人生
「人生」の長い旅をゆくとき
よくぶつかる二つの大きな難関がある
第一は、「分かれ道」である
第二は、「行きどまり」である
魯迅「両地書」より
「人生」の長い旅をゆくとき
よくぶつかる二つの大きな難関がある
第一は、「分かれ道」である
第二は、「行きどまり」である
魯迅「両地書」より
ジェイムズ・ジョイスの短編「エヴリン」を作りました。
家を捨てて船乗りの恋人と新しい人生へ踏み出すかどうか、主人公が最後の瞬間で迷い、結局踏み出せないという話です。こう書くとよくある若い男女の恋の逃避行のようですが、話はそう単純ではありません。面白かったです。
ジェイムズ・ジョイスはアイルランド出身の小説家で、『ユリシーズ』『若き芸術家の肖像』などで知られており、20世紀の最も重要な作家の1人と言われています。
暮春の頃の、しっとりとした夕暮のみどり色の闇。
市井の言語のうちに見出される意味深長な言葉、あれは幾代(なんだい)かの蟻によって穿たれた穴だ。
唐草模様は、模様の中で最も精神的である。
悲劇的な空━━物質的なものに適用された抽象的な形容。
※本人がそう言うなら、それでいい。
虚子の「風流懺法」の面白さはその会話にある。自分がまるでその場に同席しているように感じさせる描写が絶妙で、登場する舞妓のあどけない仕草が目に浮かんでくる。ここにそのシーンを抜き出してみたい。果たしてどこまで伝わるだろうか。
場所は祇園「一力」の座敷。
訪れた主人公は仲居のお艶に赤い前垂れのいわくを訊いていた──
「三千歳(みちとせ)はん上げます」
という声が聞える。舞妓は余等の前に指を突いて、
「姉(ねえ)はん、今晩は」
とお艶(つや)に会釈する。厚化粧の頬に靨(えくぼ)が出来て、唇が玉虫のように光る。お艶の赤前垂れの赤いのが此時もとの通り帯の間に畳まれて、極彩色の京人形が一つ畳の上に坐って居る。
「お前いくつ」
「十三どす」
「ほんまに可愛い児どすやろう。私等毎日見てますけど、見る度(たんび)に可愛てかないませんわ」
とお艶は銀煙管に煙草をつめる。
「其帯は妙な結びやうね」
「これどすか、こうやつて、ここをこう取つて、こつちやに折つて、こう垂らしますのや」
と赤いハンケチを膝の上でたがねて見せる。白い指が其ハンケチにからまって美しい。
「何というの其名は」
「だらり」
「髷(まげ)の名は」
「京風」
「櫛(くし)は」
「これどすか」
と白い手を前髪の後ろにやって、
「花櫛、これは前髪くくり。あなた何書いといやすの」
と余のノートを覗き込む。
「三千歳はん、今日虚空蔵様(こくぞうはん)へお詣りやしたか」
「ハー」
「何というてお拝みだ」
「阿呆どすさかい智慧おくれやす、ちうて」
銀紙の衝立の蔭からまた人形が一つ出る。
「松勇(まつゆう)はんあげます」
「姉はん今晩は」
と三千歳に並んで坐って、
「今日お詣りやしたか」
と三千歳の手を取って自分の膝の上に置く。
「ハー」
「帰りしなにあとお向きやへなんだか」
「向かしまへなんだ」
と三千歳は髷の上を両手で圧へる。
「面白さうなお話ね」
と聞くと、
「虚空蔵様に詣って戻り道にあと向くと智慧かへしますてやわ。あの染菊はんな、つい忘れてあと向かはって、帰らはってから阿呆にならはったて、おぉいや」
とお艶がいう。
「いやらし」
と三千歳と松勇は同じように眉をよせて同じように背中の帯に手をやる。一つの糸で二つの人形が一所(いっしょ)に動いたのかと思われる。ちりけ元から垂れた帯は松勇のが殊に長く畳の上に流れている。
「その帯は何という結びよう」
と又松勇に聞いて見る。
「これどすか、だらり」
「髷は」
「京風」
と同じ事をいう。
銀紙の衝立の蔭から今度は人形が二つ出る。
「喜千福(きちふく)はんあげます」
「玉喜久(たまきく)はんあげます」
「姉はんおほきに」
「姉はんおほきに」
と二人並んで燭台の向うに坐る。此方の二人が鏡にうつったようによく似て居る。
「二人の帯は」
と又聞くと、
「これどすか、だらり」
と喜千福が玉喜久を見る。
「髷は」
「京風」
と玉喜久が喜千福を見る。
「同じことお聞きやす」
と三千歳は笑つて又ノートを覗き込む。
「喜千福はん、あんたの顔見て書いといやすわ。妙な顔にお書きやしたえ」
