2016年3月11日金曜日

次の本ができるまで 16

日本語も英語もまったくなんちゃって訳です。
こんなことを言いたいのだろう、きっとそうだろうと。


陶淵明  帰去来兮 homeward bound 



序 Prologue

私の家は貧乏で、百姓だけでは食べて行けない。
My house being poor, cannot live with just the farmer.

幼い子どもがいつも腹を空かせているが、家には一粒の米もなく、収入を得るめどもない。
The young child has spaced the stomach always, but there is no either food completely in the house and there is no either aim which works.

親戚が私に官吏になれとすすめるが、どうしたらなれるのだろう。
The kindred being accustomed recommends to the official in me, but if how it does, probably will be accustomed to the official.

たまたま皇帝が入れ替わる時だった。
Accidentally when the emperor inserts and substituting was.

窮状を見かねた叔父が官吏の仕事を周旋してくれた。
From combining, the uncle who justified sympathy mediated the work of the official.

世の中はまだ戦乱が続いていたので、遠くへは行けない。
Because as for society disturbances of war were continued still, the distance was dangerous.

勤め先の彭澤(ホウタク)は家から僅か十里ほどの隣町で、公田の収獲で酒をつくることもできるらしい。
The Houtaku of the workplace from the house harvesting the wheat in next door town about of 25 miles, can also make the liquor seems.

わたしは思い切って就職した。
I was employed resigning.

しかし勤めて二か月あまり、日に日に故郷への思いが強くなる。
But serving, two month remainders, in day the thinking to the home becomes strong in day.

人の性格は無理に歪めたり誤摩化したりはできないものだ。
It is something where character of the person does not twist unreasonably and it is not possible, and does not cheat in the same way and is not possible.

貧乏はもちろんつらいが自分の気持に嘘をつく毎日も同じようにつらい。
Poverty of course balance. But every day when lie you are attached to your own feeling in the same way balance.

本来の自分の意思とかけ離れた世界にいることを恥ずかしく思う。
Being in the world where I think shy, am widely different with original my own intention.

秋の収穫が終わったらいさぎよく辞めようとわたしは心に決めた。
I decided in heart, being fall, when harvest of the wheat ends, that it will stop.

そんなとき遠くへ嫁いだ妹の訃報が届く。もう一刻もこうしては居られない。
That such a time the younger sister who marries to the distance died, the letter reaches. Already, in this way also moment, it cannot stay.

妹の葬儀に参列することを理由に職を辞した。
Attending the funeral of the younger sister job was left in the reason.



中秋から冬まで八十日余り、自らの心の内を「帰去来兮」と題す。
From middle fall to winter a little more than 80 day, among hearts of self “帰去来兮” with entitling.


晋安帝義煕元年十一月
November of 405


(次回に続く)It continues

2016年2月24日水曜日

次の本ができるまで その15


蜀山人のものに載っていた一文、こんなものが名物だったのかと驚く。ちなみに江戸の名物「比丘尼」とは尼の姿をした下級の売春婦(コトバンクより)を云う。紫は海苔のこと。


2016年2月10日水曜日

志賀直哉氏のノートより


政治家というものが割に重く見られ、

従って当人も自分が偉いかの如くに思う傾向がある。

此錯覚は何から起こるかといえば

政治或は政権というものには他に命令する機能がある、

政治家殊に大臣などになると

主人になったような気になるらしい、

然し裸の一人間として見る時に

多くは下らぬ奴の寄合いである。

今の政治家という人種、

僅かな例外を除けば下劣極まる人間の集団に違いない。

只或る技術が多少あるだけのもの、

今直ぐ我々に政治をやれといわれて困るのは

その技術が我等にないからに過ぎない。


(昭和九年一月二十二日)

