2015年7月24日金曜日

次の本が出来るまで その10

“次の本が出来るまで その1”で掲載した「悲しき玩具」の残りの頁です。

石川啄木略歴
本名一、盛岡中学中退後、明星派の詩人として出発。20才で処女詩集『あこがれ』を出版、詩人として知られるようになった。渋民小学校代用教員を経て、北海道に職を求め新聞記者として各地を流浪。明治41年(1908)上京。42年『東京朝日新聞』の校正係となるが、なおも窮乏の生活は続く…(以上コトバンクより)

啄木の渋民小学校代用教員時代の給料が月十二、三円だったという。同じ時期、作家の志賀直哉は毎月家からお小遣いとして三十〜四十円貰っていたことをどこかの本で読んだ。覚えとして書き留めておく。
使用の写真はイメージです。