2018年10月4日木曜日

フランツ・カフカ『観察』

『観察』カフカ



カフカの作品集『観察』より「独身男の不幸」「走り抜けて行く人々」「拒絶」「通りに向かう窓」の4篇を選びました。どれも妄想とも現実ともつかない状況や会話が続くだけで、筋らしい筋もありません。ただ日常生活にひそむ人間の孤独感や不安感だけが伝わってきます。



※印刷が下手です。

2018年9月24日月曜日

次の本が出来るまで その107

モーム語録 女について


女がどれほど不身持(ふみもち)だろうとそれは勝手だが、もし美人でなかったら、大した効果はないだろう。


                ⁂


男の理想の女は、相変わらずあのお伽話の、七枚のふとんを重ねてもなおその一番下に固い豆があるので寝られなかったという王女様である。


                ⁂


女の性格の中で、些末なものへの熱情と記憶の確かさほどすぐれたものはない。女は、数年前に友人らと語り合った、ほんのつまらぬ世間話の中の細かい事を、正確に話そうとすれば話せる。しかも更に悪いのは、実際にそれを話すことだ。


※いや、わたしの意見でなく、モームさんがそう言ってたという話で

2018年9月17日月曜日

岸田國士『女七歳』

『女七歳』岸田國士


劇作家であり小説家でもある岸田國士は、フランスで近代演劇を研究して大正十二年帰国、翌年、戯曲「古い玩具」や「チロルの秋」を発表して、日本の新劇界に新風を巻き起こしました。


「女七歳」は散文集『言葉言葉言葉』(大正十五年・改造社発行)より選びました。が、なぜこの作品を選択したのか、はっきりした理由は思い出せません。帯にも書いていますが、少女の悲しみが心に引っかかったのだろうと思います。



※サイズを小さくしました。性格上、同じものを作るのは厭になるので、なるべく変えてみようとあれこれ試すのですが、けっきょく徒労に終わります。しかし無駄な時間をかけ悪あがきしたことで少し気持が満たされます。

2018年9月4日火曜日

次の本が出来るまで その106

モンテーニュの言葉


「エセー」から、気になった言葉をいくつかを紹介します。


過ぎ去った不幸の思い出は甘い。



私は思い出したくないことを思い出す。

私は忘れたいことを忘れられない。



軽い心配は多弁であるが、重い心配は無言である。



葬式の心づかい、墓地の状態、儀式の立派さは、

生者の慰めにこそなれ、死者の助けとはならない。



未来を知ったとて何の益もない。

いたずらに心を苦しめるのは不幸なことである。



死そのものは、死の期待ほど苦痛ではない。



哲学するとは死を学ぶことである。



避けなければならないその時々の危険を予見することは

誰にもできない。



いつか起こりうることは、今日にでも、起こりうる。



何びとも、その隣人より脆いわけではないし、

何びとも、明日についていっそう確かなわけではない。



運命はわれわれよりもすぐれた意図をもっている。



各人の性格は、それぞれ自己の運命をつくる。


2018年8月27日月曜日

次の本が出来るまで その105

百人一首より (2)


前回の続きです。



※字がうまくなりたい。もう遅いか。

2018年8月20日月曜日

次の本が出来るまで その104

麻布で気がしれぬ


江戸の諺です。江戸の麻布に六本木と云う地名がありますが、どこに六本の木があってこのような名がついたのか誰も知らないことから、「木の知れない」と「気の知れない」をかけて、心の知れない人のことを麻布と云うようになりました。

別の説もあります。

桜陰主人が云うには、麻布で気がしれぬという諺は「気」ではなく「黄」である。その理由は近所に坂や山、銀台、目村があるが五色のうち黄だけがない。故に麻布で黄が知れぬというようになったのじゃ、と。

俳諧の発句に
夜の菊 花は麻布で 黄がしれぬ

※やつァ麻布で気がしれねぇやまッたく、と今も霞ヶ関では頻繁に使われています。

2018年8月15日水曜日

次の本が出来るまで その103

四季十二月名の由来


いろいろな説があるようです。そのひとつを紹介します。


※月名に感じる日本語の優しい語感。

2018年8月8日水曜日

次の本が出来るまで その102

立秋


今年ほど秋が待ち遠しい年はない。毎日判で押したような天気予報を聞くのもいいかげんウンザリだ。しかしもう暦の上では立秋である。いくら高気圧が頑張ろうと頑張るまいと、その場所を追い立てられる日は遠くない。例年ならば、肩を落として去っていく夏のやつれた後ろ姿を思うと一抹の寂しさを感じるが、ことしの夏にはそんな同情は微塵もない。

立秋の三候を掲載する。刻者は明治時代の著名人や芸術家である。

※七十二候に刻者の経歴を加えました。気が向いた時に掲載します。

2018年8月7日火曜日

次の本が出来るまで その101

カタカナの元字


わかりやすく並べてみました。元字は古い本からの引用です。


2018年8月1日水曜日

北条民雄『続癩院記録』

『続癩院記録』


北条民雄略歴

大正3年9月22日朝鮮京城に生まれた北条民雄は、昭和9年19歳のときにハンセン病を発病し東京東村山の全生病院に入院する。闘病生活のなかで文学に情熱を傾け、入院当初の異様な体験を描いた「いのちの初夜」が川端康成の推挙で「文学界」に発表され注目をあびる。その後も小説や随筆を発表、絶えず死と向き合いながら、ハンセン病患者としての宿命を直視し続けたが、37年腸結核により24歳で急逝した。(コトバンク)