と三千歳がいう。皆が笑つて喜千福の顔を見る。
「おぉ晴れがまし」
と喜千福は長い袂の中程で顔をかくして、
「姉はん、芸子はんは」
「お花はん貰ひにやったの、もう来やはるやろ、あんた都踊(みやこをどり)にお出るのン」
「ハー」
「踊りばっかり」
「踊りと鼓」
「三千歳はんは」
「踊りばっかり」
銀紙の衝立の蔭から今度は五十余りの芸子が出る。
「お花はんあげます」
「姉はんおほきに」
とお艶に会釈して座ると、
「姉はん」
「姉はん」
「姉はん」
「姉はん」
と四つの人形が先を争って老妓にお辞儀をする。(続く)
※ずっと前に掲載したものを再掲しています。
『寝顔』の主人公は荷風の小説によく登場する芸者や娼婦でなく、十五歳の女学生です。父を亡くした後、十八しか違わない母と二人で、仲の良い姉妹のように暮らしています。男気のないこの家に、かかりつけの老医師に代わって若い医者が往診に来るようになったのは、最近のこと。その後、長唄の会へ行ったり三人で海水浴へ行ったりと、家族ぐるみの交際が始まって、しばらく経ったある日、電車の中で偶然となりの乗客の会話を耳にします、それは……。
これは歌?
我が恋は 障子の引き手 峰の松 火打ち袋に 鶯の声
春日山 峰こぐ船の 薬師寺 淡路の島の からすきのへら
本に書いてあるままに言うなら、これらは「無心所着体(むしんしょぢゃくたい)の歌」といわれ、「それぞれの句は連想によってつながってはいるが、全体としては意味をなさない歌のこと」だそうです。歌病(かへい)ともいわれました。
※写真はComposition no.Ⅱ/ ピエト・モンドリアン 1913
一生この世の中に暮す間、若き時より老ゆるまで、誠にたわひもなき事なり
自分の持っている定規に合うように人を強いる事を親切と心得ている人がある。こういう人の定規は不思議に曲がっているのが多い。
同情のない親切と同情のある不親切──自分は糊の硬くない浴衣の方がいい。
ある問題に対して「ドーデモイイ」と云う解決法のある事に気のつかぬ人がある。何事でも唯一つしか正しい道がないと思っているからである。
「ドーデモイイ」ということは必ずしも無責任という事を意味するのではない。
常識という言葉の内容はこれを用いる人々によって悉くちがっている。
換言すれば、人の事を「常識がある」とか「ない」とかいうのは
自分と似ているかいないかという意味に了解すればいい。
※寺田寅彦の文章より抜粋。前にも掲載しています。
絵はヴィルヘルム・ハンマースホイ「Interior with Ida Playing the Piano」1910
あまり知られていない(私が知らないだけかも)ベル・カウフマンはドイツ生まれのアメリカの作家です。1964年のベストセラー『下り階段を登れ(up the down stair case)』も、まったく知りませんでした。今回の短編『日曜日の公園(sunday in the park)』は、後味の悪い話です。晴れた日曜日の午後、夫と息子の3人で公園に行きました。爽やかな風が吹く気持のいい日で、ベンチに座って本を読んだり、砂場で遊ぶ息子を眺めて幸せな気分に浸っていました。ところがこの気分を台無しにするトラブルが発生します。
私、ヴォランスキーは、死期の近いことを知って、この遺書を認める。
それは私の家族に対する私の評価が、私の彼等に遺贈するものの少なさに
比例することを知って欲しいためである。
私の最愛の妻に対しては、庭の奥の小屋の床下にかくしてある
ポルノ写真をおくりたい。彼女と嘗て一度も共にしたことのない
あらゆる痴態について彼女に感謝するために。
弟のルイに対しては電気ノコギリをおくりたい。
余のため嘗て一挙手一投足の労も取ったことのない彼が、
このノコギリで片腕を切り落とすことを願いながら。
※ジョルジュ・ヴォランスキー(フランス人・風刺漫画家)。「次の本ができるまで その179」より
知者不言 言者不知
言う者は知らず 知る者は言わず。
『島』 マーク・トウェイン
以前掲載したものを再掲します。忘れていたのですこし新鮮です。
古代数学者ディオファントゥスの墓碑にはこんな文章が記されているという。
