2020年1月17日金曜日

次の本が出来るまで その151

奇妙な出来事


志賀直哉の本を読んでいたらこんな文章があった。

──不思議な事もあるものだ。
今日、歌舞伎座へ行って見ると
とってあったのは八ノ一で、黒木、木下、細川が来て居た。
少し遅くなったよ、と云って座へつくと
どうした事か自分は右手に何か紙の切を持って居た。
それは一銭五厘の切手十枚であった。
其手たるや、電車を下りる時、車掌に切符を渡した後、
洋傘をさすに用いたのみ、
どうしてそれが自分の手にあるか、解からん。
何時そんなものを持ったか、第一持っているものの切手であるのも奇妙でならない。
他の三人の裡(うち)で持って来た者があってそれを思わず座る時、
自分がつかんだのかと問えば誰れも知らぬと云う、
そんなものを持って来た覚えなしと云う。
奇妙なこともあったものだ。
その内六枚は其所此所と出す端書に張って了ったが
四枚の残は帰りに考えるにつけ、妙でならず
どうも自分のらしくないから、道で捨てた、
捨てたと云うと罪がないようだが、
実は六枚は用立てたのだから横着な話だ。
自分ながら思えば、余りいい気持ちでもない

※おー、怖ッ。

2020年1月10日金曜日

次の本が出来るまで その150

詠歌の心得


香川景樹翁が
「歌を詠むといえばずいぶん難しく思うものであるが、
眼前の景をありのままに詠めばいいのである。」
などと話しているところに豆腐屋が通った。
翁は、たとえばと

それそこに 豆腐屋の声 聞こゆけり
お三(さん)出て呼べ 行き過ぎぬまに


と詠歌の雑作なさを説いた。


※いえいえ、そんなに簡単ではないと思います。

2020年1月7日火曜日

次の本が出来るまで その149

年賀状


毎年わけのわからない年賀状(?)を作っては受け取る人を困らせています。
最近返事が少ないのは、そのせいかも知れません。


※1月22日(水)より2月2日(日)まで京都のレティシア書房さんで、いままで作った本をならべます。
 ものすご〜くヒマな人はおでかけください。

2019年12月30日月曜日

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手帖』より

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手帖』より


ルネサンス期イタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画、彫刻、建築、土木、科学、数学、工学、天文学など種々の技術に通じ、幅広い分野に足跡を残した「万能の天才」です。彼が四十年間にわたって書き綴った手稿の中で、人や動物に関する文章を選び一冊にしました。ダ・ヴィンチと和本のミスマッチはいかがでしょうか。

内容の一部を紹介します。 

 (こうのとり)
  鸛は塩水を飲んで病をいやす。仲間で落度あるものは見捨ててかえりみない。
  老いると若いものたちが死ぬまで面倒をみる。
 螽蟖(きりぎりす)
  螽蟖はその唄で郭公鳥を沈黙させる。油の中で死んで、酢の中でよみがえる。
  燃ゆる暑さを歌い暮す。


※手稿の3分の2は失われ、現存するのは約5000ページと言われています。何が書いてあったのか、興味ありますね。まあ、読んでも分からないでしょうけど。

2019年12月24日火曜日

次の本が出来るまで その148

為政者の心情


2019年12月22日付毎日新聞朝刊記事「時代の風」の見出し


今だけ 金だけ 自分だけ

※確かに。

2019年12月10日火曜日

次の本が出来るまで その147

夢の浮橋


今年も残すところ二十日あまり、その早さにただ呆然とするのみ。
ここに年末を題材にした歌を掲げその心境を明らかにしたいと思う。


※『子規全集』第五巻 俳論俳話二(講談社、昭和51年)p.583「夢の浮橋」より抜粋しました。

2019年12月4日水曜日

次の本が出来るまで その146

斎藤茂吉  『釈迦・王維・鷗外』


茂吉先生が出版社の求めに応じて書いた座右の銘の話


 私は中学校の少年のころ、自ら座右録の如きものを作集したことがある。(中略) 偶々糸書房からの格言徴求があったのを好機として一筆を費すことにした。

天上天下 唯我独尊  てんじょうてんげゆいがどくそん  釈迦

 この句は実際釈迦の句であるか、或いは時を置いた弟子の句か、どういうところで獅子吼(ししく)した以伝であるか、仏教字典一つない今の状態では知り得ないことだらけである。仏教はその範囲広大深淵、専門大家といえども求尋し尽くせないほどであろうが、仰臥しながらひとりしづかに味わうと、この句は、いよいよ娑婆(しゃば)的現身的であるようにおもえる。(後略)

