司馬江漢「春波楼筆記」より いいかげん現代訳
私はいま七十いくつになり、若いころをふり返り感慨に耽ることがある。私は若いころより、志をたて、何か一芸をもって名を為し、死んだあとも名前が残ることを望み、一流の刀工になろうと思っていた。刀は何より武門の第一の器であり、これを造ることで後代に残し、名を後世に伝えることができると思っていたのである。
しかし天下は治まり、戦がなくなると、人を斬る道具であり、凶器である刀は装飾品となり、武士は名高い古刀を武門の装いとするようになった。目貫、縁頭など刀脇差の飾りを愛玩する者も増え、中でも後藤家は後藤彫として名を馳せた。また宗眠、宗与、躬卜(みぼく)などが登場し人物虫魚に至るまで、工を競い合った。宗眠は、英一蝶の下絵を使い片切彫という毛彫で一流を工夫した。その二代目宗与もこれを継承し妙手であった。絵にたとえて言えば、後藤は高彫で、金銀その他赤銅火色四分一色々にまじえて形とし、これ極彩色のごとし。躬卜は、肉のある彫にして薄彩色のごとし。宗眠、宗与は墨絵のごとし。おのおの一流を工夫して一家をなしている。私はこの上の工夫がなければ名を得る事は難しい。ここにおいてきっぱりと諦めることにした。(後略)
Sword Guard (Tsuba)
Date:ca. 1615–1868
Culture:Japanese
Medium:Iron, gold
Sword Guard (Tsuba)
Date:18th century
Culture:Japanese
Medium:Iron, gold, copper
Sword Guard (Tsuba)
Date:18th century
Culture:Japanese
Medium:Copper-gold alloy (shakudō), gold, copper, silver
Sword Guard (Tsuba)
Date:19th century
Culture:Japanese
Medium:Iron, gold, copper
※参考までにメトロポリタン美術館の収蔵品から鍔の写真を掲載します。
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