マサオの夜
「るせえなあ、もう」
母親の小言が始まるとマサオは、キッチンのドアを力まかせに閉め、玄関から飛びだして行った。
外は雨が降っている。
マサオは駐車場に向かって駆け出した。白いテープで区切りがしてあるだけの空地の奥に、白い大型車が停まっている。
マサオは靴を脱いで運転席に座ると、エンジンをかけた。いきなり大音量でアイドルグループの歌が鳴り響いてきた。
「くそっ、あのばばあが!」
マサオはタバコに火を点けながら毒づいた。
雨が激しくなり、薄暗い街灯の光をモザイク模様に変えていった。
……ひと月前まで、助手席にはいつもヨシエが座っていた。後ろの席にある赤いハート型のクッションも、彼女がマサオの誕生日に贈ったものだ。それが先月突然別れることになった。
いつもならこうして座っていると気持が落着くマサオだったが、今夜は違っていた。
「もう一度、ヨリを戻したい」
マサオはヨシエとの楽しい日々を思い出していた。
初めてのキスは、そうだ、公園の横だった。唇がやわらかくて、髪のいい匂いがしていた。胸に触れるとヨシエは体を固くして両手を握りしめていた。太ももの間に手を入れるとヨシエは少し抵抗した。あのときの湿った感触は忘れられない。マサオはズボンの中が熱くなった。
「今度会ったら、ぜったいヤルぞ!」
マサオは、矢も盾もたまらなくなり、今すぐ会いに行こうと決めた。
なぜか今夜はヨシエが自分の来るのを待っているような気がした。……
雨はますます強くなってきた。
ワイパーを最速にしても、一瞬後には前が見えなくなる。すれ違う車のヘッドライトが宙に浮いたまま通り過ぎていく。
信号が黄色になったのが見えた。マサオはまっすぐ突っ込んで行った。
突然、眼の前に大きなライトがあらわれた。
大型トラックのバンパーが目の前にあった。
夢中でブレーキを踏みハンドルを左に切った。車がヨコに傾く。
「ウソだ、ウソだ」頭のどこかで声がした。
「あああああああっ」
声が口から出る前に、車はトラックに激突していた。
雨はいまも激しく降っている。
道路に投げ出されたマサオは、流れ出た血が側溝に吸い込まれていくのを見ていた。
遠くでサイレンの音がしている。
薄らいでいく意識の中で、マサオは何かを思い出そうとしていた。
「オレはどこへ行くつもりだったんかなぁ」
頭の中は靄がかかったようにぼんやりして、もはや自分が誰なのかも分からなかった。
玄関のドアが風でガタガタ震えた。
「マサオかい?」
母親は台所のテーブルに頬杖をつき、テレビの画面から目を離さず独り言のように言った。
雨はまだ降り続いている。
※つまらない話はこれで最後にします。お疲れさまでした。