──政治家は昔から何も変わっていないようだ。あの女性議員も、この男性議員も。

2016年1月30日土曜日

『名家遺詠集』

『名家遺詠集』です。
29歳から92歳まで80人の辞世の歌(句)を年齢順に並べました。一番多く残されているのは武士のものですが、「ますらお」や「もののふ」といった勇ましい言葉が多く、内容も似ているのでここでは取上げませんでした。そのぶん俳人や狂歌師のものが増えてしまいました。
登場する人は下記の通りです。
高橋お伝・地獄太夫・式亭三馬・中山信名・文車庵文員・加納諸平・巴扇堂常持・三世歌川廣重・天広丸・服部嵐雪・土岐善静・岩田凉莵・茨木春朔・朱楽菅江・岡崎屋勘六・柳亭種彦・呉山堂玉成・梅屋鶴寿・歌川廣重・珍齋其鸞・談洲楼燕枝・智恵内子・初代本因坊算砂・斯波園女・桃林亭東玉・仮名垣魯文・田捨女・桑岡貞佐・歌川豊廣・紫檀楼古喜・和泉屋源蔵・三谷因石・与謝蕪村・平田篤胤・竹意庵酔夢・志水延清・大淀三千風・深励・女乞食・蜷川親當・條野採菊・小嶋梅外・大木戸黒牛・魚屋北渓・羽川珍重・雛屋立圃・磯部百鱗・濱辺黒人・清水如水・松平定信・近松門左衛門・英一蝶・西行・徳川光圀・山本西武・絵馬屋額輔・白鯉館卯雲・鹿津部真顔・宿屋飯盛・戸田茂睡・谷文晁・小澤蘆庵・遠藤曰人・三世歌川豊國・北村季吟・亀玉堂亀玉・喜多武清・津崎矩子・宗祇・窓村竹・老鼠堂・松永貞徳・蓮月尼・早川丈石・英一桂・葛飾北斎・立羽不角



2016年1月25日月曜日

次の本ができるまで 14

場つなぎに俳句をいくつか掲載します。良し悪しはわかりません。
どの句も人の気配や話し声が聞こえてくるように思いました。



2016年1月7日木曜日

2016年


佳きにのみ 為さんとするや 悪しからむ
      ただそのままに 世こそおさまれ
                      里村紹巴 

年が明けた。気を引き締めて励もうと思う。
露伴翁がこんな言葉をつぶやいている。心に留めておきたい。


2015年12月24日木曜日

「道理の前で」フランツ・カフカ

フランツ・カフカの『道理の前で』(別題『掟の門前』)を作りました。
カフカは現代実存主義文学の先駆者といわれ『変身』や『審判』『城』など、人間存在の不条理を主題とする作品を書いた作家です。
『道理の前で』は文庫本にして3頁ほどの短かいものですが、読み手によってさまざまな解釈を生む奥の深い作品でもあります。

本の外箱にはマッチ箱を使いました。手間が省けて助かりましたが、箱から出したマッチ棒をどうしたものか思案にくれる毎日です。



2015年12月11日金曜日

貝原益軒の辞世、勝海舟の弔辞

昔の本に名文として紹介されているものを掲載します。貝原益軒の辞世文と勝海舟が亡友山岡鉄舟を吊うた辞です。いずれも無駄のないいい文章だと思います。そのほかに近松門左衛門の経歴文というのがあり、この三つはよくセットで載っています。これらは私にとって「あたりかまわず大声で読みたい日本語」でもあります。実際に人前で読んだことはありませんが…。



心曲=心に思うことのすべて
存順没寧=存に順い、没に安んずる
朝聞夕死=朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり
徳業=徳をたてる事業。善にすすむ所業
夙志=幼少・若年のころからの志


塵世=汚れた世の中。俗世間
至愚=非常におろかなこと

2015年11月30日月曜日

これは歌か?

難しいことは分かりません。本に書いてあるまま言うなら、これらは「無心所着体(むしんしょぢゃくたい)の歌」といわれ、「それぞれの句は連想によってつながってはいるが、全体としては意味をなさない歌のこと」だそうです。歌病(かへい)ともいわれました。
ちょっと面白かったので掲載します。
──戯れ歌ともいわれました。


2015年11月20日金曜日

次の本が出来るまで その13


字が上手な人がうらやましい。その人柄まで尊敬できそうな気がしてくる。反対にとびきりの美人が何とも情けない字を書いていると、見てはいけないものを見せられた気持になる。自分に限って言えば、もともと下手な字が年とともにさらに下手になるようで、とくに縦横の線がまっすぐ書けない。ゆっくり書けば震えるし、早く書けば殴り書きのようになる。
細い筆で美しい字が書けたら毎日でも誰かに手紙を書くと思う。いややはり面倒で誰にも書かないかもしれない。




