2021年4月13日火曜日

マルセル・アルナック『無人島』

 『無人島』マルセル・アルナック


 『無人島』というお話です。船が嵐にあって、気がついたら見たこともない海岸に流れ着いていた主人公と侯爵夫人。ああ、これはきっとあれね、と想像できる鉄板のストーリーです。以前カフカの作品(「道理の前で」2015年12月24日掲載)をマッチ箱に入れて作りましたが、今回も同じ体裁です。



※仕事が粗いですね。

2021年4月9日金曜日

次の本ができるまで その199

 書出しの妙


 どんな家庭でも、戸棚の中に骸骨をひとつ隠し持っている、と言ったのは、イギリス人であったろうか、フランス人であったろうか?
                            W・コリンズ「家庭の秘密」

※戸棚の中の骸骨=外聞がはばかられる一家の秘密のこと。ちょっと気になったので。

2021年3月29日月曜日

次の本ができるまで その198

薄田泣菫『茶話より「欧陽詢と石碑


世知辛い世の中です。しばし欲得に関係のない話でご機嫌を伺います。

※理由あって作れなかった(作らなかった)作品
サフラン(森鴎外)杯(森鴎外)海の誘惑(岸田國士)巴里素描(岸田國士)名人(中島敦)夾竹桃の女(中島敦)

盂蘭盆(北条民雄)門づけ(小泉八雲)怪談 女の輪(泉鏡花)一寸怪し(泉鏡花)沼地(芥川龍之介)有間(高浜虚子)餓鬼(菊池寛)黄昏(島崎藤村)その女と金(宇野千代)原爆被災時のノート(原民喜)大地炎上(マルセル・シュウオッブ)化粧(神西清)

2021年3月16日火曜日

次の本ができるまで その197

 桜 五題

新古今和歌集より桜を詠んだ歌を並べてみました。


※さくら散る別れ話の膝の上

2021年3月11日木曜日

次の本ができるまで その196

 万能川柳 再々々

3月9日に掲載されました。覚えとして。


※先日、匂い袋を作ろうと材料を買ってきましたが、まだそのままです。

2021年3月4日木曜日

次の本ができるまで その195

 講演の口調 寺田寅彦


 ラジオなどで聴くえらい官吏などの講演の口調は一般に妙に親しみのない鹿爪らしい切口上が多くてその内容も一応は立派であるがどうも聴衆の胸にいきなり飛込んで来るようなものが少ない。

 或会議の席上で或長官が或報告をするのを聞いていたとき、ふと前述の講演のタイプを思い出した。

 長官はその属僚の調べ上げてこしらえた報告書を自分のものにして報告しなければならない。それで文句は分かってもその内容は実はあんまり身に沁みて居ないらしいので、それでああいう口調と態度とが自然に生れるのではないかという気がした。

 これに反して、文士でも芸術家乃至芸人でも何か一つ腹に覚えのある人の講演には訥弁雄弁の別なしに聞いていて何かしら親しみを感じ、底の方に何かしら生きて動いているものを感じるから妙なものである。

 学者の講演でもやっぱり同じようなことがあるようである。

 空腹は中々隠せないものらしい。

                                   (寺田寅彦全集 第六巻)より


※すぐにあの顔が浮かんできた。

2021年2月26日金曜日

次の本ができるまで その194

 作り直し


前につくったものを作り直し(次の本ができるまで その173)の続きで2冊作りました。樹脂板は以前のものを使っています。紙の厚さや表紙を変えると違ったものになり、生まれ変わった感じがします。


※印刷には満足していません。

2021年2月17日水曜日

次の本ができるまで その192

 「万能川柳」再々


2月10日に掲載されました。これも随分前に投稿したものです。いつもあまり熟考せず、思いついたまますぐ出しています。まあ、語るほどのものではありません。覚えとして。


※すみません。いつも自慢みたいで。

2021年2月7日日曜日

川端康成『有難う』

 『有難う』川端康成


 『有難う』は掌編小説をまとめた作品集『掌の小説』の中の一篇です。1936年には映画化もされました。三島由紀夫はこの作品を「掌の小説」の中でも優れたもののひとつだとしています。新感覚派といわれた川端康成の簡潔な表現と描写が光る作品です。