アメリカジョージア州生まれの作家アースキン・コールドウェルは、ブルーカラーの人々に共感し、彼らとすごした経験をもとに、自分より貧しく運のない人々の質素な生活を賞賛する物語を多く著しました。
『苺の季節』は収穫期の農場へ苺摘みのアルバイトに来たぼくとファニーが、〝苺つぶし〟といういたずらがきっかけで親しくなるお話です。
好みは千の嫌悪から成る。
☘︎
彼が為した馬鹿らしいことと、彼が為さなかったバカらしいことが、
人間の後悔を半分づつ引受けている。
失ったものよりも、失わなかったもののほうが余計に惜しまれることがしばしばある。
☘︎
うんと子供が生まれるだろう、まなざしで妊ませることが出来たら。
うんと死人が出るだろう、まなざしで殺すことができたら。
往来は、屍体と妊婦でいっぱいになるはずだ。
☘︎
生は死より、ほんの僅かに年上だ。
女を悪く言う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである。
☽
謙遜は高慢な含羞(はにかみ)である。
☽
人が真実を追求するに際し最も恐るべきはそれが見つかる事である。
☽
愛する女の匂いは常に甘い。
☽
人生って何だ? 感覚の連続さ。
では感覚って何だ? 思い出さ。
人間と云う奴は生きていはしないよ。
人間と云う奴は生きていた事のあるものさ。
一老人が云っていたよ。
※確かに人生は後悔に溢れている。あの時もこの時も自分の判断はほぼ間違っていたと思う。
本文と関係のない絵はクエンティン・マサイス / An Old Woman 1513年頃
ボクはたった一度だけ「イイコト」をしたことがある。
ある日ボクが道を歩いていると、交差点に目の不自由な人がいた。
方向を見失ったのか、白い杖を地面に這わせて行ったり来たりしている。
いつもなら知らん顔をして通り過ぎるボクだが、まわりには人もおらず、途方にくれた様子を見かねて声をかけた。
「どこへ行くんですか」
男性は喫茶店の名を言い、その近くに家があると言う。
その喫茶店は信号を渡ったすぐのところだ。
「じゃ、いっしょに行きましょう」
ボクは彼の横に並び腕をとって歩いた。
店の横を曲がって二三軒行くと、「あんまマッサージ」と書いた小さな看板がぶら下がった家があった。
「じゃ、ここで」
「ありがとうございました」
ボクは道を戻りながら、人助けをした満足感でいっぱいだった。
そのうちそんなことも忘れてしまった。
何ヶ月か過ぎた。
仕事も一段落したある日、
肩がパンパンに張ってきたのでマッサージにでも行こうかなと思った。
その時、前の出来事を思い出し彼のところへ行くことにした。
見覚えのある家の玄関を開け「すみません」と声かけると、
「はい」と彼は奥の薄暗い部屋の隅に置物のように座っていた。
灯りぐらいつければ……と思ったが、彼には必要ないことに気づいた。
「ちょっとマッサージを…」と言うと
「どうぞ、二階へ上がってください」と彼。
ボクはスリッパに履き替え、玄関横の階段を上がって行った。
通りに面した、少し明るい畳の部屋に小さな布団が敷いてあった。
後から上がってきた彼は、
「どうぞ、そこへ横になってください」
と言いながら、タオルを巻いた枕を置く。
ボクはそれを抱えるようにして、布団の上にうつ伏せになった。
横に正座した彼は、何の会話もないまま、ボクの背中に手を置きゆっくり揉み始めた。
平日の午後、あたりはしんとして、ボクと彼の息遣いだけが聞こえてくる。
ボクは目を閉じて、ぼんやりと彼の生活を想像してみた。
一人で暮らしているのだろうか、食事はどうしているのだろう、いつもあんな風に
部屋の隅でじっと座ってお客さんが来るのを待っているのだろうか……。
彼はおし黙ったまま、ゆっくりと肩から腰の方へ手を進めていった。
ボクは小さく「ウッ」とか「アッ」とか言いながらじっとしていたが、
緊張しているのか、体は硬いままでなかなかほぐれない。
「こちらを向いてください」
ボクは彼に向き合うように体を回した。
彼はボクの胸の前に座って、上にした首から肩を黙ったまま揉み続ける。
あいかわらず緊張した空気が流れている。
ボクは目だけを動かして、窓の上の方に少しだけ見える青空を見ていた。
そしてここへ来たことを少し悔やんでいた。
次回へ続く