『巴里にて』与謝野晶子
明治45年(1912)、晶子は夫鉄幹の後を追ってひとりフランスのパリに旅立ちます。『巴里にて』は到着一カ月ほどのちに書かれた小品です。当時のパリのファッションや街の様子、置いてきた子供たちへの思いを素直に書き綴った旅日記です。
金銀の虫の啼くごと音を立つるオペラ通りの秋の夜の靴
明治45年(1912)、晶子は夫鉄幹の後を追ってひとりフランスのパリに旅立ちます。『巴里にて』は到着一カ月ほどのちに書かれた小品です。当時のパリのファッションや街の様子、置いてきた子供たちへの思いを素直に書き綴った旅日記です。
金銀の虫の啼くごと音を立つるオペラ通りの秋の夜の靴
「るせえなあ、もう」
母親の小言が始まるとマサオは、キッチンのドアを力まかせに閉め、玄関から飛びだして行った。
外は雨が降っている。
マサオは駐車場に向かって駆け出した。白いテープで区切りがしてあるだけの空地の奥に、白い大型車が停まっている。
マサオは靴を脱いで運転席に座ると、エンジンをかけた。いきなり大音量でアイドルグループの歌が鳴り響いてきた。
「くそっ、あのばばあが!」
マサオはタバコに火を点けながら毒づいた。
雨が激しくなり、薄暗い街灯の光をモザイク模様に変えていった。
……ひと月前まで、助手席にはいつもヨシエが座っていた。後ろの席にある赤いハート型のクッションも、彼女がマサオの誕生日に贈ったものだ。それが先月突然別れることになった。
いつもならこうして座っていると気持が落着くマサオだったが、今夜は違っていた。
「もう一度、ヨリを戻したい」
マサオはヨシエとの楽しい日々を思い出していた。
初めてのキスは、そうだ、公園の横だった。唇がやわらかくて、髪のいい匂いがしていた。胸に触れるとヨシエは体を固くして両手を握りしめていた。太ももの間に手を入れるとヨシエは少し抵抗した。あのときの湿った感触は忘れられない。マサオはズボンの中が熱くなった。
「今度会ったら、ぜったいヤルぞ!」
マサオは、矢も盾もたまらなくなり、今すぐ会いに行こうと決めた。
なぜか今夜はヨシエが自分の来るのを待っているような気がした。……
雨はますます強くなってきた。
ワイパーを最速にしても、一瞬後には前が見えなくなる。すれ違う車のヘッドライトが宙に浮いたまま通り過ぎていく。
信号が黄色になったのが見えた。マサオはまっすぐ突っ込んで行った。
突然、眼の前に大きなライトがあらわれた。
大型トラックのバンパーが目の前にあった。
夢中でブレーキを踏みハンドルを左に切った。車がヨコに傾く。
「ウソだ、ウソだ」頭のどこかで声がした。
「あああああああっ」
声が口から出る前に、車はトラックに激突していた。
雨はいまも激しく降っている。
道路に投げ出されたマサオは、流れ出た血が側溝に吸い込まれていくのを見ていた。
遠くでサイレンの音がしている。
薄らいでいく意識の中で、マサオは何かを思い出そうとしていた。
「オレはどこへ行くつもりだったんかなぁ」
頭の中は靄がかかったようにぼんやりして、もはや自分が誰なのかも分からなかった。
玄関のドアが風でガタガタ震えた。
「マサオかい?」
母親は台所のテーブルに頬杖をつき、テレビの画面から目を離さず独り言のように言った。
雨はまだ降り続いている。
※つまらない話はこれで最後にします。お疲れさまでした。
「フフン」と少し鼻にかかった甘い声で君が笑う。
ボクはその声がとても好きだ。
その笑い声が聞きたくて
ボクはバカな話を際限なく続けている。
ウソをホントに、ホントをウソに
あることないこと、おもしろおかしく
テーブルの上の料理もとうに冷めてしまった。
君はそのたびに小さな笑い声を聞かせてくれる。
ボクが話し疲れ、ひと息ついたとき、君が言った。
「おしゃべりな男って大キライ!!」
M君は友達がいない。
趣味は「変装」。
毎日、何時間も鏡の前に座って、いろいろな人物に変装する。
老人、サラリーマン、労働者、ヤクザ、ときには女性にもなる。
満足すると、その格好で繁華街へ出かける。
デパートの前で人待ち顔で立ってみたり、
肩が触れ合う雑踏の中をあてもなく歩いたりする。
「だれもボクが変装していることに気付いていない」
これが快感だと言う。
M君は友達がいない。
昭和四十年代、夏。関西地方の田舎町。
外で声がする。
あれは隣の家の姉妹の声だ。
テレビの時代劇を見ていた敏夫は
急いで引出しから懐中電灯とりだすと、
サンダルを引っ掛けて外へ飛び出して行った。
二軒はなれた家の前で姉妹が花火を手にしゃがみこんでいた。
水を入れたブリキのバケツが置いてある。
敏夫は懐中電灯を振り回しながら、駆け寄っていった。
敏夫は二人の向かい側にしゃがみこんだ。
地面には小さな花火の束が置いてあった。