遠人目なし  えんじんめなし  王維

 唐の王維の句である。王維はその山水論に於て、「凡画山水、意在筆先、丈山尺樹、寸馬分人、遠人無目、遠樹無枝、遠山無石、隠隠如眉、遠水無波、高与雲斉、此是訣也」云々と云い、なおそれにつづく文もあるのであるけれども、それ等を尽く除去省略して、単に、「遠人目なし」のみを以て、私の目前に置きたいのである。(後略)

人間はヱジエタチイフにのみ生くること
能はざるものである  鷗外

 ヱジエタチイフは即ちvegetatifで、栄養的、生殖的ということを意味している。

 鷗外のこの語は、人間は栄養的、生殖的のみでは生きること能わざるものであるということになる。もっと簡約すれば、人間は畢竟食・色の欲のみでは生きられないということになる。私は時あって、鷗外のこの語をおもい起こすと、人知れず私の心に慰安を与えて呉れる。時あって私の心を静謐にして呉れる。よって二たびこの語を名句として録し、忘佚(ぼういつ)し去らざらむことを期している。(後略)

※さて自分の場合、何かあったはずだが……。思い出せないので「則天去私」にしておこう。

2019年11月24日日曜日

フランツ・カフカ「兀鷹」

カフカ短編集「兀鷹(はげたか)」 フランツ・カフカ


カフカの作品は『道理の前で』『あるじの気がかり』『観察』に続いて四冊目です。
今回は表題の「兀鷹」の他に「橋」「出発」「諦めが肝心」「舵手」の五篇を収録しました。
私はつめたく硬直した橋だった……で始まる「橋」や、兀鷹に襲われ自分の脚が喰われるところを見ている男の話など、カフカならではの想像力豊かな世界が表現されています。


 

※出来上がってから誤植に気がつき、しかたなく紙を貼って修正しました。写植屋の頃を思い出しました。

2019年11月20日水曜日

次の本が出来るまで その145

島崎藤村「いろはがるた」


藤村自作のいろはがるた。感想集『市井にありて』(昭和五年、岩波書店)に掲載。

 犬も道を知る
 櫓は深い水、棹は浅い水
 鼻から提灯
 鶏のおはようも三度
 星まで高く飛べ
 臍も身のうち
 虎の皮自慢
 ちいさい時からあるものは、大きくなってもある
 林檎に目鼻
 沼に住む鯰、沼に遊ぶ鯰
 瑠璃や駒鳥をきけば父母がこいしい
 丘のように古い
 わからずやにつける薬はないか
 賢い烏は、黒く化粧する
 好いお客は後から
 竹のことは竹に習え
 零点か、百点か
 空飛ぶ鳥も土を忘れず
 つんぼに内緒話
 猫には手毬
 なんにも知らない馬鹿、何もかも知っている馬鹿
 蝋燭は静かに燃え
 胸をひらけ
 瓜は四つにも、輪にも切られる
 猪の尻もちつき
 のんきに、根気
 玩具は野にも畠にも
 草も餅になる
 藪から棒
 誠実は残る
 決心一つ
 不思議な御縁
 独楽の澄む時、心棒の廻る時
 枝葉より根元
 手習も三年
 鸚鵡の口に戸はたてられず
 里芋の山盛り
 菊の風情、朝顏の心
 雪がふれば犬でもうれしい
 めずらしかろう、面白かろう
 耳を貸して、手を借りられ
 仕合せの明後日
 笑顔は光る
 日和に足駄ばき
 持ちつ持たれつ
 蝉はぬけがらを忘る
 西瓜丸裸

