2016年6月25日土曜日

次の本ができるまで その23

ヨギ・ベラ 

1925年5月12日 ─ 2015年9月22日
元ニューヨーク・ヤンキースの捕手。彼の発言はヨギイズム(Yogiisms)と呼ばれ、野球に興味のない人々にも親しまれています。(ウィキペディアより)
いくつか掲載します。



2016年6月13日月曜日

次の本ができるまで その22

スーパーの前で


おじいさんは何かにつまづいた。踊るように二三歩進むと、前のめりに倒れた。提げていた紙袋から今夜のおかずらしいコロッケが二つ地面に転がった。カエルのように這いつくばった姿がおかしかったのか、見ていた誰かが声を押えて笑った。おじいさんは聞こえないふりをして、抱き起こしてくれた人に礼を言うと、拾い集めたコロッケを入れた紙袋を手に、おぼつかない足どりでまたそろそろと歩き出した。


2016年6月2日木曜日

次の本ができるまで その21

前句付け


前句付けとは、出題された七・七の短句に五・七・五の長句をつけるもので、元禄ごろから庶民の間に流行し、のちの川柳の母体となりました。(コトバンクより)

どんなものかひとつ例をあげます。
粋な言葉遊びです。



2016年5月5日木曜日

ジュール・ルナール『葡萄畑の葡萄作り』『榛のうつろの実』


ジュール・ルナールは『にんじん』や『博物誌』で知られるフランスの小説家です。短文を集めた『葡萄畑の葡萄作り』はルナール30歳の作品で、大正13年岸田國士の訳で出版されました。この本の中から「力持ち」「七面鳥になった男」「水甕」「商売上手な女」を『葡萄畑の葡萄作り』として一冊にしました。また同じ本に掲載されていた『榛のうつろの実』の気に入った言葉をいくつか選んで一冊にしました。読んでいると、なるほど芥川が『文芸的な、余りに文芸的な』でルナールを好意的に書いているのも頷ける気がします。少し物足りないので作品を吟味してもういちど作ってみたいと思っています。

※帯の文章がおかしいので赤いボールペンで直しました。また“ルナール”を“ルナアル”と昔の表記のまま使用しているのも間違いです。次に作る時訂正します。不悪。





2016年4月15日金曜日

次の本が出来るまで 19

露伴翁の文章


「文は人なり」という見本のような文章です。




次の本が出来るまで 18

書籍の寸法

書籍の寸法は、横が曲尺にて六寸ならば縦は曲尺の裏の尺にて六寸にすべし。
縦横ともに裏表の尺にて同寸にすべし。
外題は縦は書物の三分二、横は六分一なり。
書物に限らず、縦横ある箱なども裏表の尺にて同寸にすれば恰好よろし。

昔の本に載っていました。覚えとして書き留めておきます。

2016年4月6日水曜日

次の本が出来るまで 17

当たり障りのない話でお茶を濁します。
本を読んでいるとこんな文章がありました。

金、三両。
右、馬代、
くすかくさぬか、こりゃどうじゃ、
くすというならそれでよし、
くさぬにおいてはおれが行く、
おれが行くには、ただおかぬ、
かめが腕には骨がある。

※くす=返す

馬方の亀という男が、馬を三両で売りました。ところが相手の男が、容易に金を払わない。そこで出したのがこの手紙。要件だけを伝える簡潔な手紙の例として載っていたものです。

2016年3月14日月曜日

夏目漱石『変な音』

夏目漱石の短編『変な音』です。
センター試験に出題されたこともあるのでご存知の人がいるかも知れません。
漱石はこれを書く前の年に修善寺で吐血し、生死の境をさ迷いました。運良く回復しますがその後も入退院を繰り返しています。この作品は入院した病院での出来事を綴ったものです。

入院している隣の病室から夜になると変な音が聞こえてきます。それは大根おろしをするような音でした。誰が、何のために……腑に落ちない漱石は音の発生源を考えます。ホラーやミステリーではありません。重症患者の病棟で生死を思う味わい深い掌編です。

思うところあって、体裁を変えた別ヴァージョンを作りました。




2016年3月11日金曜日

次の本ができるまで 16

日本語も英語もまったくなんちゃって訳です。
こんなことを言いたいのだろう、きっとそうだろうと。


陶淵明  帰去来兮 homeward bound 



序 Prologue

私の家は貧乏で、百姓だけでは食べて行けない。
My house being poor, cannot live with just the farmer.

幼い子どもがいつも腹を空かせているが、家には一粒の米もなく、収入を得るめどもない。
The young child has spaced the stomach always, but there is no either food completely in the house and there is no either aim which works.

親戚が私に官吏になれとすすめるが、どうしたらなれるのだろう。
The kindred being accustomed recommends to the official in me, but if how it does, probably will be accustomed to the official.

たまたま皇帝が入れ替わる時だった。
Accidentally when the emperor inserts and substituting was.

窮状を見かねた叔父が官吏の仕事を周旋してくれた。
From combining, the uncle who justified sympathy mediated the work of the official.

世の中はまだ戦乱が続いていたので、遠くへは行けない。
Because as for society disturbances of war were continued still, the distance was dangerous.

勤め先の彭澤(ホウタク)は家から僅か十里ほどの隣町で、公田の収獲で酒をつくることもできるらしい。
The Houtaku of the workplace from the house harvesting the wheat in next door town about of 25 miles, can also make the liquor seems.

