2021年10月12日火曜日

次の本が出来るまで その215

 エセー』より


刑罰は善をなそうとする気持を生まずに、悪を犯しながらつかまるまいとする気持だけを生む。


                  ❖


人間と人間のあいだには、動物と人間とのあいだにおけるよりも、いっそう多くの差異がある。

                  ❖


昔のあらゆる予言のなかで、最も古く、最も確実なのは、鳥たちの飛びかたから引き出される予言であった。



                  ❖


少しも苦痛をもたないこと、これが人間の望みうる最大の幸福である。


                  ❖


現在という時はない。われわれが現在と呼ぶところのものは、未来と過去との接ぎ目でしかない。


                  ❖


正しい行為の報いは、それを為したということである。


                  ❖


「許されないことだから、だめよ」と言う女は、「いいわ」と言ったも同然である。


                  ❖


哲学は理屈を並べた詩にすぎない。


※人間の生命など大河の一滴にすぎないという。このちっぽけな感じが好きです。

2021年10月2日土曜日

次の本が出来るまで その214

世の中


世の中を何にたとへむ〜で始まる歌五首。



※出典はわすれました。

2021年9月22日水曜日

次の本が出来るまで その213

アンデルセン『月の物語』より  

いたずらな少女


──お月様のお話です──


 昨日のことです家の軒(のき)の間にあるせまくるしい内庭を照らしてみました。

そこには雛鳥が十一羽と、親鶏が一羽いました。

 そこへ小さな可愛らしい少女がやってきて、その鶏どものまわりを、ぐるぐる廻りはじめました。

鶏はびっくりして、コッコッと大きな声で啼きながら、しかしその羽根をひろげて、雛を庇ってやっていました。

 そこへ、お父さんがやってきました。そしてこのいたずらな少女を叱りつけました。

 私はそれきり、この事は忘れてしまって、空をながれ去ってゆきました。

 それから数分の後でしたが、またその内庭を照らしました。今度はまったく静まりかえっていました。

 ところが、突然また例の少女が、足音をひそまえながら、そっと鶏小屋にちかよってきました。そして、閂(かんぬき)をはずして、親と雛の鶏のところにしのび込みました。

寝ていた鶏はびっくりして啼き叫んで飛び廻ります。少女はその後を追いかけ廻すのです。

 私は壁のすき間からそれを眺めながら、どうも仕方のないいたずらっ子だな、と思っていますと、またお父さんがやって来ました。そして、その少女の腕を掴まえながら、さっきより一層ひどく叱りつけました。

 少女は顔をあげて、私をみあげました。その真珠のような瞳からは、大粒の涙が流れていました。

 『お前は何をしているのだ?』

 と、お父さんに聞かれて、少女はまだ泣きじゃくりながら、

 『あたし、鶏さんに、「さっきのことは御免ね」って、あやまりにきたの…』

 お父さんはこの無邪気な少女を抱きあげて接吻しました。

私も、あたりいちめんを月のひかりで接吻いたしました。



※昨日(9月21日)の満月の写真をいれる予定でしたが、月はあいにく黒い雲に隠れて見えませんでした。

2021年9月13日月曜日

次の本が出来るまで その212

ギッシングおぼえ書き


  われわれはときとして急に本が読みたくてたまらなくなることがあるが、そんなときなぜだかその理由が分からないこともあるし、おそらくはなにかほんのちょっとした暗示の結果によることもある。昨日も私は夕暮れに散歩していたが、そのときある一軒の古い農家のところにでた。庭の木戸のところに車が止まっていたのでよくみると、それは顔見知りの医者の二輪馬車であった。行きすぎて、ふり返ってみた。煙突の向こうの空には、かすかな夕映えがまだ残っていた。二階の窓の一つには灯が一つきらめいていた。私は、「あ、『トリストラム・シャンディ』だ」と独語した。そして、おそらくは二十年間もの長い間開いたこともない本を読もうと大急ぎで家に帰っていった。