※ふと思いついたが、今年の漢字は「水」ではないだろうか。

2019年11月12日火曜日

次の本が出来るまで その144

覚え書き  〝ルサンチマン〟と〝シャーデンフロイデ〟


ルサンチマン(仏:ressentiment)とは、
弱者が強者に対して持つ「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情をいう。
ニーチェは、強者の君主道徳と対比して、弱者の奴隷道徳は強者に対するルサンチマンによるものだといった。
弱者はこのルサンチマンの感情から、価値を転倒させることによって復讐を果たす。 
価値の転倒とは、「優れた劣った」という基準の代わりに、「善い悪い」という基準を作り出し、 弱者を搾取する強い人間は「悪い」、弱者は「善い」と呼ぶことである。 
弱者は、「わたしが弱者なのは、社会の構造のせいだ。 また、優位に立つことや 権力を持つこと、富を有することは必ずしも幸福ではない」と考え、弱者としての自分の立場を合理化する。

※難しい。

シャーデンフロイデ(独:Schadenfreude)とは、
自分が手を下すことなく他者が不幸悲しみ苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情のこと。
ドイツ語で「他人の不幸(失敗)を喜ぶ気持ち」を意味する。
日本語で言う「ざまあみろ」の感情であり、「他人の不幸はの味」、「メシウマ(他人の不幸で飯が美味い)」などが類義語として挙げられる。

※高級外車が反則キップを貼られているのを見た時の気持ちですかね。

2019年10月29日火曜日

次の本が出来るまで その143

卒塔婆小町讃


どこやらで芭蕉が卒塔婆小町の画に讃を頼まれた時の文。画には蓑と笠を身につけた乞食の老女が描かれていたのだろうか。


※卒塔婆小町のストーリーを初めて知った。

2019年10月14日月曜日

菊池寛『母』

『母』菊池寛


菊池寛の『母』です。この短編は独立したものではなく、設定や時代も違う四つの連作「父、母、妻、子」の中の一篇です。

 幼いころの出来事をきっかけに母に対して複雑な思いを持ちつづけている清三は、
母の葬式に出るため郷里に向かいます。そこには門司の伯父が……


今ごろなぜ菊池寛なのか。一言でいえば彼の短編小説が好きだから。今回の作品もごく短いものですが、強く印象に残りました。無駄な描写がなく、短編小説のお手本のような作品だと思います。


※何があったのか。そう、そんな事です。

2019年10月11日金曜日

次の本が出来るまで その142

あなたの楽しみは?



再度『獨樂吟』より橘曙覧(たちばなあけみ)の歌を掲載します。

 

※たのしみはいつのまにやら字を覚え読めぬ手紙を渡されし時。

2019年10月1日火曜日

次の本が出来るまで その141

「The modern series of English literature」


芥川龍之介が大正14年頃、旧制高等学校生向けに編纂した英米文学短編集。
全8巻中2冊を幽霊譚にあてたシリーズ構成が芥川らしい。原文で読みたい方は近代ライブラリーで。全巻のリストを掲載します。


※校正もなにもしていません。誤植があればゴメンなさい。2018年にこのうちの20篇を翻訳した「芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚」が岩波書店より発売されています。

2019年9月25日水曜日

次の本が出来るまで その140

『仮名世説』


『仮名世説』は蜀山人が「世説」に倣い近世の逸話、名言を蒐めたものです。
近松門左衛門の辞世の文章を掲載します。


※そろそろ辞世の準備をしないと…といいつつ何年過ぎたことやら。

2019年9月18日水曜日

次の本が出来るまで その139

式亭三馬『小野□(竹かんむりに愚)譃字尽』より







※ハンコのデザインらしい。

2019年8月27日火曜日

石兮『芭蕉翁附合集評注』

『芭蕉翁附合集評注』石兮


『芭蕉翁附合集評注』は江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)が編集した「芭蕉翁附合集」に石兮(せっけい)という人が一句ごとに短く解説を附したものです。つけ句を学ぶ人には必携の教科書だったようで、確かにこれを読めば芭蕉が極めて優れた言葉の使い手であったことがよくわかります。

