2017年6月27日火曜日

寺田寅彦『どんぐり』

寺田寅彦『どんぐり』を作りました。

 身重の妻が肺を患い療養のため故郷へ帰ることになりました。出発の日が近づく頃、おだやかな暖かい日を選んで寺田は妻を植物園に誘います。妻は地面に落ちていたどんぐりを拾い集めて子供のように喜んでいました………。

 物理学者の寺田寅彦は漱石と親交があり、夏目家の文章会にも参加し、また俳句や油絵にも才能を示した人物です。漱石は知人への手紙のなかで「寅彦の団栗(どんぐり)はちょっと面白く出来て居る」と記しています。作品は随筆として明治38年4月に「ホトトギス」に発表されますが、小説家が筆にまかせて書いた随筆とは違うしみじみとした余韻の残る小品になっています。




※2色印刷は手間がかかります。でもなんかこれでないと駄目な気がして。

2017年6月16日金曜日

次の本が出来るまで その64

S・モーム



S・モームが気に入った小話としてアナトール・フランスの作品を紹介しています。そのまま掲載してもいいのですが、横組だと事務の連絡文のようで(例えば官邸のだれやらがこんなこと言ってますよとか)読む気になりません。そこで前回と同じように原稿用紙に入れてみました。興味のあるかたは読んでください。


※この話、別の本で読んだ気がするが、思い違いかもしれない。

2017年6月8日木曜日

次の本が出来るまで その63

愉快


露伴翁の文章にこんなものがある。年寄りの道標としたい。


※たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時  橘曙覧

2017年6月1日木曜日

次の本が出来るまで その62

西田幾多郎のうた


『人生は悲哀である』と言った西田幾多郎は、学問のかたわら折にふれ歌を詠んだ。愛する家族を亡くした悲しみを歌った何首かを掲載する。


※こんなふうに詠めたらいいなあ。

2017年5月24日水曜日

次の本ができるまで その61


 諧謔作家のマーク・トウェインが、ある時ヨットに乗って航游していたことがあった。波の荒い日で、さすがの諧謔作家も青い顔をして、何一つものをいわないで、欄干にもたれたまま泣出しそうな目をしてじっと波を見つめていた。
 食堂のボーイは心配して、主人の顔をのぞき込むようにして訊いた。
「大分お苦しそうですが、何かもってまいりましょうか。」
 諧謔作家は咽喉を締められた鴎のような声をだした。
「小さくっていいから、島を一つもって来てくれ。」

                     薄田泣菫『猫の微笑』より

※動画は去年の使い回しです。だれも覚えていませんように。

2017年5月9日火曜日

泉鏡花『胡桃』

泉鏡花の作品『胡桃(くるみ)』を作りました。


コメントは中島敦「鏡花氏の文章」より抜粋しています。


(前略)

私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、之を知ることも(少くとも文学を志すものにとっては)不幸であると(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異る。鏡花氏の作品については之を知らないことは不幸であり、之を知ることは幸である。とはっきり言い切れるのである。


 泉鏡花というと奇怪な怪談話を想像しますが、そんな話ではありません。 旅人がおみやげを買おうと故郷の町の菓子屋に入ると、美しい新妻らしき女性が応対をしていました。旅人は初々しい女のようすを細かに観察し、その純真さにつけこんで小さな狼藉を働きます……。おみやげの胡桃はどうなったのか、若妻はどうしたのか、何度読んでもその結末がはっきりしません。そんな作品です。



※美しい鏡花の本をご存知の方は多分苦笑していることでしょう。なんとまあ品のない…

2017年4月30日日曜日

次の本が出来るまで その60

文章の美しさ


谷崎潤一郎が自著『文章読本』の中で志賀直哉の文章をこんな風に書いています。


(前略)氏の文章に於ける最も異常な點を申しますと、それを刷つてある活字面が實に鮮かに見えることであります。と云つても、勿論志賀氏のものに限り特別な活字がある譯はない。單行本でも雑誌に載るのでも普通の活字で刷つてあるのに違ひありませんが、それでゐて、何か非常にキレイに見えます。そこの部分だけ、活字が大きく、地紙が白く、冴えざえと眼に這入ります。これは不思議でありますが、なぜそう云ふ感じを起させると云ふと、作者の言葉の選び方、文字の嵌め込み方に愼重な注意が拂はれてゐて、一字も疎かに措かれてゐない結果であります。そのために心なき活字までが自然とその気魄を傳へて、恰も書家が楷書の文字を、濃い墨で、太い筆で、一點一劃苟くもせずに、力を籠めて書いたかのやうに、グツと讀者に迫るのであります。


※印刷した時の字面が美しいという見方は面白いと思いました。

2017年4月24日月曜日

次の本ができるまで その59

格言をひとつ


どんなに長生きしても、初めの二十年が

最も長い半分である。(サウジー)