2015年11月6日金曜日

陶淵明『挽歌詩三首』


以前に陶淵明の「五柳先生」を紹介しました。おなじ時期に「挽歌詩三首」という作品に興味を持ち、今になって作ろうと思い立ちました。

「挽歌」とはを挽く時に歌う歌のことです。本来なら亡くなった人を偲んで親しい人が歌うものですが、陶淵明はこの歌を自ら作りました。内容は「其一、納棺を歌う」「其二、葬送を歌う」「其三、埋葬を歌う」の三首で、遺体から抜けだした魂が葬儀の一部始終を見ているかのように書かれています。最後に埋葬が終った棺の中でこうつぶやきます。「死ぬことは、自分の体を自然に託してしまうことだから、さほど悲しむことではないのだよ」。

果たして私はこんなふうに死ねるのでしょうか。




2015年10月27日火曜日

志賀直哉氏の言葉より


人間は何でも知っている。
専門専門で、どれ程人間が進んでいるか、その程度はその専門以外の人間には到底分からない位に進んでいる。恐ろしい位である。
ところが人間全体の幸福という事に対してはこれ又驚くべく人間は何も知らない。
人間はだから全体的に少しも幸福にならず、益々不幸になりそうな予感が多分にする。



※そのとおりだと思う。

2015年10月22日木曜日

次の本ができるまで その12


酒屋の前にこんな看板があったらしい



酒代よこさんひとはかさねて無用

2015年10月15日木曜日

志賀直哉氏の言葉

偉れた人間の仕事──する事、いう事、書く事、何でもいいが、
それに触れるのは実に愉快なものだ。
自分にも同じものが何処かにある、それを目覚まされる。
精神がひきしまる。
こうしてはいられないと思う。
仕事に対する意思をはっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。
この快感は特別なものだ。
いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは
必ずそういう作用を人に起こす。


──まったくそのとおりだと思う。

2015年9月29日火曜日

シャルル・ルイ・フィリップ『老人の死』


シャルル・ルイ・フィリップの短編「老人の死」(小牧近江訳)を作りました。
フィリップは1874年生まれのフランスの作家です。35歳という若さで亡くなった彼は、生前パリの新聞「ル・マタン」に計49編のコント(短編小説)を書き、『小さな町で』と『朝のコント』の2冊の短篇集を出版しました。「老人の死」はその中の一篇で、邦訳は大正時代に出版されています。最近知ったのですが、短篇集『小さな町で』は2003年に山田稔さんの訳でみすず書房から出ていました。この本の書評で作家の川上弘美さんが「老人の死」について書いています。興味があればご覧ください。

体裁はご覧の通り、背幅3mmの薄っぺらい本になりました。




2015年9月23日水曜日

百字文


明治37年、伊藤銀月は萬朝報で「百字文」を始めました。これは読者が自由にテーマを選び百字以内の文章にして投稿、それを銀月が審査して一等1名、佳作5名を選び批評するというものです。当時は「百字文会」という同好会ができるほど人気の企画でした。
果たしてどんなものであったのか、2つほど掲載します。

萬朝報第25回当選作
(一等)

土佐奇聞  小石川 小林渋民

室戸崎と行冨崎との間一里半は渋色の漁民の巣で、美しい女は一人もない、彼等の諦め様が愉快だ、昔空前絶後の一美女が数多の男に恋はれて弱り切り、或朝早く太平洋に身を投げて、再び美人に生まれまいと誓ったからだと。

銀月評 足許に詩材が転がって居ること斯くの如しである。仰向いて空の星ばかり眺めて居る人は、足許の詩材に蹴つまずいて海の中へ落込む虞れがあるぞ。



萬朝報第30回当選作
(一等)

解せぬ恋  下谷 武蔵坊

炭焼く煙だに上がらねば其處には人の住むべしとは思ひも寄らぬ山の奥に「嫁入前だよ可愛がって御呉れ何処へ片付く当も無い」其歌其声断腸の極なるに我は得堪えず歌の主を探めて見れば其名はお露齢は十二!