『トリストラム・シャンディ』イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた未完の小説原題は『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』。内容は奇抜で、一貫したストーリーはなく、牧師の死を悼む真っ黒に塗り潰されたページや、読者の想像のままに描いてほしいと用意された白紙のページ、タイトルだけが記された章、自分の思考をあらわす 「マーブルページ」 と呼ばれる墨流し絵のようなページなど読者をからかうような意匠に満ちた本。

※図版は雰囲気だけで選んだ川瀬巴水の「大森海岸」です。

2021年9月7日火曜日

次の本が出来るまで その211

 ラ・ロシュフコー格言集より(2)


人間一般を知ることは人間個々を知ることよりも容易である。


                     ♠︎


人はその平安を自分自身のうちに見いださないかぎりどこを捜してもむだである。


                     ♠︎


むこうの言い分もきいてやろうという気がなくなったら、もうその人の負けである。


                     ♠︎


人間における才能の一つ一つは、樹木の一つ一つと同様、それぞれに特有な性質と力を持っている。


                     ♠︎


この世はいかに定めなく変わるように見えても、そこには目にみえぬ一種の連続があり、常に摂理によってさだめられた秩序がある。この摂理あればこそ、万物はそれぞれの列をすすみ、その定命の流れに従うのである



※本文とはまったく関係ない写真ですみません。ここは平安神宮近くの古本屋さん。外観からも想像できるように、店内はいい感じのカオスで、裸電球の下、積み上げた本で家が潰れるのではないかという恐怖と隣合わせの本探しはスリル満点です。近くへお越しの節はぜひ足をお運びください。


2021年9月2日木曜日

次の本が出来るまで その210

 ラ・ロシュフコー『格言集』より




われわれはみんな他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い。


                   ♣︎


人は自分で思っているほど幸福でも不幸でもない。


                   ♣︎


おべんちゃらはわれわれに虚栄がなければ通用しないにせ金である。


                   ♣︎


希望はずいぶんうそつきではあるけれども、とにかくわれわれを楽しい小道をへて人生の終りまでつれていってくれる。


                   ♣︎


嫉妬は恋といっしょに生まれる。しかし恋が死んでも必ずしもいっしょに死にはしない。


                   ♣︎


われわれは人生のもろもろの時期にまったく新参ものとしてたどりつく。いや、われわれはいくつ年をとっても、しばしばそこでは未経験者である。


※頷けるものもあり、そうでないものもあり、ウマいコトをいうのはムズかしい。

2021年8月24日火曜日

志賀直哉『老人』

『老人』 志賀直哉


芥川龍之介は、
 「志賀直哉氏の作品を一貫している特色は、一言にして言えば知的なことである。氏の作品は、どれを見ても、巧妙なる建築家の手になった設計のように、整然たる面目を備えていないものはない。どの行を消しても、全体の釣合は破れてしまう、又、どの行を加えても、矢張全体の釣合が狂ってしまう。(中略)『老人』の如きは、実に僅々十頁の作品で、殆、何の遺憾もなく、おさめ得るだけの効果をおさめている。」


※表紙の文字は活字にしたほうがよかったかもしれません。それにしても地味ですね。

2021年8月13日金曜日

次の本が出来るまで その209

 短編

時間にすればほんの4、5分のどこにでもありそうな話ですが、なぜか心に残りました。


※芥川龍之介未定稿集より

2021年7月31日土曜日

次の本が出来るまで その208

 流星の道 与謝野晶子

タイトルが素敵なので……。五首掲載します。


※最近夜空を眺めたことがありますか。

2021年7月21日水曜日

次の本が出来るまで その207

名文

新聞の投稿欄にあった文章を紹介します。投稿主は磯田七虹さん(12歳・小学生)です。


荷物持ちのお手伝いしたよ


 学校からの帰り道、私が一人で歩いていると、前にとても重そうにスーパーの買い物袋を持って歩いているおばあさんがいました。

 「こんにちは」とあいさつをして通りすぎましたが、気になってふりむくと、休けいしながら歩いていました。思わず戻って「持ちましょうか」と声をかけると「ありがとね」と言われたので、私が買い物袋を持って2人並んで歩きました。

