※世の中は 市の仮屋のひとさわぎ 誰も残らぬ 夕暮れの空
2017年10月7日土曜日
次の本が出来るまで その73
前に「次の本が出来るまで その64」で、モームの言葉を紹介しましたが、いささか言葉足らずで本来の意味を伝えていない気がしていました。改めて「人間の絆」に引用された部分を掲載しモームの言いたかったことを明らかにしたいと思います。体裁は前回と同じ原稿用紙にしました。
2017年9月21日木曜日
次の本が出来るまで その72
七十二候
「七十二候」とは、「二十四節季」をさらに約五日ごとに分類し気候の変化や動植物の様子を短い言葉で表現したものです。
今回は9月22日より10月8日まで、それぞれに関連した歌も載せておきます。
打ちしぐれ雲のいづとに鳴神の音とどろかぬよひのさねどこ
秋風の夜寒の里に宿りして明くる久しと思ひそめぬる
誰をかも招く尾花ぞ棹もなき野川の小舟岸に横たふ
和田の原千里とびこえくる雁をまれ人と人の待ちもこそすれ
※孫の「めばえ」を買いに久しぶりに新刊書店へ行った。文庫の棚を見ていると自分の作りたいものがほとんど本になっている。作る気が失せるので見なかったことにしておこう。
2017年9月12日火曜日
2017年9月8日金曜日
次の本が出来るまで その70
五言絶句
元となった俳句は何でしょう。
※答えは一番下にあります。
古池や蛙飛びこむ水の音
しづかさや岩に沁み入る蝉のこゑ
荒海や佐渡に横たふ天の川
秋深き隣は何をする人ぞ
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
2017年8月21日月曜日
井原西鶴『本朝二十不孝』
人間は、欲に手足の付たる、物そかし(西鶴)
『本朝二十不孝』は中国の「二十四孝」をもじって、親不孝を題材とした二十話を集めたものです。その中から「今の都も世は借物」「親子五人仍書置件の如」の二作を選びました。
西鶴は武士や町人の生活の実態を客観的に描き、日本で最初の現実主義的な市民文学を確立した人と言われています。「性欲」「物欲」「義理」「人情」など人間の普遍性をテーマに多くの傑作を残しました。著書には『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』『西鶴置土産』など現代にもそのまま当てはまる物語も多くあります。
『本朝二十不孝』は中国の「二十四孝」をもじって、親不孝を題材とした二十話を集めたものです。その中から「今の都も世は借物」「親子五人仍書置件の如」の二作を選びました。
西鶴は武士や町人の生活の実態を客観的に描き、日本で最初の現実主義的な市民文学を確立した人と言われています。「性欲」「物欲」「義理」「人情」など人間の普遍性をテーマに多くの傑作を残しました。著書には『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』『西鶴置土産』など現代にもそのまま当てはまる物語も多くあります。
※一冊試しに作ったものを撮影しました。まだ少し修正が必要で仕上がりはもう少し先になりそうです。
一番下の写真は源氏和歌と香之図の栞、それぞれの名前がきれいです。
2017年8月1日火曜日
次の本が出来るまで その69
七十二候
8月7日は立秋、秋が始まります。
ところで秋の俗字をご存知ですか。ちょっと難しい字です。禾偏に亀、なぜ亀が火になったのかはわかりませんが、書き順も正確に空で書けたらかっこいいですね。
これなら東進の林先生も書けないかもしれません。
一番下に載せておきます。
※おわび
はじめに掲載していた秋の俗字も間違いではありませんが、個人的にはあとの方が好きです。追加しておきます。
2017年7月26日水曜日
次の本が出来るまで その68
『徒然草』より
一一七
友人としにくいものに七つある。
一には尊貴な身分の人、二には若い人、三には病気というものを知らない頑健な人、
四には大酒家、五には武勇を誇る人、六には嘘を云う人、七には欲の深い人。
また善い友に三つある。
一には物を呉れる人、二には医師、三には智慧のある人。
※医者でもないし、智慧もない。あげたいけれどあげる物もない。吉田くんの友だちにはなれないな。
2017年7月21日金曜日
2017年7月14日金曜日
次の本が出来るまで その66
お月さんいくつ?──問う月は幾歳の歌
聞いたことのある童歌ですがその内容は知りませんでした。こんな話らしいです。
十三七つは、十三日の七つ時(午後四時)にて満月の十五日に比し歳の若きをいふたる也。十三夜を過ぎ、十四夜を過ぎて満月となる故にお満に抱かしょといふ、満は損の始めなり。故に満ちたる者はその満を維持せんために朝夕の計に悩殺さる、いわゆる油買ひ茶買ひに忙がしきなり。是において滑って転んで油をコボすことも必定なり。果ては飛んでもなき犬の餌食となり、その犬もまた他の犠牲となり、灰となり、麦となり、ついには雁の腹に入って天空に飛び去るなり。微を積んで満ち、満ちて欠け、欠けて散り、その痕跡を止めざるもの、是れ易道の極意ならずや。故に曰く此の歌はこれ易道に通ずる者の作ならん。月をもって起り雁をもって結ぶは暗々の中に起結の照応あり。中間、その犬どうした? の句調の連用は正しく公羊伝(くようでん)慣用の語法を学びたるものなり。故に曰く古文辞に慣れたる者の手に成りたるならん、と。
いろいろな説があるらしいので、興味のある方は自分でお調べください。
※公羊伝=「春秋公羊伝」ともいう。「穀梁伝」「左氏伝」とともに春秋三伝の一つ。
2017年7月6日木曜日
次の本が出来るまで その65
斎藤緑雨『眼前口頭』より
拍手喝采は人を愚かにするの道なり。
つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、彼おのずから倒れん。〈明治31年1月12日〉
⁂
選ぶ者も愚なり、選ばれる者も愚なり、いずれか愚の大なるものぞと問わば、
答えは相互の懐中に存すべし。されど愚の大なるをも、世は棄てるにあらず、
愚の大なるがありて、初めて道の妙を成すなり。〈明治31年1月25日〉
⁂
問うて曰く、今の世の秩序とはいかなるものぞ。
答えて曰く、銭勘定に精しき事なり。〈明治31年3月11日〉
※今日もまた 仏頂面の 受け応え ぢやむ
2017年6月27日火曜日
寺田寅彦『どんぐり』
寺田寅彦『どんぐり』を作りました。
身重の妻が肺を患い療養のため故郷へ帰ることになりました。出発の日が近づく頃、おだやかな暖かい日を選んで寺田は妻を植物園に誘います。妻は地面に落ちていたどんぐりを拾い集めて子供のように喜んでいました………。
物理学者の寺田寅彦は漱石と親交があり、夏目家の文章会にも参加し、また俳句や油絵にも才能を示した人物です。漱石は知人への手紙のなかで「寅彦の団栗(どんぐり)はちょっと面白く出来て居る」と記しています。作品は随筆として明治38年4月に「ホトトギス」に発表されますが、小説家が筆にまかせて書いた随筆とは違うしみじみとした余韻の残る小品になっています。
身重の妻が肺を患い療養のため故郷へ帰ることになりました。出発の日が近づく頃、おだやかな暖かい日を選んで寺田は妻を植物園に誘います。妻は地面に落ちていたどんぐりを拾い集めて子供のように喜んでいました………。
物理学者の寺田寅彦は漱石と親交があり、夏目家の文章会にも参加し、また俳句や油絵にも才能を示した人物です。漱石は知人への手紙のなかで「寅彦の団栗(どんぐり)はちょっと面白く出来て居る」と記しています。作品は随筆として明治38年4月に「ホトトギス」に発表されますが、小説家が筆にまかせて書いた随筆とは違うしみじみとした余韻の残る小品になっています。
※2色印刷は手間がかかります。でもなんかこれでないと駄目な気がして。
2017年6月16日金曜日
次の本が出来るまで その64
S・モーム
S・モームが気に入った小話としてアナトール・フランスの作品を紹介しています。そのまま掲載してもいいのですが、横組だと事務の連絡文のようで(例えば官邸のだれやらがこんなこと言ってますよとか)読む気になりません。そこで前回と同じように原稿用紙に入れてみました。興味のあるかたは読んでください。
※この話、別の本で読んだ気がするが、思い違いかもしれない。
2017年6月8日木曜日
2017年6月1日木曜日
2017年5月24日水曜日
次の本ができるまで その61
島
諧謔作家のマーク・トウェインが、ある時ヨットに乗って航游していたことがあった。波の荒い日で、さすがの諧謔作家も青い顔をして、何一つものをいわないで、欄干にもたれたまま泣出しそうな目をしてじっと波を見つめていた。
食堂のボーイは心配して、主人の顔をのぞき込むようにして訊いた。
「大分お苦しそうですが、何かもってまいりましょうか。」
諧謔作家は咽喉を締められた鴎のような声をだした。
「小さくっていいから、島を一つもって来てくれ。」
薄田泣菫『猫の微笑』より
※動画は去年の使い回しです。だれも覚えていませんように。
※動画は去年の使い回しです。だれも覚えていませんように。
2017年5月9日火曜日
泉鏡花『胡桃』
泉鏡花の作品『胡桃(くるみ)』を作りました。
コメントは中島敦「鏡花氏の文章」より抜粋しています。
(前略)
私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、之を知ることも(少くとも文学を志すものにとっては)不幸であると(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異る。鏡花氏の作品については之を知らないことは不幸であり、之を知ることは幸である。とはっきり言い切れるのである。
泉鏡花というと奇怪な怪談話を想像しますが、そんな話ではありません。 旅人がおみやげを買おうと故郷の町の菓子屋に入ると、美しい新妻らしき女性が応対をしていました。旅人は初々しい女のようすを細かに観察し、その純真さにつけこんで小さな狼藉を働きます……。おみやげの胡桃はどうなったのか、若妻はどうしたのか、何度読んでもその結末がはっきりしません。そんな作品です。
2017年4月30日日曜日
次の本が出来るまで その60
文章の美しさ
谷崎潤一郎が自著『文章読本』の中で志賀直哉の文章をこんな風に書いています。
(前略)氏の文章に於ける最も異常な點を申しますと、それを刷つてある活字面が實に鮮かに見えることであります。と云つても、勿論志賀氏のものに限り特別な活字がある譯はない。單行本でも雑誌に載るのでも普通の活字で刷つてあるのに違ひありませんが、それでゐて、何か非常にキレイに見えます。そこの部分だけ、活字が大きく、地紙が白く、冴えざえと眼に這入ります。これは不思議でありますが、なぜそう云ふ感じを起させると云ふと、作者の言葉の選び方、文字の嵌め込み方に愼重な注意が拂はれてゐて、一字も疎かに措かれてゐない結果であります。そのために心なき活字までが自然とその気魄を傳へて、恰も書家が楷書の文字を、濃い墨で、太い筆で、一點一劃苟くもせずに、力を籠めて書いたかのやうに、グツと讀者に迫るのであります。
※印刷した時の字面が美しいという見方は面白いと思いました。
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