芥川龍之介の即興歌
芥川が「支那遊記」を大阪毎日に連載していた頃、原稿の催促に返事としてよこした手紙に書かれていた即興歌です。新聞連載の苦痛を訴えています。
その一
怠けつつありと思ふな文債にこもれる我は安けからなく
あからひく昼もこもりて文書けばさ庭の桜ふふみそめけり
去年の春見し長江の旅日記けふ書きしかばやがて送らむ
旅日記とくかけと云ふ君の文見のつらければ二日見ずけり
神経衰弱癒えずぬば玉の夢のみ見つつ安いせずわれは
二伸
マガジン・セクシヨンへはその中に何か書きます。何しろ方々の催促にやり切れぬ故、けふ鵠沼に踏晦し、二三日静養した上、紀行及びマガジン・セクシヨンへ取りかかります。
芥川龍之介
その二
原稿を書かねばならぬ苦しさに痩すらむ我をあはれと思へ
雪の上にふり来る雨か原稿を書きつつ聞けば苦しかりかり
さ庭べの草をともしみ椽(えん)にあれば原稿を書く心起らず
作者、我の泣く泣く書ける旅行記も読者、君にはおかしかるらむ
赤玉のみすまるの玉の美(は)し乙女愛で読むべくは勇みて書かなむ
支那紀行書きつつをれば小説がせんすべしらに書きたくなるも
小説を書きたき心保ちつつ唐土日記をものする我は
原稿を書かねばならぬ苦しさに入日見る心君知らざらむ
澄江堂主人
二伸
一体ボクの遊記をそんなにつづけてもいいのですか。読者からあんな物は早くよせと言ひはしませんか。(云へばすぐによせるのですが)評判よろしければその評判をつつかひ棒に書きます。なる可く評判をおきかせ下さい。小説家とジヤナリストとの兼業は大役です。
※ 薄田泣菫『樹下石上』より
0 件のコメント:
コメントを投稿