 私は、おばあさんに笑顔になってほしいと思って話しかけました。暑くなったこと、学校でタブレットが使えるようになったこと。おばあさんは、うれしそうに聞いてくれました。

 分かれ道まで来たので、買い物袋をおばあさんに渡して「さようなら」と言いました。するとおばあさんは「本当にありがとね」と言ってくれました。私は晴れやかな気持ちになり、勇気を出して声をかけてよかったと思いました。おばあさんは笑顔になり、それ以上に私も笑顔になりました。

                               毎日新聞2021年7月21日(水)朝刊より

※七虹さん、ありがとう。いい文章に出会うと心が洗われます。

2021年7月12日月曜日

次の本が出来るまで その206

 『ドリアン・グレイの画像より


世の中には他人に拾われはしまいかという虞(おそ)れがなければ、捨ててしまいたい

 ようなものが無数にある。


                  ✣


人間は幸福なときはつねに善良なんだよ、だが善良なときかならずしも幸福とはかぎらない。


                  ✣


女ってものはちょうど『人類』が神々を扱うようにわれわれを扱うものだ。

 女は男を崇拝したあげく、あたしのためになにかしてくれといっていつも男を悩ます。


                  ✣


真に魅力のある人間というものは二種類しかない──絶対になにもかも知りつくしている

 人間と、絶対になにも知らない人間だ。


                  ✣


女というものは自分の亭主のことを見破ると恐ろしくだらしなくなるか、さもなければ

 ほかの女の亭主に買わせたとてもしゃれた帽子をかぶるかのどちらかだ。


                  ✣


女は自分を崇拝してくれる男に逃げられるとだれかよその女の崇拝者を横取りする。


※と、オスカー・ワイルドは申しております。あと関係ありませんが、オリンピックの開催には反対です。

2021年6月30日水曜日

次の本が出来るまで その205

 フローベールが言うには


医学[médecine] 

 健康なときは愚弄(ぐろう)すべし。


怒り[colère] 

 血行をよくする。したがって、ときどき怒りを覚えることは体によい。


いとこ[cousin] 

 妻の「遠縁のいとこ」だという男には警戒するよう、夫には忠告すべし。


[visage] 

 「魂を映しだす鏡」。だとすると、ずいぶん醜い魂のひとたちがいるものだ。


老人[vieillard]

 洪水や雷雨などが発生すると、土地の老人連中は、こんなにひどいのは見たことがないと

 かならず言う。


小間使い[femme de chambre]

 みんな女主人を裏切る。

 彼女たちの秘密を知っている。

 しばしば彼女たちより美人である。

 かならず一家の息子によって誘惑される。


キス(する)[baiser]

 「接吻する」と言うほうがより上品。

 やさしい盗み。

 キスを「してもいい」のは、

 若い女性の額、

 母親の頬、

 美人の手、

 子供の首筋、

 恋人の唇。


※出典:「紋切型辞典」(岩波文庫)


2021年6月23日水曜日

中島敦『寂しい島』

 『寂しい島』中島敦


この作品は、彼がパラオの南洋庁に勤務していた頃の見聞を題材にした『環礁─ミクロネシア巡島記抄─』の中の一篇です。

赴任したパラオ諸島に、子供が生まれない離島があります。原因は不明です。島には二十歳以下の人間は、五歳の女の子が一人いるだけで、近いうちに島から人間が居なくなるのは間違いありません。作者は島で満天の星を見ながら、地球上から人類の絶えてしまった後の世界を想像します。「誰も見る者も無い、暗い天体の整然たる運転」の世界を……。いい作品です。


