2023年4月7日金曜日

次の本が出来るまで その274

 『ヘンリ・ライクロフトの私記』より抜粋


 かつてジョンソンがいった。「君、貧乏がけっして不幸なことではないという議論が多いが、そういう議論そのものが、結局は貧乏が明らかに大きな不幸であることを証明している。たくさんお金があれば幸福にくらせる、ということをやっきになって説こうという人間はまずないからね。」

 この率直な、常識の大家ジョンソンの言葉は、誠に人生の機敏をうがっている。(中略)

 「貧乏は」とさらにジョンソンはいった。「全く大きな不幸なのだ。しかも多くの誘惑、多くの悲惨をもたらす不幸なのだ。したがって私は心からそれを避けるよう諸君にすすめざるをえない。」

 私自身は、貧乏を避ける努力をせよという、そんな忠告は不要であった。ロンドン中の多くの屋根裏は、貧乏というこの面白くもない相棒といかに私がいがみあったかを知っているはずだ。貧乏神が最後まで私につきまとわなかったのを私は不思議に思う。それは自然界における一種の気紛れかもしれない。もし気紛れだとすると……しばしば真夜中に眼をさました時などになんとなく私が不安にかられるのも実はこのことなのだ。


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 時は金なり──ということわざがあるが、古今東西を通じてこれくらい卑俗な諺もあるまい。しかし、これをひっくり返してみると一つの貴重な真理がえられよう、いわく、金は時なり。(中略)金こそは時間なのだと思う。金があれば、私は時間を自分の好きなように買うこともできる。もし金がなければ、その時間もいかなる意味においても私のものとはならないだろう。いや、むしろ私はその憐れな奴隷とならざるをえないだろう。

 金は時間だ。ありがたいことに、この種の買い物をするのには金はわずかでいいのである。あまり多くの金を持っている人は、金の本当の用い方に関するかぎり、金をあまり持っていない人と同じく、生活は苦しいものなのだ。われわれが生涯を通じてやっていることも、要するに時間を買う、もしくは買おうとする努力にほかならないといえないだろうか。ただ、われわれの大多数は、片手で時間をつかみながら、もう一方の手でそれをなげ捨てているのである。


※作者のジョージ・ギッシング(1857-1903)はイギリスの小説家。いつの時代でも金が人生を左右するのか。