2015年5月16日土曜日
『我が子の死』 西田幾多郎
『狂訳 小倉百人一首 抜粋』
今回は『狂訳 小倉百人一首 抜萃』です。
藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる『小倉百人一首』は平安から鎌倉時代の歌人百人の歌を一首づつ選び集めたもので、それぞれの時代を代表する歌が収められています。しかしわたくしには古文特有の言い回しが難しく、歌の意味は原文を読むだけでは理解できません。そこで、素人の怖いもの知らず『要するにこんなことじゃないの』とくだけた現代文にしてみました。もとより古典の知識など皆無で、ほとんどがおふざけです。ご寛恕のほどを。いくつか転載しておきます。
花の色は移りにけりないたずらに我身世にふるながめせしまに
小野小町
〈訳〉毎日雨で鬱陶しいわ。庭のお花も色褪せて元気ないし。わたしもいつかあんなふうに萎れてしまうのかしら。いやだわ、サプリ飲んどこ。
我が袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそしらねかわく間もなし
二条院讚岐
〈訳〉わたしの着物の袖は、海の沖にあるあの石のように、あなたを思って流す恋の涙で乾くことがありませんわ。ああ袖が重い、肩凝るわぁ〜。
2015年5月15日金曜日
『老嬢物語』 ギ・ド・モウパスサン
ギ・ド・モーパッサンの作品は人気があるのか、今も文庫本がたくさん出ています。作品は恐怖・幻想小説として扱われているようです。今回の『老嬢物語』はそんな恐怖や幻想などとは縁のない話で、作者の思い出を書いたものです。モーパッサンが幼いころお針子として通っていた足の悪いおばあさんがいました。彼はおばあさんにいろいろな話を聞くのが大好きでしたがある日、仕事中突然死んでしまいました。検死に来た年老いた医者がおばあさんの若いころのある事件を語り始めます……。邦訳は美文調でいかにも古臭く、読みやすい文章とは言えませんが、何となく懐かしいのでそのままに作りました。古いキャラメルの函のような本になってしまいました。
2015年5月14日木曜日
『舞鶴心中の事実』 高濱虛子
俳人高浜虚子は子規なきあと『ホトトギス』の編集発行者として俳句の発展に尽力しました。一方で『俳諧師』や『風流懺法』のような味のあるいい小説も発表しています。
今回制作の『舞鶴心中の事實』は俳句でも小説でもなく、京都の老舗旅館「H家」の跡取り息子が旅館の女中と心中するという事件を取材したドキュメンタリーです。この事件は当時のマスコミでも大きく取り上げられました。虚子がこれを書いたいきさつはわかりませんが、ひと言付け加えておくならば、虚子にはもっと面白い作品がたくさんあります。これを選んだわたくしもこの事件の野次馬の一人だったということでしょう。
2015年5月12日火曜日
『死生に関するいくつかの断想』 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
『冬日の窓』 永井荷風
『冬日の窓』は荷風晩年の随筆です。
荷風は東京大空襲で家を焼かれ、その後谷崎潤一郎など友人知人に助けられ明石、岡山と疎開生活を続けます。当時六十六歳の荷風には過酷な毎日だったと思われます。気ままな一人暮らしが染み付いた荷風は疎開先でも問題を起こすことがあったようです。終戦後、いち早く帰京し熱海和田浜の杵屋五叟宅でこの文章を書きました。稀代の自由人であった荷風の思いが吐露された内容になっています。
根拠はありませんが、永井荷風は活版印刷にふさわしい作家だと思います。
2015年5月10日日曜日
『漢詩抄』
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