森鴎外の遺言書
鴎外は生前遺言書を三通作成している。
初めは明治三十七年二月二十二日、日露戦争に軍医として従軍する直前に作られた。
文面には妻志げに対する不信感が窺える。
二通目は一通目の追加という形で大正七年に作られた。ここでも志げには冷たい。
最後は大正十一年七月六日、親友賀古鶴所に口述筆記させたもので「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」の一文が知られている。
三日後、七月九日午前七時、鴎外は六十一歳(満六十歳)で逝去した。
※字が小さくて読めないかも知れません。
※いろいろあったんでしょうね、森さんちも。
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