銀月評 何等の着眼。何等の着想。さうして何等の文筆であらう。之を読んで泣かぬ者はあるまい。泣いてさうして微笑まぬ者はあるまい。


このようなものです。
現代版「百字文」があれば面白いのではないでしょうか。

2015年9月11日金曜日

次の本ができるまで その11


前回掲載した「襤褸(ぼろ)」の残りを載せておきます。写真は褞袍(どてら)でしょうか。もとの生地が分からないほど修理してあります。たぶんそうしてでもこれを着る必要があったのでしょう。一針一針に込められた思いがひしひしと伝わってきます。「芸術」とは対極の、生きていくための地味な仕事ですが、じっと見ているとおごそかな気持ちになるのは私だけでしょうか。


正面 おもて
正面 うら


背面 おもて
背面 うら
風呂敷


※襤褸の美しさを教えて頂いた額田晃作さまに心より敬意を表します。

2015年9月7日月曜日

新聞投稿欄から

先日新聞の投稿欄に掲載されていた文章を紹介します。
投稿主は小学校高学年の女の子で、母親の出産を前にその喜びを綴ったものです。

 私のお母さんのおなかには9月に生まれる予定の赤ちゃんがいます。とても楽しみです。楽しみで、楽しみで、9月になると爆発しているかもしれません。
 爆発するかもしれない理由を説明します。一つ目は、将来の夢が保育士だからです。積極的に赤ちゃんや小さい子と関わっていくと、保育士になるための力がついてきます。赤ちゃんや小さい子の世話をできるだけ多くするとよいと思います。二つ目の理由は、赤ちゃんはとてもかわいいからです。泣いたり笑ったり、気分によって表情がかわります。くすぐったり遊んだりしてあげると、笑顔になります。それがとてもかわいいのです。
 赤ちゃんは全然かわいくないという人もいるかもしれません。でも、大切な一つの命です。いっしょに遊んでみれば、「あっ、かわいいな」と思えるかもしれません。

彼女が母の出産を指折り数えて待っているようすが目に浮かぶようです。とくに「楽しみで、楽しみで、9月になると爆発している」という表現が新鮮で、書きとどめておきました。もう赤ちゃんはうまれたのでしょうか。ひょっとすると一日中赤ちゃんのそばで世話をしているかもしれませんね。