※布の表紙の硬さが気に入らず、はじめから作りなおしました。あとの方は和紙の上製本です。

2021年1月27日水曜日

次の本ができるまで その191

 半面の真理


アンリ・ド・レニエが女性について書いた文章を紹介します。その恋愛観、女性観は、フランスのブルジョワ階級の思想傾向を反映していると堀口大學先生は書いておられますから、たぶんそうなんでしょう。



恋愛は一個独立した感情である。それは、友情とも、尊敬とも、やさしさとも、慈愛とも、デリカシーとも関係がない。恋愛は、それ自ら以外のものには関心も持たなければ、また心づきもない。恋愛には、恋愛独特の理屈があり、空想があり、先入主があり、策略がある。恋愛にはまごころの言葉も、精神の言葉も通じない。それはまごころでもなければ、精神でもない。それは恋愛だ。



男は己惚れの強い馬鹿者だ。女がやっと我慢して交際(つきあ)っていてやると、早速もう、自分は彼女に必要欠くべからざる存在だと思い込んだりする。



女に対する場合、男に万事責任がある。雨が降ることも、風が吹くことも、彼女達の鼻の先に出来た小さな腫物(おでき)のことも、地震のことも、蝿が飛んでしまったことも、一切は男の責任だ。



女達が、「本当にあたしを愛していて下さるのだったら。」と云う時は、彼女達はすでに僕等が愛していると確信を持った時だ。女達が、「あなたはあたしなんか愛していらっしゃらないわ。」と云ったりする時は、自分が愛されていることをいよいよ確かに知った時だ。



アンリ・ド・レニエ(1864-1936)

フランスの詩人・小説家。極めて芸術的な高雅な作風と、完全な語法、美しい文章とを以て知られています。


2021年1月18日月曜日

次の本ができるまで その190

 饑渇負(ケカチマケ)


「饑渇負(ケカチマケ)」は京都の医師、橘南谿が弟子の丹生とともに天明六年の春に東北地方を旅したときの記録です。天明三、四年には大飢饉が発生し、その惨状は京都にも聞えていましたが、彼が実際に現地で目にした光景ははるかに悲惨を極めたものでした。


生き残った人の話を聞き書きした、こんなエピソードがあります。

「卯年、饑饉に及び五穀既に尽て、千金にても壱合の米を得る事あたわず、草木の根葉、其外、藁糠、或は犬猫牛馬鼠鼬に至るまで力の及ぶ程は取尽し食ひ尽して、後には道路に行倒れみちみちたる死人の肉を切とり食ふ事に成けるに、是も日久敷饑々て自然に死したる人の肉は既に腐りたる同然にて、其味ひ甚悪敷、活たる人を打殺し食ふは味も美なりければ、弱りたる人は殺し食ふ者多かりし也、此近隣にも家内追々饑死して、親壱人むす子壱人のみになれる時、其父一計策を案じ出し、其隣家に行ていふやう、『扨も御たがひに空腹なる事なり。我家にも既に家内皆々死うせしに、御覧のごとく今は男子壱人のみ残れり。是も殊の外に饑つかれたれば二三日の間には死すべし。とても死ゆく者いたずらに亡んよりは息ある間に打殺して食まんと思へども、さすがに肉親の恩愛、手づから打殺すにしのびず。此ゆへに其許を頼み申なり。我子を打殺して給はらば其御礼には肉半分を贈り申べし』と誠しやかに頼むにぞ、隣家の男大に悦び、『半分の肉をだに給はらばいとやすき事なり』とて、やがて有合けるナタ携へ行て打けるに、さなきだに死せんとせしむす子、只一打にいき絶ぬ。彼頼に行し親、傍に見居て、すかさず隣の男をマサカリにてしたゝかに打。隣家の男も饑つかれたる所なれば、何かは以てたまるべき、其まゝに息絶たり。扨、計策を以て両人の肉を得たれば、早速に弐人ともに料理して塩漬にし置て一月斗を凌げり。近所へは隣家の者饑たる余り此方の子を打殺し食はんとせしゆへに仇を報ぜりと吹聴し、公然として弐人の肉を甘ぜり。近所の者其姦計をにくめども、皆々饑つかれて相たがひに親子兄弟といへども打殺し食ふ時節なれば、誰咎る者もなかりしが、彼男もつゐには饑死し終れり」。

