『嵯峨日記』
芭蕉は元禄四年四月十八日から翌月五日まで十八日間、嵯峨の落柿舎に逗留した。『嵯峨日記』はその滞在記録である。芭蕉の滞在中は去来、凡兆夫妻をはじめ乙州、李由、曽良、曲水、嵐雪、昌房、尚白、千那、史邦、丈草など老俳人に少しの寂寞をもあたえぬほどの賑わしさである。
芭蕉48歳、蕉門の一大選集「猿蓑」が世に出、一番油の乗り切った時期であった。が同時に芭蕉はひたすら浮世の外に住まんことを願っていたともいわれる。
「人来れば無用の辯あり、出でては他の家業を妨ぐるも憂し、孫敬が戸を閉て、杜五郎が門を鎖さむには、人なきを友とし、貧を富めりとして五十年の頑夫、自書みづから禁戒となす」と言っている。
※インフルエンザに罹り随分遅れてしまった。何度もやり直していたことも原因だが。
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