※2冊あります。販売いたします。2,000円(税・送料込)メールでお問合せください。

2021年6月15日火曜日

次の本ができるまで その204

  芥川龍之介 『SODOMYの発達』 (二)


 清が中学の一年生になった時の事である。

 二級上に勝田と云う男がいた。短い髯の生えかけた、太った男で、色の黒い脂ぎった体は、柔道の上手なのを示していた。この男が何と云う事なく、清と親しくなった。
 柔道の道場へゆくと、親切に稽古をしてくれる。算術の宿題でむずかしいのがあると、教えてくれる。学校から帰るときも又、一緒に帰ってくれるのである。
 所がある夜、ふいに勝田が清の家へさそいに来た。近所の大師様の縁日へ行こうと云うのである。清はすぐに承知した。そうして一緒に外へ出た。
 勝田は自分の腕と清の腕と組んで歩いた。この男とは、いつもこうして歩くのである。
 縁日は一通りざっと見た。けれども勝田は、うちの方へ歩をむけない。狭い通りを、淋しい川岸の方へ歩いてゆく。
 「どこへゆくの」ときくと「まあこいよ」と大ように答える。
 その中に二人は、石をつんであるところへ来た。大きな花崗岩や安山岩が、行儀よくつみかさねられて、その間に又細い路がついている。この細い路へはいると、勝田は立止った。両側とも石が可成高くつんであるから、空が細長く見える。その空には天の川が、煙のように流れていた。
 勝田は、ぐっと力をいれて清をひきよせると、耳の近くヘ口をよせて「おい□□□□□をかせよ、な、いいだろう」と云った。清は強い恐怖を感じた。色の白い顔を斜にふって、拒む意をしめした。が実は□□□□□を借すと云うことが、どんな事だか、よくわからなかったのである。唯それが、漠然と悪い事のように考えられたのである。
 勝田は上眼をつかって「いいだろう、なっ、かさなければ俺だって考えはあるんだぜ。なっ、いいだろう」と繰返した。そうして、その言が完る時には、もう左の手で清の首から胸をささえながら、右の手で裾をまくりかけたのである。
 清は「よし給えよ、人が来るようだから、ねっ、よし給えってば」と低い声で言った。実際は、人が来るような気はいがなかったのである。勝田は一寸手をとどめて、耳をすました。そしてすぐ又、清の背中の上に掩いかかるようにして「なっ、かせって事よ」と云った。
「よし給えよ、僕はうちで叱られるから、よし給えってば、ねっ」
「うちへは黙ってるさ、誰にも知らさなければいいじゃないか」
「だって」
「黙ってりゃいいだろう」
すぐ勝田の手が動こうとする。清はおいかけるように「だけど僕はいやだもの」と云った。
 「いやならいいさ、いいけれども俺だって、そうなれば考えはあるぜ、なっ、だからかせよ。だまってりゃいいじゃないか、なっ」
その中に、勝田はもう清の下ばきの紐をといた。ずるずるとずるこけて落ちる、ネルの下ばきを清は気味わるく感じた。まくられた腰から下がうすら寒い。
 清は羞恥と恐怖で、顏を赤めた。何だかすべてが、夢の中の事のような気がする。勝田の手が◯◯◯◯◯の上を、何度もなでた。さうするとそこが冷くなつた。どうも洩れたらしい。
 すると勝田は、自分の上半身の重量を清の小さな体の上に託して、清を下へ押しふせるようにした。 清は中腰になって丁度、蛙を立てたような形になった。其時、勝田の左手は、後からしっかりと清をだきしめた。清は直に◯◯◯◯◯にSOMETHINGの触れたのを感じた。触れたばかりではない。それが非常な力で、内へ押し入れられるのを感じた。
 そして、殆どそれと同時に、勝田の右の手が、淸の△△△△△をとらえた手が、巧にこぐように動かされると、△△△△△に快い感じを以て✕✕✕✕✕した。清はその✕✕✕✕✕したのが、何となく淺間しかった。
 すると清は、可成な太さのものが、可成の深さを以て◯◯◯◯◯にはいったので、一種の疼痛を感じた。最もそれより前に、不気味な感じは、絶えず生じていたのである。
 「いたい」勝田は黙っている。「あいた、いたい」「がまんしろよ」。笑をふくんだ勝田の声がした。その中に、圧迫が減じたと思ふと、すぐ勝田の△△△△△は清の◯◯◯◯◯を離れた。それから同じような事が、二三度くりかえされた。
 そうして、やっと又、下ばきの紐をむすんで、元のように腕をくんであるき出すと、勝田は「ほかの奴にかしちゃいけないぜ、えっ」と云った。清はだまってうなづいた。
 其後勝田は、清を釣に誘った。そして又、船の中で□□□□□をほった。三度目には、勝田のうちの二階で、頭から毛布をかぶせてほった。
 これまでは、いつも実行される迄に清が、多少の拒絶の意を示したのである。けれども、四度目に、学校の便所のうしろでやられた時に、清はすぐ洋服のMぼたんを、はずしたのである。こうして、とうとう勝田のCHIGOになったのである。