2015年9月1日火曜日

虚子『風流懺法』 ええとこ取り 後編

「風流懺法」の後半を掲載します。


余は便所に立つ。梯子段を降りる。いつのまにやら酔うたと見えてひょろひょろとする。
突然後ろから、「君来てるのかい」と遠慮のない声がする。振り向くと、一念がそこにいる。
一念は、余が昨日まで宿泊していた比叡山の宿坊で身の回りの世話をしていた叡山の小僧である。身寄りのない一念を引き取った伯母が祇園町に居ることは話に聞いて居たが、まさかこのお茶屋とは知らなかった。しかも、芸妓の三千歳とは旧知の仲のようである。余は自分の座敷に一念を招きいれた。
余が一念を連れて来たのを見てお花は唄いながらニヤリと笑う。喜千福も玉喜久もニコリとする。お艶もホホホと笑う。よく見ると余の顔を見て笑うのではなく、三千歳と一念の顔を見くらべて笑うのだ。
「一念はん、おいなはったン、旦那はん知っといるの」
と三千歳は一念を小手招きしてその傍に坐らせる。一念も大人しくその傍に坐る。
「旦那はん、あんたはんどっからそのご夫婦連れといやしたの」
とお艶がいう。
「何これご夫婦なのかい」
と余は驚いて二人を見る。
「あたい一念はんに惚れてるのどっせ。皆でお笑いやす。お笑いたてかまへん。ナァそやおへんか一念はん」
と三千歳は可愛い口をむっと閉じて一座を見る。
「えらいおのろけ、かなわんな」
とお花は撥(ばち)で空を煽(あお)ぐ。一念は余のノートを取り上げて、
「またこんな事かいてるナ。『ウーンと首』って君何のこと。『きといた』って君何のこと」
「きとおいやしたという事をそういいますがな」
と三千歳は美しい顔を一念にすりつけるようにしてノートを覗き込む。
「さっきもいろいろ書いといやした。この画けったいな画やおへんか」
「下手な画だねえ、これ誰を書いたのかい。三千歳さんかい」
「喜千福はんどすがナ、旦那はん喜千福はんが好きやさかいお書きやしたのどすやろ。何どすその画は。大きな頭の坊さんやこと。それも旦那はんがお書きやしたんか。そうか一念はんか。そうかそれが横川(よかわ)の和尚(おっ)さんかァ、横川の和尚さんそないに頭大きいのン、耳もそないに大きいのン、いやらしやの。「コノ耳ウゴク」ほんまに耳が動くのン、けったいなこと、松勇はん、横川の坊(ぼん)さんの耳が動くて。けったいえないか」
「けったいえなあ。一念はんほんまに動くのか。そうか、妙な耳えなあ」
「一念はん。尋常卒業おしたんか」
「したョ。三千歳サンは」
「しました。去年。一念はんは」
「僕も去年」
「そうか同じやな、一念はんは優等(ゆうとう)か」
「僕は一番だったよ。すっかり甲だったよ」
「そうか、おおえら」
「三千歳サンは」
「一年の時はお尻から三番やったんが、二年からほんまに四番になって、卒業する時もやっぱり四番どした、乙が一つあったん」
「何が乙だったの」
体操」
「三千歳サン、こういう字知ってるか」
「横河首楞厳院(しゅりょうごんいん)の楞(ごん)の字だよ」
「そんな坊(ぼん)さんのこと知りますもんか。ソンナラ一念はんこういう字知っといるか」
「そんな変梃(へんてこ)な字知るかい」
「■(女筆で詣らせ候という合字)という字どすがな」
「そんな芸者の事なんか知ってたまるかい。それならこういう字よめるかい」
「むつかしい字えな。知りまへん」
「蘇悉地経(そしつちきょう)といってね三部経の一つだョ」
「そんなら一念はんこういう字知っといるか。書いてしまうまで見んと置きや」
と長い袖でノートを隠すようにして何やら書く。花櫛が灯に光って美しい。
「さあお見。これ何という字どす」
「馬鹿だナァ。へのへのなんか書きやァがった」
「君たちは僕のノートをオモチャにするんだナ。よろしい。それを横川の和尚サンに送って一念は嫁さんがあって二人でこんないたずらをしました、とそういってやるよ。いいかい」
「いいやい。間抜け」
「一念はんのことお告げやしたらひどい目に合わせまっせ。今度お出やしたら殺したげまっせ」
「こわいこと。旦那はんこわいこっちゃおへんか。三千歳はんに殺されたら痛い事どすやろ」
「赤い血が出ないで白い血が出るかも知れない」
「なんぼなとおなぶりやす。ナァ一念はん二人でひどい目に合わしたげまほナァ」
(中略)
しばらくすると下から仲居のみねが、
「一念はん。伯母はんが迎えに来やはりましたえ。早うお帰り」
一念が帰ったあと、
「お父っあんもお母はんも無いのやてな。可哀相やおへんか。どうして横川みたいな淋しい所へ伯母はんがやりはったんやろ」
と三千歳は沈んでいる。
横川の夜は更けにくかったが祇園の夜は更けやすい。
「ハーーイーー」
という子供衆の長い返辞が楼中に響きわたって聞こえる。(終)

2015年8月17日月曜日

芥川龍之介『蜜柑』

芥川龍之介の『蜜柑』です。自分には聞き慣れた歌のように頭のどこかにずっと残っている作品です。それをいまさら、という気がしないでもありませんが、今回はまず題字に中村不折氏の文字を使うことを決めていたので、それに似合った作品としてこれを選びました。同じ作るなら芥川の本の装幀をしていた小穴隆一氏の感性に近づきたいと思っていましたが、やはり無理でした。内容についてはご存知の方も多いので説明は省きます。もし本棚に文庫本でもあれば、久しぶりに読んでみてはいかがですか。