省略して言えばつぎのようなことです。

飢饉により食べられるものはすべて食べつくし、ついには死んだ人の肉をたべるようになった。しかし死人の肉はすぐ腐り味も悪いので、弱った人を殺して食べる人も多くあった。ある父親は、息子がもう長くはなさそうだったので一計を案じた。男は隣の家の男に相談を持ちかけ「息子はもう死にかけている。ここで一思いに殺して食べようと思うが自分の手で我が子を殺すことはさすがにできない。どうだろう、肉の半分をあんたにあげるので、あんたが殺してくれないだろうか。」隣の男は喜んで引受け、さっそくナタを持って男の家に行くと息子を一撃した。その様子を見ていた男は隣の男をマサカリで襲い殺害した。男は二人分の肉を塩漬けにしてそのご一ヶ月ほど生き延びた。男は隣の男が息子を殺したので仕返しをしたとふれまわった。近所の者は男の悪だくみを憎んだが、自分たちも生きるのに精一杯で咎める人はいなかった。男はその後餓死した。


※次に作るつもりでしたが、悲惨な話を本にするのは気が進まなくなり、もう少し明るい気持になれるような題材に変えました。興味のある方は『東西遊記』(東洋文庫)でお読みください。

2021年1月12日火曜日

次の本ができるまで その189

 言葉


幼児にはこんなふうに聞こえるのでしょうね。

ばんほがん  ちぇかっぷ  おるまいす  でちんしゃ  さかさかま  ばなま    まねよーず  たがも   けぱっちゅ  めなげ   おしゅくり  とうころもし
たちりきにし  おかちぱべゆ  あいあと  たべのも  まがまがま  たまげに

ばんごはん ケチャップ オムライス じてんしゃ さかさま バナナ マヨネーズ たまご ケチャップ
めがね おくすり とうもろこし 立入禁止 お菓子食べる ありがと たべもの わがまま たまねぎ

※かわいい。  

2021年1月4日月曜日

次の本ができるまで その188

 新年の心持


年が明けました。
難題山積の年ですが、露伴の一文を参考に、慌てず落着いて過ごしたいと思います。

おもしろからぬ俗事に身を疲らし心をわづらはせたる後、夜ふけて燈火かすかなる一室に錆ざる刀抜き放して、手元より帽子先(ぼうしさき)まで切先より鍔際まで幾度か見送り見迎へ、頓て(やがて)突立あがり、ひと揮りふた揮り打揮って虚空を切る音を聞きたる心よさ。
※むしゃくしゃしたので夜中に刀を振り回した。すっきりした。


年老たる法師の安らかに経よむを静に聞居たる中、何事も自然(おのづ)と忘れ、唯〻香烟の肝に染(しみ)たるありがたさ。
※寺でお経を聞いた。線香の匂いに癒やされた。


風さはがぬ朝はやく起て袖寒きを冒し、静に歩めば落葉ひらひらとひるがへり、魂魄(たましひ)引締るやうなる初冬のさびしさ。
※早起きしてその辺をうろついた。寒かった。

※『露伴随筆』第1冊「愉快」より

年賀状

2021年1月1日金曜日

次の本ができるまで その187

「万能川柳」ふたたび


「次の本ができるまで その184」で毎日新聞の「万能川柳」に掲載されたことをお伝えしました。その後何回か投稿しましたが載らず、「まぐれ」だったとあきらめていたところ、12月28日付の紙面に掲載されました。1ヶ月ぐらいの時差があったのであまり新鮮味はありませんが。