「敏ちゃん、はい持って」。
敏夫よりひとつ年下のみっちゃんは花火を手渡すと、ぎこちない手つきでマッチを擦った。
火のついた花火はパチパチと青白く輝き、周りを昼のように明るくした。
「マッチ落としたわ。敏ちゃん、照らして」。
みっちゃんが言った。
「いいよ」。
敏夫は持っていた懐中電灯を点け、みっちゃんの足下に向けた。
懐中電灯の光が、しゃがんだみっちゃんの太ももの間を明るく照らした。
白い下着のふくらみが光の中ではっきり見えた。
敏夫は心臓がドキッとした。
「さあ、これで、おしまい」。
みっちゃんの手には線香花火があった。
敏夫は懐中電灯を地面に置き、押し黙ったまま手にした線香花火のか細い光を見ていた。
薄暗い光の向こう側で、みっちゃんの下着のふくらみが見え隠れしていた。
敏夫はこのまま花火が消えないように願っていた。
しかしすぐに先が丸くなり、やがてぽとりと地面に落ちてしまった。
夜の闇がひろがった。
「あーおもしろかった。」
「バイバーイ。」
姉妹は家に帰っていった。
敏夫も自宅に向かって歩きだした。
が、突然、忘れ物でもしたように、さっきまでいた場所に戻ってきた。
火薬のにおいがかすかに漂い、マッチの燃えカスが地面に散らばっている。
敏夫は同じところにしゃがみこむと、手にした懐中電灯を点け、みっちゃんの座っていたあたりを照らしてみた。
光は闇の中の地面を少し明るくした。
敏夫は膝をかかえ、じっと光の先をみつめていた。
※退屈しのぎに読む短い短い話です。
団地の一角に公園がある。
公園の端には太い大きな木が立っている。
いつからか木の根っこに男物のサンダルが転がっていた。
近づいて上を眺めてみると、鬱蒼と茂った葉と葉の間から、
秋の陽射しを受けて、白く輝く足の裏がのぞいていた。
1970年代、二階の六畳一間の部屋に私は住んでいた。住人のほとんどは一人暮らしだったが、階段をはさんで隣の部屋には、夫婦と子ども二人の四人家族が住んでいた。炊事場もトイレも共同の住宅で、どうして暮らして居るのだろうと不思議でならなかった。
蒸し暑い夏のある日、部屋の前を通ると、普段なら少しだけ開いている戸が、思い切り開いていて、レースのカーテン越しに部屋の中がよく見えた。広さは八畳ぐらいで、中央に小さな卓袱台があり、家財道具が壁に沿ってぐるりと置かれていた。留守番でもしているのか、子どもたちが寝転んでテレビの野球中継を見ていた。押入れも窓もないこの部屋で四人が寝起きしているのはやはり信じられなかった。
父親は、左半身が少し不自由な人だった。ときどき廊下で会うと、愛想よく挨拶をしていたが、近づくと酒の匂いがして、いつも目が赤く充血していた。
上の男の子は四年生ぐらいで、ひょろりとして背が高く顔色が悪かった。夏休みも終りのころ、宿題を持って父親がやってきた。分からないので教えて欲しいと云われ、私は小学生の宿題ぐらいならと軽く引き受けた。しかし理科の問題は難しく、茎がどうとか、葉っぱをどうしろとかまったくチンプンカンプンで、結局、専攻が違うから…と、返してしまった。それ以来、私を見る目が少し変わったように見えた。
炊事場もトイレも共同だから、もちろん風呂などない。私は毎日風呂に入らないと気が済まないので、近くの風呂屋に通っていた。まだ日が高いうちから湯船に寝そべり、ぼんやり天井の湯けむりを見上げるのが日課だった。
隣の家族にもときどき風呂屋で出会った。たいていは父親と三人だったが、ときには子どもたちだけで来ていることもあった。下の子は小学校へ入る前ぐらいで、おとなしいが、元気そうに見えた。この子だけには生活の影響は感じられなかった。
ある日、いつものように風呂屋にゆくと、兄弟が二人で来たところだった。時間が早いせいか、客も少なくガランとしている。上の子はさっさと服を脱いで中へ入って行ったが、下の子は私の方を見ながら、ぐずぐずとシャツを脱いでいた。
私はズボンを脱ぎ、籠に入れようとしたとき、ポケットの中の小銭をあたり一面にぶちまけてしまった。小銭は、あちこちに散らばり、離れて見ていた男の子の足元にも転がっていった。私が近づいていくと男の子は後ずさりして、隅の方でじっと動かずにいた。小銭は見つからなかった。
「まあ、いいか」
脱衣篭をロッカーに押込み、洗面器を手に洗い場に向かった。その間も男の子は、ずっと片方の腕だけをシャツに通したまま、私の方を見ていた。
中から兄の呼ぶ声がした。
私は洗い場のドアを開けるとき、何気なく鏡を見た。男の子は脱衣場の隅から、脱いだばかりのシャツをまるめて自分の篭に近づいていくところだった。
一方の足を引きずりながら…。
※印象に残ったので書き留めておきました。
昭和十三年三月二十日
この頃名古屋より屡々艷書を送り来る女あり。文言次の如し。
