2022年7月22日金曜日

次の本が出来るまで その250

ストラルドブラグ


ある日のことでした。一人の紳士がふと私にこんなことを尋ねました。
「あなたはこの国のストラルドブラグというものを見ましたか。これは『死なゝい人間』という意味なのですが。」

〈中略〉

 彼等は三十歳頃までは普通の人間と同じことなのですが、それからあとは次第に元気が衰えてゆく一方で、そうして八十歳になります。この国では八十歳が普通、寿命の終りとされていますが、この八十歳になると、彼等は老人の愚痴と弱点をすっかり身につけてしまいます。おまけに決して死なゝいという見込みから、まだまだたくさんの欠点がふえてきます。頑固、欲張り、気むずかし屋、自惚れ、おしゃべりになるばかりでなく、友人と親しむこともできなければ、自然の愛情というようなものにも感じなくなります。

 たゞ嫉妬と無理な欲望ばかりが強くなります。彼等は青年が愉快そうにしているのを見ては、嫉妬します。それは彼等が、もうあんなに愉快にはなれないからです。それから彼等は、老人が死んで葬式が出るのを見ると、やはり嫉妬します。ほかの人たちは安らかに休息の港に入るのに、自分たちは死ねないからです。

 彼等は自分たちが若かった頃に見たことのほかは、何一つおぼえていません。しかも、そのおぼえているということも、ひどくでたらめなのです。だから、ほんとのことをくわしく知ろうとするには、彼等に聞くより、世間の言い伝えに従う方が、まだましなのです。すっかり記憶がなくなってしまっているのは、まだいゝ方です。これはほかの連中とは違って、もう多くの欠点もなくなっているので、多少、人から憐んでもらえます。

 彼等は満八十歳になると、この国の法律ではもう死んだものと同じように扱われ、財産はすぐ子供が相続することになっています。そして国から、ごく僅かの手当が出され、困る者は国の費用で養われることになっています。

 九十歳になると、歯と髪の毛が抜けてしまいます。この年になると、もう何を食べても、味なんかわからないのですが、そのくせ、たゞ手あたり次第に、食べたくもないのに食べます。しかし彼等はやはり病気にはかゝるのです。かゝる病気の方は、ふえもしなければ減ることもありません。話一つしても、普通使うありふれた物の名まで忘れています。人の名前などおぼえてはいません。どんな親しい友達や親類の人と会っても顔がわからないのです。本を読んでも、ぼんやり一つページを眺めています。文章のはじめから終りまで読んで意味をたどる力がなくなっているのです。ですから、何もかも一向面白くはないのです。

 それに、この国の言葉は絶えず変っています。だから甲の時代のストラルドブラグと、乙の時代のストラルドブラグが出会ったのでは、少しも言葉が通じません。そのうえ、二百年もたてば、友人と会っても話一つできない有様ですから、彼等は自分の国に住みながら、まるで外国人のように不便な生活をしているのです。
 私が紳士から聞いた話は、大たい、こんなふうなものでした。

                    ジョナサン・スイフト『ガリバー旅行記』より

※ストラルドブラグに近い人、いますよね。