2020年6月11日木曜日

次の本が出来るまで その165

無題


『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)より


 S. H. Wainwright という学者が、和歌や俳句の美を紹介した論文の中に引用されている俳句の英訳を、俳句の事を何も知らない日本の英学者のつもりになって、もう一遍日本語にしかもなるべく英語に忠実に翻訳して見ると、こんな事になる。

 「如何に早く動くよ、六月の雨は、寄せ集められて、最上川に」

 「大波は巻きつつ寄せる、そうして銀河は、佐渡島へ横切って延び広がる」

 此頃、拠ない必要から、リグ・ヴェーダ※の中の一章句と称するものの独逸訳を、丁度こんな調子で邦語に翻訳しなければならなかった。
 そうして実は甚だ心元ない思いをしていた。
 今、右の俳句の英訳の再翻訳という一つの「実験」をやった結果を見て、滑稽を感じると同時に、いくらか肩の軽くなるのを覚えた。(昭和三年三月、渋柿)


リグ・ヴェーダ=古代インドの聖典であるヴェーダの一つ。リグ・ヴェーダは 財産・戦勝・長寿・幸運を乞い神々の恩恵と加護を祈った讃歌の集録。(興味のある方は岩波文庫で)

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