2016年10月21日金曜日

次の本が出来るまで その35

大雅堂


むかし、ある人が画家の大雅堂に訊いたことがあつた。


「先生、つかぬ事をお尋ねするようですが、絵といふものは一体どんなところがむづかしいので……」


大雅は一寸額へ手をやつた。


「さやうさ。絵のむづかしいところといへば、まづ、紙の上に何一つ描いてないところでせうな。」


 さすがに大雅だけあつて、絵の急所を知つている。
これを芸術家の生涯に見るも、その最も芸術的なのは、製作の最中よりも、寧ろ沈黙静思の間だといつていい。


※薄田泣菫。どの本に載っていたかは不明です。

下は大雅堂「草書千字文」の一部

天地玄黃(テンチゲンコウ)
宇宙洪荒(ウチュウコウコウ)
日月盈昃(ジツゲツエイショク)
辰宿列張(シンシュクレッチョウ)

2016年10月19日水曜日

次の本が出来るまで その34

何となく心に残ったものを掲載します。
ご存知の句もあると思いますがご寛恕のほどを。


2016年10月14日金曜日

次の本が出来るまで その33


「うき世の果てはみな小町なり」 


芭蕉翁が尚白に話したところによると「うき世の果てはみな小町なり」と云う付句はずいぶん前から頭にあったが、なかなかこれに合う前句がでない。以前、正秀庵の席で「坂ひとつ見あげて杖にものおもひ」と云う前句があった。これはまさしく年老いた小町の姿ではあるが、いまひとつ句中の実を顕すことは難しい。
その後選集を作るときに「さまざまに品かわりたる恋をして」の前句がでて、これだとばかりにこの句をつけた。これこそ浮世のあだにより百歳の老婆に色をつけ、我家の寂、俳中の教えとも云えるものだろう。若い人は参考にしてほしいと顔を輝かせたという。



2016年10月13日木曜日

次の本が出来るまで その32

志賀直哉氏のことば


幸福そうな若い美しい、金持ちの娘を見ると、どんな幸福がこの人を待っているかという気がする。この人が誰かと結婚する、其所にどんな幸福が待ちもうけられているかと思われる。
然しそれは分からない。どんな不幸が其所に待伏せしているかと考える方が真に近い。もっと正しくいえばどんな平凡さが待ちかまえているかと思う方が間違いない。現在はどんな幸福に待たれているかという予想で幸福なのである。



※「この頃のむすめは多くけもの扁」という江戸川柳もある。

2016年10月4日火曜日

次の本が出来るまで その30

芸術と天分


(前略)
 自分は思う。芸術的な気質がどんなに乏しい者でも、感覚が鉛のごとく鈍重である者でも、感情が豚の如く痴愚である者でも、どんなに心の貧しい者でも創作に与(たずさ)はつて一向差支えないものだと思ふ。創作の欣びと、鑑賞の欣びとを比べて見れば、陰と日向とのやうなものだ。どんなに天分の貧しい者でも、遠慮して、陰にのみ坐つている必要はないと思ふ。
 どんな天才者の作品を読むよりも、──ゲーテだとか、ダンテだとか、シェイクスピアだとか、近代のいろいろな天才を束にして挙げてもいいが、──自分で一句の発句を作り、一首の歌を詠む方がどんなに楽しいか。どんなに、その作品が、他人からは貧弱であっても、自分自身の物を、一行でも書く方がどんなに楽しいか。 

 自分以外のどんな天才者が作った広大壮麗な藝苑の中へはいつて行くよりも、自分自身で(他人から見ればどんなに貧しくても)自分自身の花苑を作る方がどんなに楽しいか。自分は何う考えて見ても、享受するよりも、創造する方が、どれほど欣ばしくやり甲斐のある仕事であるか分からないと思ふ。(後略)


                         菊池寛「芸術と天分」より抜萃

※わたしもそう思う

次の本ができるまで その29

ときどき唐詩(漢詩)を眺めたくなります。しっかり読むと眼が疲れるので、ぼんやりと遠い景色を見ているように、文字を眺めているだけです。字面をボーと見ているいるだけですが、いつのまにかに漢字の意味を考えたり、詩の背景を想像しています。また見たことのない漢字が頻繁に出てきます。解説文を読んで、なるほどそういう意味かと感心し、そしてすぐに忘れてしまいます。唐詩はわたしにとって最上の睡眠導入剤です。

五言古詩から『述懐』(魏徵)を掲載します。
有名な「人生意気に感ず」という言葉があります。内容は各自でお調べください。


2016年9月21日水曜日

夏目漱石『硝子戸の中』

 漱石『硝子戸の中』を作りました。ガラス戸のうちと読みます。
 この作品は大正4年(1915年)1月13日から2月23日まで39回にわたり『朝日新聞』に掲載されました。およそ100年も前のことです。
 他人にはあまり関係ないつまらぬことを書くと前置きして、作者の身辺のことや思い出が淡々と綴られています。今回はその6、7、8回分の話を抜き出し、タイトルもそのまま『硝子戸の中』としました。

 或る日若い女が自分の過去を聞いてほしいと訪ねてきます。話を聞くと女は生きることが辛いといいます。「死なずに生きてらっしゃい」と語りかける漱石ですが、日頃から「死は生よりも尊い」と思っている自分が、このような助言をすることに違和感を覚えます。

(解説が下手ですみません。だいたいそんな話です)




2016年9月13日火曜日

次の本が出来るまで その28

志賀直哉の言葉(青臭帖より)