※正月早々自慢話みたいですみません。

2020年12月23日水曜日

次の本ができるまで その186

 警句のような


誘惑

ウインクを送ったら、女が親切にもまぶたの下になにかできているのではと聞きに来てくれる。そんなとき、男は自分がもう若くはないことに気づく。



愛情

二年前から熱愛していた男にこころならずも身を任せるよりも、二度しか会っていない男と

教会で三言ばかりラテン語をしゃべっただけでベッドに入る方がずっと猥褻である。



病気

元気な人々は、それと知らない病人である。



医学

医学はこの一世紀、絶え間なく進歩してきた。何千という新しい病気を発明することによって。



風邪

風邪は治療すれば七日間続くが、もし何もしなければ一週間続く。



ヒッチハイクをする女

ヒッチハイクをする女とはたいていの場合、美人で短いスカートをはき、あなたが妻と一緒に

車に乗っているとき道路に現われる若い女性である。



会話

自分の妻に向って夫が言った。「ぼくたち二人のうちどちらかが死んだら、ぼくは田舎へ行って暮らすつもりだ。」


※唇の端が少し上がるぐらいの笑顔を期待して。

2020年12月17日木曜日

ライナー・マリア・リルケ 森鴎外訳『駆落』

 『駆落』 ライナー・マリア・リルケ 森鴎外訳


明治45年「女子文壇」に発表された短編です。
年若い恋人同士のアンナとフリッツは親に交際を禁じられたことに反発し、二人でどこか遠くへ行く計画を立てます。アンナから、明日の朝駅で待っているという手紙を受け取ったフリッツは、荷物をまとめ家出の準備を始めますが、待ち合わせの時間が近づくにつれて気持が揺らいできます……。


※生の葱を囓ったような苦い味がする作品でした。(個人的な感想です)

2020年12月14日月曜日

次の本ができるまで その185

 警句いくつか


神童

それは多くの場合非常に想像力の豊かな親をもった子供のことである。


大衆

大衆は真実も単純さも好まない。彼らが好むのは作り話といかさま師だ。


怠惰

怠惰とは、何もしないでいる時間をもっとふやすために午前六時に起きることである。


寛大さ

寛大さは無関心の最悪の形態である。


幸福

幸福であるだけでは十分でない。他人が不幸でなければならない。


老い

老いることは、いまだに長生きする唯一の方法である。


※たまには夜空をながめて見よう。

2020年12月8日火曜日

次の本ができるまで その184

万能川柳


先日、毎日新聞の万能川柳に投句したところなぜか掲載されました。調子に乗って2、3回続けてハガキを出しましたがそれ以降はダメだったようです。



※すみません。なんか自慢しているみたいで。

2020年12月4日金曜日

次の本ができるまで その183

笑話


アイスランド語の「羊」はデンマーク語の「子」と似ている。

デンマーク妃アレクサンドリアがアイスランドの植民地のエピスコポス(僧官)を訪うたとき可笑しいことがあった。

妃「子供は何人おもちです。」

僧「二百おります。」

妃「お世話が大変でしょう。」

僧「なに、草原に放して置いて片端から食べます。」


                             「椋鳥通信」より


※お後がよろしいようで。

2020年11月26日木曜日

次の本ができるまで その182

 画中画


絵画の展示会(即売会?)を描いた作品でしょうか。見たことのある貴重な絵画が室内を埋め尽くしています。いやーすごいなあ、そっくりに描けるんだなあ、といかにも素人らしい感想しか言えないのが悲しいです。聞きかじりですが、著名な画家の目録に作品名が記載されているにもかかわらず所在不明の作品が、画中画に描かれていたという話を聞いたことがあります。真偽のほどは定かではありませんが。

ヨーハン・ゾファニー The Tribuna of the Uffizi c.1777


ダフィット・テニールス(子) Archduke Leopold William in his Gallery at Brussels c.1650


ヴィレム・ファン・ハーヒト Apelles Painting Campaspe c.1630


※それにしても気が遠くなるような仕事ですね。

2020年11月22日日曜日

次の本ができるまで その181

着物姿


昔の本にでてくる女性はたいてい着物を着ています。
たとえばこんな感じです。(出典は忘れましたが、たぶん泉鏡花だと思います)


黒塗の艶(つや)やかな、吾妻下駄(あずまげた)を軽(かる)く留めて、すらりと撫肩(なでがた)に、葉に綿入れた一枚小袖、帯に背負揚(しょいあげ)の紅(くれない)は繻珍(しゅちん)を彩る花ならん、しゃんと心なしのお太鼓結び。雪の襟脚(えりあし)、銀の平打(ひらうち)の簪(かんざし)に透彫(すかしぼり)の紋所、後毛(おくれげ)もない結立ての島田髷(しまだまげ)、背高く見ゆる衣紋(えもん)つき、備わった品の可(よ)さ。(後略)
など、たぶん美しい女性であることは想像できますが、着物の知識がないわたしは、その容姿を具体的にイメージできません。残念です。