わたしは思い切って就職した。
I was employed resigning.

しかし勤めて二か月あまり、日に日に故郷への思いが強くなる。
But serving, two month remainders, in day the thinking to the home becomes strong in day.

人の性格は無理に歪めたり誤摩化したりはできないものだ。
It is something where character of the person does not twist unreasonably and it is not possible, and does not cheat in the same way and is not possible.

貧乏はもちろんつらいが自分の気持に嘘をつく毎日も同じようにつらい。
Poverty of course balance. But every day when lie you are attached to your own feeling in the same way balance.

本来の自分の意思とかけ離れた世界にいることを恥ずかしく思う。
Being in the world where I think shy, am widely different with original my own intention.

秋の収穫が終わったらいさぎよく辞めようとわたしは心に決めた。
I decided in heart, being fall, when harvest of the wheat ends, that it will stop.

そんなとき遠くへ嫁いだ妹の訃報が届く。もう一刻もこうしては居られない。
That such a time the younger sister who marries to the distance died, the letter reaches. Already, in this way also moment, it cannot stay.

妹の葬儀に参列することを理由に職を辞した。
Attending the funeral of the younger sister job was left in the reason.



中秋から冬まで八十日余り、自らの心の内を「帰去来兮」と題す。
From middle fall to winter a little more than 80 day, among hearts of self “帰去来兮” with entitling.


晋安帝義煕元年十一月
November of 405


(次回に続く)It continues

2016年2月24日水曜日

次の本ができるまで その15


蜀山人のものに載っていた一文、こんなものが名物だったのかと驚く。ちなみに江戸の名物「比丘尼」とは尼の姿をした下級の売春婦(コトバンクより)を云う。紫は海苔のこと。


2016年2月10日水曜日

志賀直哉氏のノートより


政治家というものが割に重く見られ、

従って当人も自分が偉いかの如くに思う傾向がある。

此錯覚は何から起こるかといえば

政治或は政権というものには他に命令する機能がある、

政治家殊に大臣などになると

主人になったような気になるらしい、

然し裸の一人間として見る時に

多くは下らぬ奴の寄合いである。

今の政治家という人種、

僅かな例外を除けば下劣極まる人間の集団に違いない。

只或る技術が多少あるだけのもの、

今直ぐ我々に政治をやれといわれて困るのは

その技術が我等にないからに過ぎない。


(昭和九年一月二十二日)

──政治家は昔から何も変わっていないようだ。あの女性議員も、この男性議員も。

2016年1月30日土曜日

『名家遺詠集』

『名家遺詠集』です。
29歳から92歳まで80人の辞世の歌(句)を年齢順に並べました。一番多く残されているのは武士のものですが、「ますらお」や「もののふ」といった勇ましい言葉が多く、内容も似ているのでここでは取上げませんでした。そのぶん俳人や狂歌師のものが増えてしまいました。
登場する人は下記の通りです。
高橋お伝・地獄太夫・式亭三馬・中山信名・文車庵文員・加納諸平・巴扇堂常持・三世歌川廣重・天広丸・服部嵐雪・土岐善静・岩田凉莵・茨木春朔・朱楽菅江・岡崎屋勘六・柳亭種彦・呉山堂玉成・梅屋鶴寿・歌川廣重・珍齋其鸞・談洲楼燕枝・智恵内子・初代本因坊算砂・斯波園女・桃林亭東玉・仮名垣魯文・田捨女・桑岡貞佐・歌川豊廣・紫檀楼古喜・和泉屋源蔵・三谷因石・与謝蕪村・平田篤胤・竹意庵酔夢・志水延清・大淀三千風・深励・女乞食・蜷川親當・條野採菊・小嶋梅外・大木戸黒牛・魚屋北渓・羽川珍重・雛屋立圃・磯部百鱗・濱辺黒人・清水如水・松平定信・近松門左衛門・英一蝶・西行・徳川光圀・山本西武・絵馬屋額輔・白鯉館卯雲・鹿津部真顔・宿屋飯盛・戸田茂睡・谷文晁・小澤蘆庵・遠藤曰人・三世歌川豊國・北村季吟・亀玉堂亀玉・喜多武清・津崎矩子・宗祇・窓村竹・老鼠堂・松永貞徳・蓮月尼・早川丈石・英一桂・葛飾北斎・立羽不角



2016年1月25日月曜日

次の本ができるまで 14

場つなぎに俳句をいくつか掲載します。良し悪しはわかりません。
どの句も人の気配や話し声が聞こえてくるように思いました。



2016年1月7日木曜日

2016年


佳きにのみ 為さんとするや 悪しからむ
      ただそのままに 世こそおさまれ
                      里村紹巴 

年が明けた。気を引き締めて励もうと思う。
露伴翁がこんな言葉をつぶやいている。心に留めておきたい。


2015年12月24日木曜日

「道理の前で」フランツ・カフカ

フランツ・カフカの『道理の前で』(別題『掟の門前』)を作りました。
カフカは現代実存主義文学の先駆者といわれ『変身』や『審判』『城』など、人間存在の不条理を主題とする作品を書いた作家です。
『道理の前で』は文庫本にして3頁ほどの短かいものですが、読み手によってさまざまな解釈を生む奥の深い作品でもあります。

本の外箱にはマッチ箱を使いました。手間が省けて助かりましたが、箱から出したマッチ棒をどうしたものか思案にくれる毎日です。