『俳諧武玉川』より短句(七七)をいくつか
津波の町の揃う命日
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闇のとぎれるうどん屋の前
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恋しいときは猫を抱きあげ
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大人は唇子供は乳房
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女の誉める女すくなし
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八十七は欲の出る年
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白いところは葱のふともも
※いまも十四字詩として残っていますが、軽妙な付句とは違いより詩的になっています。
津波の町の揃う命日
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闇のとぎれるうどん屋の前
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恋しいときは猫を抱きあげ
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大人は唇子供は乳房
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女の誉める女すくなし
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八十七は欲の出る年
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白いところは葱のふともも
※いまも十四字詩として残っていますが、軽妙な付句とは違いより詩的になっています。
中国近代文学の父といわれる魯迅は、留学生として来日し、仙台医学専門学校で医学を学びましたが、途中から文学に転向しました。7年後帰国した魯迅は『狂人日記』を発表、続いて『孔乙己』と『薬』を「新青年」に寄稿し文学者としての一歩を踏み出します。
『孔乙己(こういっき)』は酒好きのインテリで、科挙に挑みますが受からず、やがて生活が困窮し盗みをはたらくようになります。しばらく酒場に姿を見せないので店主が周りに訊くと、盗みに入った家の者に見つかり、殴られたうえ両足を折られたとのことでした。しばらくたったある日、店先で「熱燗を一杯」と声がするので出て見ると……
※こういう話は寒いときに読むと余計身にしみます。
先日新聞に西田幾多郎の歌についての記事が載っていました。以前紹介しましたが、今回改めていくつか掲載します。哲学の世界では偉大な足跡を残した西田ですが、家庭的にはあまり幸福な人生ではなかったようです。病弱な子供や妻を亡くした思いを詠んだ歌は、シンプルがゆえ心に響くものがあります。
※「次の本が出来るまで その62」でも紹介しています。
久しぶりにミステリーでもと手に取ったアガサ・クリスティ。以来ずっと読んでいる。ポアロやミス・マープルはもはや親戚のような感じすらある。古書店に行っても無意識に赤いカバーの文庫本を探している。(100円以上のときは熟考する。)が、似たようなタイトルも多く、内容もたいてい大富豪がいて、その妻や兄弟、甥や姪、女中や知人など登場人物の設定が似ているので、読んだことを忘れて同じ本を買うこともしばしばある。大分読んだつもりだが、まだ先は見えない。
イギリス風のユーモアを感じさせる文章もあった。
政治家にとって言葉は事実を明確に表現するためのものでなくて、事実をあいまいにする手段である。
ことの真偽はべつとして、あらゆる人が著名な避暑地トーキーに伯母がいるといわれてきた。また同様な意味合いから、あらゆる人がマートンシャに少なくともまたいとこがいるともいわれる。 『ヘラクレスの冒険』より
ソネット(十四行詩、Sonnet)とは、14行から成るヨーロッパの定型詩で、ルネサンス期にイタリアで創始されました。のちに英語詩にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなりました。シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれています。(Wikipedia)
18番を掲載します。
ヨシオ君はいわゆるハーフである。
お母さんがドイツ人で、彼の美しい金髪とトビ色の瞳はそれを見事に受継いでいる。
保育園に通う息子と同い年であり、家も近いので、よく遊びに行ったり来たりしていた。
お正月に彼を見た。
私は車を降り家へもどる途中、少し離れたところにから彼に声をかけた。
「ヨッチャーン、あけましておめでとうーー!」と言うと
ヨシオ君は、こちらに向かって大きな声で
「アリガトーー!」と言ってペコリと頭を下げた。
※もう30年前のことですが印象に残っていたので書き留めていました。
※わたしは「長生きなんてしたくない」と言いながら毎朝血圧を測っています。
前のものは天地の余白が多すぎて、しまりのない大きさでした。サイズを調整し、表紙を布にして落ちついた感じにしました。(左は以前のもの、右は作り直したもの)