ひとつふたつ抜き出して掲載します。



やさしき色に咲ける撫子


四ツ折の蒲團に君が丸く寢て


これも翁の例の恋句なれば、きもつぶるるまでよき句なり。四ツ折の蒲団の上にそつと丸く寢たる姿、えもいわず艶なるべし。さては前句の撫子にたとえたるこころなり。



さまざまに品かはりたる戀をして


浮世の果はみな小町なり


前句はすきずきしき人の、さまざまに恋したるなり。後句轉じて観想の情をおこし、小町の果をいいて、哀情多し。少壮いくばく時ぞ老いをいかんといえるこころなり。


※わたしも常に携帯し事ある毎に読み返すつもりでいます。いまはね。

2019年8月16日金曜日

次の本が出来るまで その138

覚え書き(2)


仕事

仕事ほど私を魅惑するものはない。私は何時間ものあいだ、すわったままでそれを見ていることができる。

問題

われわれの社会の悲劇は第一に真の問題に取り組まないことだ。第二にたとえ真の問題に取り組んだとしても、それらをどう解決すればよいかわからないことだ。第三に、真の問題とは何かを知らないことだ。

選挙

選挙とは耄碌した人たちによって四年ごとにくり返される譲位である。

お金

人が他人から借りた金を、いっそう自由に、いっそう楽しく享受するのは、必要に迫られて余儀なく借りて使うのではないときであり、自分の意志においても運命においても、この金なしに済ませるだけの力と手段をもっているときである。

対立

野心、貪欲、残忍、復讐は、それだけではまだ十分にその本来の自然的な激しさをもたない。正義とか信仰という輝かしい名目で、それらに火をつけ、煽り立てようというのである。われわれは、邪悪が合法的となり、為政者の許しを得て徳の外套を着るときほど、悪い状態を想像することができない。

※この暑さと隣同士の口喧嘩にはウンザリする。

2019年7月25日木曜日

次の本が出来るまで その137

覚え書き



妻の心得

妻は「夫に対しては、心にもない敬意のこもった、疑いぶかい尊敬をもって接すべし」。


困難

何ごとにつけてもそうである。困難は事物に価値を与える。


医者

医者の話を要約すると
「地から生まれ、草の中を匍いまわり、家を背負い、血をもたない動物を食え」。


戦争

私的な利害や情念から生じる内心の苦慮を(われわれがいつもそうするように)義務と呼んではならない。謀反的な邪悪な行為を、勇気と呼んではならない。
彼らは邪悪と暴力へ向かう自分たちの傾向を熱心と名づけている。しかも彼らを昂奮させているのは、大義名分ではなくて、彼らの利益である。彼らが戦争をあおり立てるのは、それが正義だからではなくて、それが戦争だからである。


有能

知識のある人は、すべてにわたって、知っているわけではない。けれども有能な人は何ごとにも有能であり、無知においてすら有能である。


老年

老年はわれわれの顔よりも、むしろわれわれの精神に皺をきざむ。年老いて酸っぱい、かびくさい匂いをただよわせないような霊魂は、まったく見られない。少なくともごく稀にしか見られない。人間は成長へ向かうにも、衰退へ向かうにも、心身一体で進む。


恋愛

恋愛は、人が恋愛より以外のものによって結ばれることをきらう。そして、結婚というような別の名目のもとに結ばれ保たれる交わりには、恋愛は消極的にかかわりあうにすぎない。

※なるほどと思った言葉を抜書きしました。適宜掲載します。見出しは勝手につけています。

2019年7月22日月曜日

次の本が出来るまで その136

小野篁歌字尽


古来より小野篁歌字尽と伝えられるものあり。果して篁の作か聊か疑いなきにしもあらず。参考までに掲載す。


※全部で119首ある。すこし多すぎる。

2019年7月11日木曜日

次の本が出来るまで その135

与謝野晶子


『夏より秋へ』(大正3年・金尾文淵堂)よりいくつか掲載します。


※今恋をしているあなたに。