※ローマ字表記の部分は記号にしています。芥川の作品ということで掲載しましたが、内容が思ったより過激なので今回で最後にします。

2021年6月3日木曜日

次の本ができるまで その203

 芥川龍之介 『SODOMYの発達』 


 これはSODOMYの発達を書こうと思うものである。自分自身の事実に多少の粉飾を加えるのが前のVITA SEXUALISと違っている点である。HEROの名は「清」とした。別に意味のある事でもない。


 清が十一歳の時であった。 

 清の友達に木村関雄と云う少年があった。毛の薄い雀斑のある瘦せぎすなたちで、笑うと口もとが左へまがる癖があったが清とは誰よりも仲よくつきあっていたのである。

 時は春の中ばであった。学校の庭には海棠や木蓮が咲くし狭い池の水もどんよりと柔かな藍色に濁って、何となく暖みのこもった感じをあたえている。その春の日の午後に、清と木村とは掃除番で他の生徒が一時間体操をしている間だけ教室にのこって、はたきをかけたり塵を掃いたりする役になっていた。

 用がすむと二人は、向きあった机に腰をかけて、一緒に教科書を見はじめたが、木村ははじめから何となくそわそわして、落ちつかないようであった。何かと云うと清の手をとったり首をなでたりする。清は格別気にもとめなかったが、唯何となくそれが六月蝿かったので、その都度に顔をしかめてとられた手をはなした。勿論教室の中には誰もいない。

 隣の教室で読本をよむ声がするより外は、何もきこえない。白い壁にさげられた時計の針はまだ十分すぎたばかりである。窓からは青くはれた空が見えていた。

 木村は幾度も居ずまいを直したり、身体をゆすったりした。そして、話のついでに、清の傍へよる。そして、仕舞には、清の背から手をまわして、丁度両手で抱いたようになる。

 と今度は、顔を次第に近づけ始めた。時々頬と頬とがふれる。木村は益々力をいれて抱くようにする。

 時々話がきれると、清はそれをしおに、木村の手をはなそうとしたけれども、中々はなさない。そうして、しばらくすると、

「君、僕は君にLOVEしちゃった。君はLOVEって事をしってるかい、えっ」と云った。

 清は黙っていた。知っているような、知っていないような事である。

 その中に、木村は一そう力を入れて、清を自分の胸の方へひきよせた。ところが清がそれを抗がおうとして、左の手を木村の膝へかけると、手がすべって木村の帯の下へさわった。そしてそこに、袴の上から、固いもののあるのを感じた。そうすると、木村は急に早口に「しようよ、ねっ。いいだろう、ねっ。いや、えっ」ときいた。清は何だかわからないので「何を」とききかえした。前に書き落したが、清は木村より二つ年下である。

