2017年11月9日木曜日

次の本が出来るまで その77

玄関


 そのむかし池大雅が真葛原の住居には、別に玄関といって室も無かったので、軒先に暖簾を吊して、例の大雅一流の達者な字で「玄関」と書いてあったそうだ。

 上田秋成が南禅寺常林庵の小家にも、入り口に暖簾をかけて「鶉屋」とたった二字が認めてあったという事だ。


 拗ね者の金龍通人は自分の戸口に洒落た一聯を懸ておいた。聯の文句はこういうのだ。


「貧乏なり、乞食物貰ひ入る可からず」


「文盲なり、詩人墨客来る可からず」

                               薄田泣菫『茶話』



※江戸時代には式台を構えている出入口を「玄関」と言った。