2015年6月23日火曜日

次の本ができるまで その7

次の本がなかなかできません。

国木田独歩の短編「肱の侮辱」。
小説家矢島の友人木谷は中学校で美術教師をしている。風采の上がらない男で吃音症でもある。或る日、矢島は木谷と同じ電車に乗り合わせた。後から乗り込んできた中学生たちが、座っている木谷に気がつき、肱で合図しながらこちらを見てクスクス笑いだした。これを見て矢島は腹がたった。何ヶ月か後、中学校で行われた講演会に演者として立った矢島は生徒たちに向かって話はじめた…。

いじめ自殺があれこれ言われていた頃、そのうちに作ろうと思いながらそのままになっている。

追記 6月30日

昨日読んでいた志賀直哉全集第15巻238頁に 〈獨歩の「ヒヂの侮辱」を讀むで涙が出て来た〉の1行あり。

作りたい作品に出会っても、少し長いとあきらめざるを得ない。小さい本でも読めるように大きな文字で組むのだが頁数が56ページを超えると読む気が失せる。自分がそうだから人もそうだろうと思う。鷗外の「電車の女」が1頁84字で52頁あり計4300字でかなり長い。話が面白くないと飽きる。「夢十夜」や「尾生の信」は65字の28頁で1820字。さらっと読むにはちょうどいい長さだが少し物足りない気もする。しかし実際は文章の長さではないかもしれない。1行の言葉や、ささいなエピソードが何十巻の物語を凌駕することもあるだろう。そんな感動に出会いたいといつも思っている