※そうだ、たしかにそうだ。

2017年4月17日月曜日

次の本ができるまで その58

そういえば……


そういえば、金子光晴がある本で

カレー(たぶんドライカレー)のことを「からしのおぢや」

コーヒーのことを「豆の煮出し汁」

と書いていました。

面白い言い回しだったので今でも覚えています。


※いろいろな事が重なって次の本がまだ出来ません。連休中に時間を作って進めようと思っています。

2017年4月13日木曜日

次の本が出来るまで その57

そういえば……


そういえば、昔、成人式の日(1月15日だった)の朝刊には決まってサントリーの広告が掲載されていました。作家の山口瞳が書いていたものです。青二才だった私でもいい文章だと感心したことだけは覚えています。どんなものだったのかもう一度読みたくなり、図書館で文庫本を借りました。(「それぐらい買えよ!」と陰の声)
読んでみると、文章云々よりも、山口瞳のような〝大人〟が居なくなったことに気がつきました。
ひとつだけ掲載します。



2017年4月3日月曜日

次の本ができるまで その56

篆書百體千字文


唐の時代の書家、孫枝秀の手で作られた篆書を集めて編んだ千字文。漢字の奥深さを感じます。(だじゃれではない)


※ハガキ大のカードに試し刷りまで進めましたが、もうひとつ気に入らず止まっています。

2017年3月25日土曜日

次の本ができるまで その55

中島敦 『和歌(うた)でない歌』より「遍歴」


表紙よりつづく↘



※もう少し勉強しておけばよかったと思う。

2017年3月20日月曜日

次の本ができるまで その54

七十二候(しちじゅうにこう)


春分から清明まで


吹く風も 暖ならず寒からず かすみくらせる春雨のそら


2017年3月7日火曜日

次の本ができるまで その53


短編小説の極北


菊池寛のエッセイにこんな文章がある。


(前略)兎に角、退屈な二百枚も三百枚もの長編に依って、読者の忍耐を不当に要求するよりも、短編小説の方が、縦令愚作であつても、読者にさうした被害を及ぼさない丈でも勝つて居ると思ふ。が、日本の小説も段々短くなつて来たとは云へ、左に訳出する短編小説には、一寸及びも付かないだらう。蓋し短編小説の極北であるかも知れない。


として次の物語を紹介している。



2017年2月28日火曜日

次の本が出来るまで その52


米国のmotto  E Pluribus Unum


エ プルリバス ウヌム


ラテン語で、Efrom, PluribusPluralの複数、UnumUni-/Unite/One


英語では “out of many, one”「多数から一つ=複数州からなる統一国家」という意味で、1955年までは米国の標語(motto)となっていた。


薄田泣菫の何かで読んだことがある。


先日オバマ氏がニュースでこの言葉を使ってアメリカの現状を批判していたのを見て思い出した次第。


※どうでもいいことですが。

2017年2月25日土曜日

次の本が出来るまで その51

役にたたない話


中国では昔(今でもそうかもしれませんが)

十人の中で秀でた者を「

百人の中で秀でた者を「

千人の中で秀でた者を「

万人の中で秀でた者を「

と言ったという。


※古いノートの隅に書き留めてあったもの。出処は不明です。

次の本ができるまで その50

志賀直哉氏のことば



その小説がいいか悪いかという判断は読んだ後に残る感じが一番正しい。
自分にはこれ以外の尺度はない。


更にそれから生まれるもののなき博学は下らない。
知識のコレクションに過ぎない。
読んだだけ、聞いただけが只残って行くという意味の物知りがある。
これは智慧というものにはならない。


気持の悪い想像
よく煮立てた牛乳のコップが私の前に置いてある。
私はそれに緑青をふいた二銭銅貨を二ついれ、よくかき回して飲まねばならぬ。どうもたまらぬ。


2017年2月23日木曜日

次の本が出来るまで その49

七十二候(しちじゅうにこう)


雨水から啓蟄まで


※立春がいつのまにか過ぎていました。


2017年2月14日火曜日

フランツ・カフカ『あるじの気がかり』

中島敦『狼疾記』

「今彼が読んでいるのは、フランツ・カフカといふ男の「窖(あなぐら)」といふ小説である。小説とはいつたが、しかし、何といふ奇妙な小説であらう。(中略)此の作者は何時もこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、夢の中で正体の分らないもののために脅されてゐるやうな気持がどうしても付纏つてくるのである」



彼は随分早い時期にカフカを読んでいたようです。


だからというわけでもありませんが再びカフカの作品をつくることにしました。



『あるじの気がかり』


あるじが気になるのは「オドラデク」です。「オドラデク」は見たところ、星形の糸巻のように見えます。だが、それは単に糸巻であるだけではなく、星形のまんなかから小さな一本の棒が突き出していて、この小さな棒と直角にもう一本の棒がついています。……こんなものが時々家に来るというお話です。



※ボール紙にかえて真鍮板を使用しました。




2017年2月6日月曜日

次の本が出来るまで その48

ひらがな


ひらがなの元になった漢字を書きだしてみました。

上段の明朝体だとわかりにくいので、下段に草書体で表記しました。

覚える必要などありません。ただそんなことだと…それだけです。