2015年9月23日水曜日

百字文


明治37年、伊藤銀月は萬朝報で「百字文」を始めました。これは読者が自由にテーマを選び百字以内の文章にして投稿、それを銀月が審査して一等1名、佳作5名を選び批評するというものです。当時は「百字文会」という同好会ができるほど人気の企画でした。
果たしてどんなものであったのか、2つほど掲載します。

萬朝報第25回当選作
(一等)

土佐奇聞  小石川 小林渋民

室戸崎と行冨崎との間一里半は渋色の漁民の巣で、美しい女は一人もない、彼等の諦め様が愉快だ、昔空前絶後の一美女が数多の男に恋はれて弱り切り、或朝早く太平洋に身を投げて、再び美人に生まれまいと誓ったからだと。

銀月評 足許に詩材が転がって居ること斯くの如しである。仰向いて空の星ばかり眺めて居る人は、足許の詩材に蹴つまずいて海の中へ落込む虞れがあるぞ。



萬朝報第30回当選作
(一等)

解せぬ恋  下谷 武蔵坊

炭焼く煙だに上がらねば其處には人の住むべしとは思ひも寄らぬ山の奥に「嫁入前だよ可愛がって御呉れ何処へ片付く当も無い」其歌其声断腸の極なるに我は得堪えず歌の主を探めて見れば其名はお露齢は十二!

銀月評 何等の着眼。何等の着想。さうして何等の文筆であらう。之を読んで泣かぬ者はあるまい。泣いてさうして微笑まぬ者はあるまい。


このようなものです。
現代版「百字文」があれば面白いのではないでしょうか。