2022年2月24日木曜日

次の本が出来るまで その229

かな文字


筆で手紙を書きたいと思いたち、書道教室に通ったことがあります。が、漢字の臨書で頓挫しました。いまだに手紙を書く時(ここ何年も年賀状以外書いたことはありませんが)一文字ずつ小学生の漢字ノートのように書いていました。細い筆で流れるように書いた手紙は美しいものですが、読むのはなかなか難しいようで、先日こんな文章に出会いました。

今の世に用ゆる所のかなは、尊圓以来の姿にやとおもはる。いと古き代のかな文は、一向何やらんよめ侍らず。かなの姿の今の世ならぬを、連綿して略しぬればよめぬはづ也。今時の女用のふみ、日用の手紙の略草も、古人を蘇生せしめなば、一向によめまじとおもはる。古のふみの詞遣(ことばづか)ひなぞは、今の代の好古のものは覚了し侍れ共、字体字行の違(ことな)る故によめぬ也。まして降れる代の文体、なをしも古人のよめかぬべき也。静斎先生の強記秀才にても、慈円のかなぶみは一向によめず。めでたくかしこのみよめたりとの事也。

尊円=尊円親王。伏見天皇の第六皇子。南北朝時代の書家。小野道風や藤原行成の書、さらに中国の書風をも取り入れて青蓮院流を確立。

静斎=斎静斎(いつきせいさい)江戸中期の儒学者。服部南郭に徂徠学を学び,京で講説。また医を業とした。

慈円=鎌倉初期の天台宗の僧。関白藤原忠通の子。九条兼実の弟。「愚管抄」の著者。

                『異説まちまち』文化十年(1813年)烏江正路

 

写真は昭和10年発行の『手紙講座』(平凡社)という本に掲載の見本です。読めない私が言うのも何ですが、こんな手紙がすらすら書けたら楽しいでしょうね。


※長谷川時雨、いい名前ですね。

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