 木村は黙って、清の袴の紐をといた。その時清は、何かがかすかにわかったような気がした。けれども、まだ淡い恐怖に似た感じがするだけで、慥には何ともわからなかった。木村は又、自分の袴もとくと、そこの土間に清を押し仆した。「およしよ、およしってば」「いいじゃないか、ねっ、いや? いいだろう、ねっ」木村は左の手で、清の肩を仰えて起きないようにした。そして右の手で、自分の前をひろげると、又清の前もひろげた。二人ともSARMATAは、はいていなかった。

 「およしよ、関さん。およしってば、よう」

 清は多少の羞恥を感じたので、こう云った。木村は小さな声で「いいじゃないか、いいじゃないか」と何度も繰返した。

 そうして自分の□したを、清のそれに力づよく押しつけた。清のそれはしていなかった。

 清は仰むいたまま、自分の□□□□□に、熱い固い木村のそれを、幾度となく感じたのである。

 その中に木村は、黙って前をあわせて、袴の紐をしめた。清も同じようにした。

 木村は「誰にも云うのはよし給えよ」と云った。清は好意を以てその注告を守ったほど、まだ何もしらなかったのである。


※冒頭からの一部を掲載しました。伏字のところはローマ字表記です。問題があれば削除します。

 「VITA SEXUALIS」は『芥川龍之介未定稿集』(荒巻義敏編、岩波書店)に掲載されています。

2021年5月24日月曜日

ヨハン・ペーター・ヘーベル『暦物語』

『暦物語』 ヨハン・ペーター・ヘーベル

『暦物語』より「思いがけぬ再会」「恐ろしい事件が平凡な肉屋の犬によってあばかれた話」の二作を選びました。『暦物語』とはカレンダーに添える短い挿話や教訓話のことで、編集を担当したヘーベルは多くの物語を作りました。二百年も前のことです。彼の作った話は機知とユーモアに富み、現在も愛読されているということです。


※アンデルセンの『月の物語』とどちらを作ろうか迷いました。次回は日本の作家に決めています。

2021年5月18日火曜日

次の本ができるまで その202

「Lies in Scarlet」の言

                   Arthur Halliwell Donovan


もしプラトニツク・ラヴと云ふものがあつたら、自分は必人間より馬に惚れたのに相違ない。

幸福とは幸福を問題にしない時を云ふ。

藝術の境に未成品はない。あればそれは下等な完成品である。

不幸にして自分は、眞面目を標榜する程不眞面目にはなり得ない。

如何にして年をとらうか──これが人間に與へられた最大の問題である。

運命は自由意志の中にある。

彈丸に中つて死ぬのと、餓死するのと、どちらが好いか。それはまだよく考へた上でないと、きめられない。

戰ひたくないと思つたら、やはり戰ふ外はない。たとひそれが敵國に對してでなくとも。

最大の奇蹟は言語である。


                               羽賀宅阿譯

「芥川龍之介全集第九巻」未定稿・断片より

※ご存知の方も多いだろうが、これは芥川作のパロディでタイトルの「Lies in Scarlet」は「真っ赤な嘘」という意味らしい。作者のAuthur 何とかももちろん空想の人物で、訳者の羽賀宅阿は逆から読むとあくたがわになる。

2021年5月5日水曜日

次の本ができるまで その201

墓地はいいな

五月三日、天気は快晴、近所の金戒光明寺の墓地へ行きました。人もほとんどいません。気の向くまま、墓石に刻まれた名前や没年を眺めて歩きまわりました。隣の真如堂の墓地へも行きました。知らない人から見れば怪しい老人です。ここの墓地はとにかく広く、静かで心休まるところです。

