2015年7月31日金曜日

虚子『風流懺法』 ええとこ取り

高浜虚子の「風流懺法」の面白さはその会話にある。自分がまるでその場に同席しているように感じさせる描写が絶妙で、登場する舞妓のあどけない仕草が目に浮かんでくる。ここにそのシーンを抜き出してみたい。果たしてどこまで伝わるだろうか。



場所は祇園「一力」の座敷。
訪れた主人公は仲居のお艶に赤い前垂れのいわくを訊いていた──


「三千歳(みちとせ)はん上げます」 
という声が聞える。舞妓は余等の前に指を突いて、
「姉はん、今晩は」 
とお艶(つや)に会釈する。厚化粧の頬に靨(えくぼ)が出来て、唇が玉虫のように光る。お艶の赤前垂れの赤いのが此時もとの通り帯の間に畳まれて、極彩色の京人形が一つ畳の上に坐って居る。
「お前いくつ」 
「十三どす」
「ほんまに可愛い児どすやろう。私等毎日見てますけど、見る度(たんび)に可愛てかないませんわ」
とお艶は銀煙管に煙草をつめる。
「其帯は妙な結びやうね」
「これどすか、こうやつて、ここをこう取つて、こつちやに折つて、こう垂らしますのや」
と赤いハンケチを膝の上でたがねて見せる。白い指が其ハンケチにからまって美しい。
「何というの其名は」
「だらり」 
「髷(まげ)の名は」
「京風」 
「櫛(くし)は」
「これどすか」
と白い手を前髪の後ろにやって、
「花櫛、これは前髪くくり。あなた何書いといやすの」 
と余のノートを覗き込む。
「三千歳はん、今日虚空蔵様(こくぞうはん)へお詣りやしたか」
「ハー」
「何というてお拝みだ」
「阿呆どすさかい智慧おくれやす、ちうて」
銀紙の衝立の蔭からまた人形が一つ出る。
「松勇はんあげます」
「姉はん今晩は」
と三千歳に並んで坐って、
「今日お詣りやしたか」
と三千歳の手を取って自分の膝の上に置く。
「ハー」
「帰りしなにあとお向きやへなんだか」
「向かしまへなんだ」
と三千歳は髷の上を両手で圧へる。
「面白さうなお話ね」
と聞くと、
「虚空蔵様に詣って戻り道にあと向くと智慧かへしますてやわ。あの染菊はんな、つい忘れてあと向かはって、帰らはってから阿呆にならはったて、おぉいや」
とお艶がいう。
「いやらし」
と三千歳と松勇は同じように眉をよせて同じように背中の帯に手をやる。一つの糸で二つの人形が一所(いっしょ)に動いたのかと思われる。ちりけ元から垂れた帯は松勇のが殊に長く畳の上に流れている。
「その帯は何という結びよう」
と又松勇に聞いて見る。
「これどすか、だらり」
「髷は」
「京風」
と同じ事をいう。
銀紙の衝立の蔭から今度は人形が二つ出る。
「喜千福(きちふく)はんあげます」
「玉喜久はんあげます」
「姉はんおほきに」
「姉はんおほきに」
と二人並んで燭台の向うに坐る。此方の二人が鏡にうつったようによく似て居る。
「二人の帯は」
と又聞くと、
「これどすか、だらり」
と喜千福が玉喜久を見る。
「髷は」
「京風」
と玉喜久が喜千福を見る。
「同じことお聞きやす」
と三千歳は笑つて又ノートを覗き込む。
「喜千福はん、あんたの顔見て書いといやすわ。妙な顔にお書きやしたえ」
と三千歳がいう。皆が笑つて喜千福の顔を見る。
「おぉ晴れがまし」
と喜千福は長い袂の中程で顔をかくして、
「姉はん、芸子はんは」
「お花はん貰ひにやったの、もう来やはるやろ、あんた都踊(みやこをどり)にお出るのン」
「ハー」
「踊りばっかり」
「踊りと鼓」
「三千歳はんは」
「踊りばっかり」
銀紙の衝立の蔭から今度は五十余りの芸子が出る。
「お花はんあげます」
「姉はんおほきに」
とお艶に会釈して座ると、
「姉はん」
「姉はん」
「姉はん」
「姉はん」
と四つの人形が先を争って老妓にお辞儀をする。(続く)

※新字新仮名にしました。

2015年7月28日火曜日

夏目漱石『断片』より


◎昔は御上(おかみ)の御威光なら何でも出来た世の中なり
◎今は御上の御威光でも出来ぬ事は出来ぬ世の中なり
威光を笠に着て無理を押し通す程個人を侮辱したる事なければなり。個人と個人の間なら忍ぶべき事も御上の威光となると誰も屈従するものなきに至るべし。是パーソナリチーの世なればなり。今日文明の大勢なればなり。明治の昭代(しょうだい)に御上の御威光を笠に着て多勢をたのみにして事をなさんとするものはカゴに乗って汽車よりも早く走らんと焦心するが如し。


『夏目漱石全集』第13巻(昭和50年・岩波書店刊)