同じ鏡花の作品に「当世女装一班(とうせじょそういっぱん)」というのがあります。
女性が身につける衣装をひとつずつ解説したものです。
モデルは西鶴の「一代女」にでてくる理想の美人です。


「年は十五より十八まで、當世顏は少し丸く、色は薄花桜(うすはなざくら)にして、面道具(おもてどうぐ)の四つ、不足なく揃ひて、目は細きを好まず、眉厚く、鼻の間狭(せは)しからず次第高(しだいだか)に、口小さく、歯並(はならび)あらあらとして皓(しろ)く、耳長みあつて緣淺く、身を離れて根まで見え透き、額はわざとならず自然の生えどまり、首筋立ち伸びて、後れ毛なしの後髪(うしろがみ)、手の指はたよわく長みあつて爪薄く、足は八文三分に定(さだ)め、親指反(そ)つて裏透きて、胴間(どうのあいだ)常の人より長く、腰しまりて肉置(ししおき)逞ましからず、尻付豊やかに、物腰、衣裳つきよく、姿に位(くらい)備(そな)はり、心立(こころだて)おとなしく、女に定まりし藝優れて萬に昧(くら)からず、身に黒子(ほくろ)一つも無きを望み……」


この女性が入浴後身につける衣服を順番に解説しています。興味のある方は探してお読み下さい。


※八文三分はいまの20cm、かなり小さいですね

2020年11月18日水曜日

次の本ができるまで その180

 花押


花押はいわゆるカキハンである。この書き判はその穴の数によってその人々の性に五行の木火土金水の相生相克比和を考えて文字を決める。この点と画は梵字悉曇の崩しだと云う説もあるから吉凶を生じる理のないことでもない。弘法大師は三界のもの一切みな文字であるといったのはこの事であろう。(解説本より)



※単なるサインとは違う意味があるようです。

2020年11月6日金曜日

次の本ができるまで その179

生と死と


死生に関する警句をいくつか




人生は一種の死病である 

ルイ・ニュセラ



ゆりかごから柩までは1メートルしか離れていない 

不詳



彼が自分の墓に刻んで貰うのを《見たがった》墓碑銘

《助けてくれ!》 

ジャック・スタンバーグ



家番の戸口から盗んできた次のような張り札が、墓の上にぶらさげてあった。

─《すぐ帰ります》 

不詳



遺書

余、ヴォランスキーは、死期の近いことを知って、この遺書を認める。それは余の家族に対する余の評価が、余の彼等に遺贈するものの少なさに比例することを知って欲しいためである。

余が最愛の妻に対しては、庭の奥の小屋の床下にかくしてあるポルノ写真をおくりたい。彼女と嘗て一度も共にしたことのないあらゆる痴態について彼女に感謝するために。

弟のルイに対しては電気鋸をおくりたい。余のため嘗て一挙手一投足の労も取ったことのない彼が、この鋸で片腕を切り落とすことを願いながら。 

ジョルジュ・ヴォランスキー



アメリカで、数十発の弾丸を撃ちこまれて暗殺された黒人の死体を見て、人種差別主義者の保安官が宣言した。

─《なんというむごい自殺だろう!》 

不詳



※世の中は市の仮屋のひとさわぎ誰も残らぬ夕暮れの空 

2020年10月23日金曜日

ツルゲーネフ『老婆』

 『老婆』ツルゲーネフ


ツルゲーネフは、ドストエフスキー、トルストイと並んで、19世紀ロシア文学を代表する文豪といわれています。日本に登場したのは明治初期で二葉亭四迷によって翻訳・紹介されました。今回は晩年の詩文集『散文詩』より「対話」「乞食」「老婆」「だれの罪」「のろい」を掲載しました。前回の「宿命」とどちらを先に作るか迷ったのですが、こちらが後になりました。作品の世界は共に通じるものがあります。興味のある方のために「乞食」を載せておきます。




※表紙はジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890年 - 1964年)

自宅の居間か書斎(どちらもないけど)に飾りたい絵です。

2020年10月19日月曜日

次の本ができるまで その178

 上田秋成 秋の歌五首


晩年の秋成が嵯峨野の厭離庵で詠んだものです。



※歌と関係ないけど鍋焼きうどんが食べたい