「年をとると」といふ。
自分が年寄ったという事をエクスキュースにする傾向が近頃の自分に少しある。これは悪い。やめよう。
過去を語る興味も面白くない。気の利いた人間のする事ではない。聞きづらい事である。これもやめよう。
衣食住の通らしい事をいふ事。これも悪趣味。やめよう。
芸談、創作苦心談。これもやめ。
然し他人の悪口はやめる訳には行かぬ。但し感情入りの悪口は聞き苦しい。感情なしの悪口差支へなし。


思いあたる老人がここにもひとり。


2016年9月5日月曜日

次の本が出来るまで その27

いつものように場つなぎに句をいくつか掲載します。最後の歌はちょっと下品でしょうか。



2016年8月30日火曜日

次の本が出来るまで その26

いろは唄


「いろは唄」は仮名の手習いとして近代まで用いられました。重複のない四十七音に仏教的な意味を歌い込んだもので、弘法大師空海が作ったと伝えられています。あまり知られていませんが、これ以外にも本居宣長の作ったものや、明治36年、万朝報の懸賞で当選した坂本百次郎の「鳥啼く歌」があります。

※最近頻繁にトップページの変えるのは「すぐ飽きる」からです。



2016年8月18日木曜日

次の本が出来るまで その25

和泉式部と小式部内侍


ある日、和泉式部と娘の小式部は庭を眺めておしゃべりをしていました。
恋の遍歴を重ねてきた和泉式部は
「あーあ、面白いこともないし、いい男もいないし、なんか生きているのがいやになるわ」
こう言ってそばにあった筆と紙を取上げ一首をしたためました。
「お母さん、見せて」
隣に座って猫を撫でていた小式部は、母のほうに向き直って言いました。
母の歌を読んだ小式部はいたずらっぽく笑ながらさらさらと筆を走らせました。
(かどうかはわかりません)


嵯峨本フォントを使ってみました。



2016年8月10日水曜日

次の本ができるまで その24

七十二候(しちじゅうにこう)


「七十二候」とは、「二十四節季」をさらに約五日ごとに分類し気候の変化や動植物の様子を短い言葉で表現したものです。現在ではほとんど知らない事象もありますが、その時期の「兆し」を伝え、繊細な季節のうつろいを感じさせてくれます。以前「七十二候印譜」を作ろうと準備していたのですが、先に作りたいものができたのでやめました。

8月12日から8月末までを掲載します。ああー、早く涼しくならないかなぁ。



2016年8月1日月曜日

アポリネール『アムステルダムの水夫』

アポリネール『アムステルダムの水夫』を作りました。
アポリネール(1880826 - 1918119日)は20世紀初頭のフランスで、いろいろな前衛芸術にかかわった芸術家です。今日では詩人としての名声が確立していますが、はじめは美術批評家として出発し、ピカソやブラックのキュビズム、キリコらのフュチュリズム、そしてオルフィズムやシュルレアリズムなどを次々と世に紹介したことで知られています。
自らも創作活動を行ない、死後に公刊された『カリグラム』(Calligrammes, 1918年)は、文字で絵を描くという斬新な手法で高い評価を得ました。


堀辰雄訳「アムステルダムの水夫」は「死後の許嫁」「ヒルデスハイムの薔薇」「青い眼」の4話とともに昭和11年山本文庫(18)として出版されました。港に降りたった水夫が殺人事件に巻き込まれていくお話ですが、シュルレアリストという言葉を生み出したアポリネールにしてはごく普通のミステリーに仕上がっています。


2016年7月16日土曜日

小川未明『橋の上』

小川未明『橋の上』をつくりました。
小川未明は明治15年生まれの小説家、児童文学作家です。坪内逍遥に師事して、明治40年に発表した短編集「愁人」で小説家としてデビューしました。その後童話に専念し、雑誌「赤い鳥」などに多くの作品を発表、「日本のアンデルセン」「児童文学の父」と呼ばれています。

「橋の上」は『青白む都会』(春陽堂、1918年)に掲載されている短編です。
家へ帰る途中、機嫌の悪い幼子が妻の背中で泣き止みません。すれ違う人たちが眉をひそめるなか、夫婦は子どもの気をそらそうと橋の上へ連れていくのですが……。人の心に生まれる「魔」の瞬間を描いた小品です。本文の印刷はちょっと頑張って2色刷りにしました。


2016年6月25日土曜日

次の本ができるまで その23

ヨギ・ベラ 

1925年5月12日 ─ 2015年9月22日
元ニューヨーク・ヤンキースの捕手。彼の発言はヨギイズム(Yogiisms)と呼ばれ、野球に興味のない人々にも親しまれています。(ウィキペディアより)
いくつか掲載します。



2016年6月13日月曜日

次の本ができるまで その22

スーパーの前で


おじいさんは何かにつまづいた。踊るように二三歩進むと、前のめりに倒れた。提げていた紙袋から今夜のおかずらしいコロッケが二つ地面に転がった。カエルのように這いつくばった姿がおかしかったのか、見ていた誰かが声を押えて笑った。おじいさんは聞こえないふりをして、抱き起こしてくれた人に礼を言うと、拾い集めたコロッケを入れた紙袋を手に、おぼつかない足どりでまたそろそろと歩き出した。


2016年6月2日木曜日

次の本ができるまで その21

前句付け


前句付けとは、出題された七・七の短句に五・七・五の長句をつけるもので、元禄ごろから庶民の間に流行し、のちの川柳の母体となりました。(コトバンクより)

どんなものかひとつ例をあげます。
粋な言葉遊びです。