがあります。今回は『流渦』を選びましたが、『雪』や『木蓮』も捨てがたい味があり選択に迷いました。芥川が推した『冥土』や『旅順入城式』もふくめ一読をおすすめします。
刑罰は善をなそうとする気持を生まずに、悪を犯しながらつかまるまいとする気持だけを生む。
❖
人間と人間のあいだには、動物と人間とのあいだにおけるよりも、いっそう多くの差異がある。
❖
昔のあらゆる予言のなかで、最も古く、最も確実なのは、鳥たちの飛びかたから引き出される予言であった。
❖
少しも苦痛をもたないこと、これが人間の望みうる最大の幸福である。
❖
現在という時はない。われわれが現在と呼ぶところのものは、未来と過去との接ぎ目でしかない。
❖
正しい行為の報いは、それを為したということである。
❖
「許されないことだから、だめよ」と言う女は、「いいわ」と言ったも同然である。
哲学は理屈を並べた詩にすぎない。
※人間の生命など大河の一滴にすぎないという。このちっぽけな感じが好きです。
──お月様のお話です──
昨日のことです。家の軒(のき)の間にあるせまくるしい内庭を照らしてみました。
そこには雛鳥が十一羽と、親鶏が一羽いました。
そこへ小さな可愛らしい少女がやってきて、その鶏どものまわりを、ぐるぐる廻りはじめました。
鶏はびっくりして、コッコッと大きな声で啼きながら、しかしその羽根をひろげて、雛を庇ってやっていました。
そこへ、お父さんがやってきました。そしてこのいたずらな少女を叱りつけました。
私はそれきり、この事は忘れてしまって、空をながれ去ってゆきました。
それから数分の後でしたが、またその内庭を照らしました。今度はまったく静まりかえっていました。
ところが、突然また例の少女が、足音をひそまえながら、そっと鶏小屋にちかよってきました。そして、閂(かんぬき)をはずして、親と雛の鶏のところにしのび込みました。
寝ていた鶏はびっくりして啼き叫んで飛び廻ります。少女はその後を追いかけ廻すのです。
私は壁のすき間からそれを眺めながら、どうも仕方のないいたずらっ子だな、と思っていますと、またお父さんがやって来ました。そして、その少女の腕を掴まえながら、さっきより一層ひどく叱りつけました。
少女は顔をあげて、私をみあげました。その真珠のような瞳からは、大粒の涙が流れていました。
『お前は何をしているのだ?』
と、お父さんに聞かれて、少女はまだ泣きじゃくりながら、
『あたし、鶏さんに、「さっきのことは御免ね」って、あやまりにきたの…』
お父さんはこの無邪気な少女を抱きあげて接吻しました。
私も、あたりいちめんを月のひかりで接吻いたしました。
※昨日(9月21日)の満月の写真をいれる予定でしたが、月はあいにく黒い雲に隠れて見えませんでした。
われわれはときとして急に本が読みたくてたまらなくなることがあるが、そんなときなぜだかその理由が分からないこともあるし、おそらくはなにかほんのちょっとした暗示の結果によることもある。昨日も私は夕暮れに散歩していたが、そのときある一軒の古い農家のところにでた。庭の木戸のところに車が止まっていたのでよくみると、それは顔見知りの医者の二輪馬車であった。行きすぎて、ふり返ってみた。煙突の向こうの空には、かすかな夕映えがまだ残っていた。二階の窓の一つには灯が一つきらめいていた。私は、「あ、『トリストラム・シャンディ』だ」と独語した。そして、おそらくは二十年間もの長い間開いたこともない本を読もうと大急ぎで家に帰っていった。
人間一般を知ることは人間個々を知ることよりも容易である。
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人はその平安を自分自身のうちに見いださないかぎりどこを捜してもむだである。
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むこうの言い分もきいてやろうという気がなくなったら、もうその人の負けである。
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人間における才能の一つ一つは、樹木の一つ一つと同様、それぞれに特有な性質と力を持っている。
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この世はいかに定めなく変わるように見えても、そこには目にみえぬ一種の連続があり、常に摂理によってさだめられた秩序がある。この摂理あればこそ、万物はそれぞれの列をすすみ、その定命の流れに従うのである。
※本文とはまったく関係ない写真ですみません。ここは平安神宮近くの古本屋さん。外観からも想像できるように、店内はいい感じのカオスで、裸電球の下、積み上げた本で家が潰れるのではないかという恐怖と隣合わせの本探しはスリル満点です。近くへお越しの節はぜひ足をお運びください。
われわれはみんな他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い。
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人は自分で思っているほど幸福でも不幸でもない。
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おべんちゃらはわれわれに虚栄がなければ通用しないにせ金である。
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希望はずいぶんうそつきではあるけれども、とにかくわれわれを楽しい小道をへて人生の終りまでつれていってくれる。
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嫉妬は恋といっしょに生まれる。しかし恋が死んでも必ずしもいっしょに死にはしない。
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われわれは人生のもろもろの時期にまったく新参ものとしてたどりつく。いや、われわれはいくつ年をとっても、しばしばそこでは未経験者である。
※頷けるものもあり、そうでないものもあり、ウマいコトをいうのはムズかしい。