未来の御主人様まいる
お顔も御存じ申し上げていませぬのにお手紙差上げたりして御免なさい。
貴方様はきっと静かないい毎日をお暮らしの事と存じ申し上げます でも私は困って居るのです 世の中がつまらなくって、ですから私を貴方様のお家へ女中に押込むことを思案しましたの。女中には困らないなどとおっしゃっては嫌でございます もう大分前から永井家の女中のつもりでいますから 困った奴でしょうかしら 私にとっては一生懸命な思い付きなものを 十月五日が来ると満二十五 国法でだって一人前ではございませぬか 女学校を出てからザット七ケ年 母さん達を怒らせてばかりいました ・・(二字不明)が多過ぎるだの頭形が横着いのなんだかんだで二十六になったのです いい話がなかったわけは第一御面相が御面相ですし 私自身母さんみたいに九人も産まされ育てたりする勇気がございません 保存すべき程の種でもございますまい
貴方様はそんな風の女人──一寸自分には過ぎた言葉ですが──大嫌いでしょうか、だと私困る どうしても貴方様のお家へ寄せて戴きたいのですから
今まで沢山の妹達とのうのうと暮して来ました 末のが十になり次々と下の子達も大人になったし その上素晴らしい恋愛が私にやって来そうもなし しばらく他家へ行きたいと云い出したって母さん達に文句はあるまいと思います 十月になったらきっとまいります
私は九人兄妹の三人目だから素直な好い子ではない お料理も出来ない どうやら割り切れる女でもないらしい
貴方様のおっしゃる事を聞いたり又よく守って 朝に夕にお心のそばにいたいと思います そして一寸お仕事の邪魔をして上げたい こわい顔にいつもお会いしていたい では又 光江拝
名古屋市熱田区沢下町十五
岸 田 光 江
恋愛は人生最美のものだ──そしてまた最愚劣の。
♁
男は愛する、女は愛させる。
♁
僕ら男性が下腹部に所有する(伸縮自在の)あの小突起物、なんとこいつが、僕らに気ちがい沙汰をさせることか!
♁
SEXは、真のSEXは、完全なSEXは、価値ある唯一のSEXは、破廉恥の中で行うそれであり、肉情の極致で行うそれであり、下卑た言葉を絶えず更新しながらつぶやきつづけて行うそれだ。
♁
SEXはもともと晴れやかで、熱烈で、傍若無人のもの、快感の最中にあっては才気、終った後は笑いの筈だ。黙り屋、むっつり屋、朴念仁、もったいぶり屋、こんな男どもはSEXの相手としては落第だ。相手こそいい迷惑だ。
♁
男が或る年齢に達していながら、SEXにかけてはまだ若いというのは、大きな不幸だ。幸福は一切彼には不可能だ。彼は絶えず考える、自分の愛人が自分を何と思っているのだろうかと。彼は彼女の全身に、精神的にも肉体的にも、見せかけを、気がねを、利己心を見ずにはいられない。世にも楽しい法悦境のまっ最中に、この言葉が耳近く小声に聞こえてくる、〈芝居じゃなかろうか?〉
♁
僕は女は好きだが、女たちは好きではない。
無知は、幸福の必要条件であるばかりでなく、人間存在そのものの必要条件である。もしもわれわれが一切を知ったら、われわれは一時間と人生に堪えられないであろう。人生は楽しいとか、ともかくも我慢できるものだとかわれわれに思わせる諸感情は、何らかの嘘から生まれるものであり、幻想によって育まれている。
✦
死はわれわれを全く消滅させるということに、わたくしは異を立てる者ではない。それはいかにもありそうなことである。その場合には、死を恐れる必要はない。
私が存在する時には、死は存在せず、死が存在する時には、
私はもはや存在しない。[エピクロス]
✦
老人たちは自分たちの観念にあまりにも執着する。フィジー諸島の人たちが、彼らの両親が年をとるとこれを殺すのもそのためである。彼らはこうして進化を容易ならしめるのに反してわれわれはアカデミーなどをつくって進化の歩みを遅らせる。
✦
人生は善いものだといったり、人生は悪いものだといったりするのは、意味のないことである。人生は善いものであると同時に悪いものである、といわなければならない。というのはわれわれが善悪の観念を持つのは人生によってだからである。いや人生によってのみだからである。実のところは、人生はえも言われぬものであり、恐ろしいものであり、魅力的なものであり、おぞましいものであり、甘美なものであり、苦いものであり、そしてそのすべてなのである。
✦
人生においては、偶然というものを考慮に入れなければならない。偶然は、つまるところ、神である。
※アナトール・フランスはフランスの詩人、小説家、批評家。芥川龍之介が『エピクロスの園』に触発されて『侏儒の言葉』を書いたと言われています。図版はジョン・エヴァレット・ミレーの『盲目の少女』。前回同様本文とは関係なく、気まぐれで入れました。