2016年10月14日金曜日

次の本が出来るまで その33


「うき世の果てはみな小町なり」 


芭蕉翁が尚白に話したところによると「うき世の果てはみな小町なり」と云う付句はずいぶん前から頭にあったが、なかなかこれに合う前句がでない。以前、正秀庵の席で「坂ひとつ見あげて杖にものおもひ」と云う前句があった。これはまさしく年老いた小町の姿ではあるが、いまひとつ句中の実を顕すことは難しい。
その後選集を作るときに「さまざまに品かわりたる恋をして」の前句がでて、これだとばかりにこの句をつけた。これこそ浮世のあだにより百歳の老婆に色をつけ、我家の寂、俳中の教えとも云えるものだろう。若い人は参考にしてほしいと顔を輝かせたという。



2016年10月13日木曜日

次の本が出来るまで その32

志賀直哉氏のことば


幸福そうな若い美しい、金持ちの娘を見ると、どんな幸福がこの人を待っているかという気がする。この人が誰かと結婚する、其所にどんな幸福が待ちもうけられているかと思われる。
然しそれは分からない。どんな不幸が其所に待伏せしているかと考える方が真に近い。もっと正しくいえばどんな平凡さが待ちかまえているかと思う方が間違いない。現在はどんな幸福に待たれているかという予想で幸福なのである。



※「この頃のむすめは多くけもの扁」という江戸川柳もある。