下手な写真を掲載しておきます。


『ヘンリ・ライクロフトの私記』より

 私は散歩のおりにはいつも道を折れていかにも田舎じみた教会墓地の中を通ることにしている。都会の墓地は不快なものだが、それとは逆にこの鄙びた墓所は魅惑的なものだ。墓石に刻まれた名前を読み、ここに静かに眠っている人々にとって、人生の辛酸も苦悩もすぎさったのだと考えると、深い慰めを感じる。私には少しの悲しみの情もわいてはこない。「某ココニ眠ル」という墓碑銘にまさる頌詞(しょうし)がほかにあるであろうか。死の威厳にまさる威厳はない。(中略)

 この樹蔭の静寂の中で、死者たちは、まだこの世に残るべく運命づけられている者に向かって次のような励ましの言葉をささやいているようにみえる。「我らのあるごとく、汝もかくなるべし。されば見よ、我らの静寂を」と。


※墓マイラーというらしい。

2021年4月22日木曜日

次の本ができるまで その200

短編

ジェフリー・アーチャー『十四の嘘と真実』の最初のページに載っていた短かい話。


死神は語る


  バグダッドに住む一人の商人が、召使いを市場へ買物に行かせた。しばらくすると召使いが真っ青な顔をして震えながら戻り、主人に報告した。「だんな様、今しがた市場の人混みのなかである女と体がぶつかり、振りかえってみたところその女は死神でした。女はわたしを見て脅かすような身振りをしたのです。どうか馬を一頭お貸しください。この町から逃げだして死の運命からのがれたいのです。サマラの町までいけば死神に見つからずにすむでしょう」

 商人は馬を貸してやり、召使いは馬の背に跨(またが)って脇腹(わきばら)に拍車をくれ、全速力で町から逃げだした。

 それから間もなく、商人が市場へ行くと死神が人混みのなかに立っていたので、彼は近づいて行って話しかけた。「今朝わが家の召使いと会ったとき、脅かすような身ぶりをしたのはなぜですか?」

 「あれは脅かすような身ぶりではありません」と、死神は答えた。「わたしはただ驚いただけなんです。じつは、今夜サマラで彼と会うことになっているので、バグダッドにいるのを見てびっくりしたんですよ」


※落語の枕のような気も。

2021年4月13日火曜日

マルセル・アルナック『無人島』

 『無人島』マルセル・アルナック


 『無人島』というお話です。船が嵐にあって、気がついたら見たこともない海岸に流れ着いていた主人公と侯爵夫人。ああ、これはきっとあれね、と想像できる鉄板のストーリーです。以前カフカの作品(「道理の前で」2015年12月24日掲載)をマッチ箱に入れて作りましたが、今回も同じ体裁です。



※仕事が粗いですね。

2021年4月9日金曜日

次の本ができるまで その199

 書出しの妙


 どんな家庭でも、戸棚の中に骸骨をひとつ隠し持っている、と言ったのは、イギリス人であったろうか、フランス人であったろうか?
                            W・コリンズ「家庭の秘密」

※戸棚の中の骸骨=外聞がはばかられる一家の秘密のこと。ちょっと気になったので。

2021年3月29日月曜日

次の本ができるまで その198

薄田泣菫『茶話より「欧陽詢と石碑


世知辛い世の中です。しばし欲得に関係のない話でご機嫌を伺います。

※理由あって作れなかった(作らなかった)作品
サフラン(森鴎外)杯(森鴎外)海の誘惑(岸田國士)巴里素描(岸田國士)名人(中島敦)夾竹桃の女(中島敦)

盂蘭盆(北条民雄)門づけ(小泉八雲)怪談 女の輪(泉鏡花)一寸怪し(泉鏡花)沼地(芥川龍之介)有間(高浜虚子)餓鬼(菊池寛)黄昏(島崎藤村)その女と金(宇野千代)原爆被災時のノート(原民喜)大地炎上(マルセル・シュウオッブ)化粧(神西清)

2021年3月16日火曜日

次の本ができるまで その197

 桜 五題

新古今和歌集より桜を詠んだ歌を並べてみました。


※さくら散る別れ話の膝の上