社会から隔離された環境の下、必死で生きようとする患者たちの様子を、同じ病に苦しむ作家が描き出した『続癩院記録』。外部の者には想像できない日常が語られます。



※生産性語る女のあさはかさ

2018年7月30日月曜日

次の本が出来るまで その100

年号



時間大観の歌(一)

時永劫に比べては 千歳も須臾に異ならず 見よ百年の後の世を 汝もあらず吾もなし 共に生れて共に逝く 生死の旅の友なれば 世の人々のなつかしや

時間大観の歌(二)

かの光陰は矢の如く 百年後は明日ぞかし ああいかにせんいとほしや あのなつかしき人々も 一人残らず悉く 明日は墓場に行くべきを 吾も墓場に急がでや 百年後を偲びつつ

2018年7月16日月曜日

モンテーニュ『随想録』 

モンテーニュ『随想録』 第1巻第14章より抜粋 


モンテーニュは16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者です。彼が生涯加筆し続けた『随想録(原題:Essais)』は自分の経験や古典の引用を元に、人間性の本質を明らかにしようとしたものです。
今回抜粋した部分は難しい哲学の話ではありません。モンテーニュ自身が経験したお金の話で、お金が無い時と有る時の心情を正直に告白しています。五百年前のモラリストが語るお金とのつきあい方、なるほどと納得いくところも多く、私も含めて特に近頃の年寄りに読ませたい一文です。


※帯は製作中。『随想録』には印象に残る言葉も多く名言集が一冊作れそうです。

2018年7月6日金曜日

次の本が出来るまで その99

百人一首』より


明治二十一年発行の本より抜き出したものです。その頃は万葉仮名を読める人がまだ世間におおぜい居たのでしょうね。






※文字も画も上手です。

2018年6月26日火曜日

次の本が出来るまで その98

北斎の手簡



葛飾北斎が画に健にして、其のかりそめの手簡(てがみ)などにも、文字を以て意を達すべきを却って画を挿みて事を済ませたる例多きは人の知るところなるが、次に掲ぐるは、文字は其の紙端に「物いはず」と記したる四字のほかには一字も無き絵手紙なり。(『露伴随筆』第二冊より)



※上は元の手簡、下は露伴が解読したもの。


※洒落っ気のある人だということは分かった。

2018年6月20日水曜日

次の本が出来るまで その97

東坡六無


「東坡六無」と云うのは、蘇東坡の嶺南での生活をいったものである。
病無医冬無炭食無魚、外の三つは今は忘れてしまった。
まあ、あとで思い出すこともあるだろう。(『日本随筆大系』より)


※気になる。あとの三つは何だろうと調べたが分からない。で、勝手につくってみた。
雨無傘、嚢無銭、甕無酒、空無月、風無音、心無迷、我無妻。

2018年6月8日金曜日

『芭蕉終焉記 花屋日記抄』並『枯野抄』

『芭蕉終焉記 花屋日記抄』『枯野抄』


『芭蕉終焉記 花屋日記』は、大阪の花屋仁左衛門の裏屋敷で最期を迎えた芭蕉の様子を、臨終に立ち会った弟子たちの記録をもとに、文曉という僧がまとめ再構成したものです。記録にかたよった弟子たちの文章に比べて「花屋日記」は登場人物の戸惑いや諍い、そして衰えていく芭蕉の姿がリアルに描かれています。
正岡子規がこれを読んで感動の涙をこぼした話は有名です。


この『花屋日記』に描かれた臨終の場面を一幕物の舞台のように仕上げたのが芥川龍之介の小説「枯野抄」です。詳しい解説は省きますが、花屋の離れに集まった弟子たちの心の内を芥川独自の描写であきらかにしていきます。わたしは「聖」と「俗」、「悲」と「喜」が交錯するその場に同席しているような気持になりました。


「屬纊(しょくこう)につく」。

作りながらこの言葉が頭をよぎるのは何度も読みすぎたからかも知れません。



※出来上がった時には思いきり言い訳や泣き言を書こうと思っていましたが、今はどうでもよくなりました。

2018年6月4日月曜日

次の本が出来るまで その96

あきらめ

われわれは諦めというものを、自分の苦しみによって学ぶのではなく、
他人の苦しみによって学ぶものである。            


                     (『要約すると』S・モーム)より


※週末NHKを見てふと思った。

2018年5月24日木曜日

次の本ができるまで その95

嘘の理由


ちょっと見ると、不思議なことに、われわれは自分の悪いことが、他人の悪いことよりずっと軽く思われる。思うに、その理由は、そうしたことの起こった環境をすっかり知っているからで、他人の場合は赦せないことでも、自分の場合では、なんとか口実を見つけようとするからである。
われわれは自分の欠点からは眼をそらす。そして、厄介なことが起こって、どうしてもそのことを考慮しなければならなくなっても自分でそれを赦すのは造作ないことである。      (『要約すると』S・モーム)より



※恥ずかしくないのかしらとコメをとぐ