2020年9月15日火曜日

次の本が出来るまで その173

つくり直し 




たまった紙の再利用を兼ね、以前の樹脂版を使っていくつかつくり直すことにしました。前と同じものを作っても面白くないので、気になる箇所を修正し、体裁を変えました。良くなったとも思えませんが、時間つぶしにはなりました。


 冬日の窓 永井荷風  2015年5月12日投稿 
仕上がりが気に入らないので、つくり直しましたが、まだ心残りがあります。 額に入ったミレー風の絵画のつもりですが、冬というより秋のかんじです。 


黒猫 餅饅頭 薄田泣菫  2015年5月15日投稿
紙が厚く本が開きにくいので、70kgの書籍用紙にしました。ずいぶん薄くなりました。 表紙は色がもうひとつです。


 『葡萄畑の葡萄作り』『榛のうつろの実』 ジュール・ルナール  2016年5月5日投稿
これはどれよりもつくり直したいものでした。本文の文字が大きすぎるのですが、 そのまま使っています。色違いの紙で表紙をつくり2冊をいっしょに箱に入れました。 背文字を入れなかったのが悔やまれます。

 
 

道理の前で フランツ・カフカ  2015年12月24日投稿 
マッチ箱にいれた小さな本ですが、紙が厚く本が開きにくいので、書籍用紙にして、函にいれました。

 ※でき上がると良くないところばかりが眼につき、すこし嫌いになります。

2020年8月28日金曜日

次の本ができるまで その172

社会のしくみ


政治家
政治家とは、私の利益のために国事を運営する人のこと。

法律
法律とは、大きなハエが通り抜け、小さなハエがつかまる蜘蛛の巣。

「まだ絶望ではない」と大きな声で言ってみるのはいいことである。もう一度「まだ絶望ではない」と。
  しかしそれが役にたつだろうか。 『マルテの手記』

2020年8月21日金曜日

次の本ができるまで その171

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー


画家のホイッスラーが、こんな風に断言している──
「作品の制作のさいに使われたさまざまな手段の痕跡が、いっさい消滅したとき、その絵は完成したのだ。芸術にあっては、仕事に熱中することは美徳などというものではなく、欠くべからざる必要なのだ。制作のさいの何らかの痕跡がまだ残っているかぎり、それは努力の不足を立証するものにほかならない。ただ努力だけが、努力の痕跡を消しうるのである」。

「ノクターン:ソレント」1866

「灰色と黒のアレンジメント No.1」1871

※努力だけが、努力の痕跡を消しうるという言葉に惹かれて。

2020年8月16日日曜日

散文詩集「宿命」萩原朔太郎

散文詩集『宿命』 萩原朔太郎


今回は萩原朔太郎の散文詩集『宿命』より「宿酔の朝に」「田舎の時計」「貸家札」「神々の生活」「自殺の恐ろしさ」「戦場での幻想」の六篇を収録しました。

「散文詩」とは文字通り「散文」の形式をかりて表現された詩のことですが、規則的な詩法に基づいた「韻文」に対してその定義はあいまいです。詩的精神をもって書かれた短い文章、ということらしいです。

 

※扉の紙質がちょっと違うような気がしています。


※ホントどうでもいいことですが、前回の「指輪」の表紙が気に入らず、タイトル文字を縦書に修正しました。

2020年8月10日月曜日

次の本ができるまで その170

何となく



芥川龍之介の作品の出だしをいくつか並べてみました。


※誰か「邪宗門」の続きを書いてくれ。

2020年7月29日水曜日

次の本ができるまで その169

カミュの手帖より


新聞はもはや、ペストの話以外に語ることはなにもなくなってしまう。人びとはこういう。新聞にはなにも出ていない、と。

                  ⁂

ペスト。
私は心の準備をしようと努めている。だが毎日決まって昼間の、あるいは夜の一時間、人間が臆病になるときがあるものだ。私が怖いのはこの時間だ。

                   ⁂

ペスト。
だれもが我が身にペストを背負っている。というのは、だれも、この世のだれも、それを免れずにはいられぬからだ。また、たとえ一瞬の気晴らしのあいだも、他人の顔から息を吸ったり、他人に病毒を感染させたりしないよう絶えず自分を見張っていなくてはならない。自然の摂理は黴菌だけだ。あとは、健康にしろ、公正さにしろ、またお望みとあらば純粋さにしろ、すべては意志の結果なのだ。だから立派なひと、つまりだれにも病毒をうつさぬひととは、できるだけ気晴らしをしないひとのことだ。

※次はもっと明るい話をします。

2020年7月21日火曜日

次の本ができるまで その168

未来の刑罰



 かなり前に死刑が廃止されると、それに替わる刑罰として「地球追放罪」が作られた。これは重罪を犯した人間をまとめてロケットに乗せ宇宙に放り出すものである。廃棄寸前の宇宙船は無限の宇宙をどこまでも飛んで行く。使用期限は50年、もちろん地球に戻れる可能性はない。今日も種子島から20人余りを乗せ発射された。今のところ順調に飛んでいるらしい。(西暦5020年7月21日)

※思いつきのくだらないことを不定期に書きます。

2020年7月9日木曜日

次の本ができるまで その167

芭蕉歌集



芭蕉の短歌を集めて掲載します。


 題知らず
捨てぬ間に捨てらるる間の思い出を知らでや人の真(まこと)とは云ふ

 鄙歌 自得
思ふこと二つのけたる其あとは花の都も田舎なりけり

 骸骨讃
みな人の是れをまことの形ぞと知らば此身が直ぐに極楽

 題しらず
網雑魚(あみざこ)を升(ます)に量りて買ふ人は売る人よりも哀れなりけり

いのししの麦食ふことはさも無くて米食ひ荒す人の憎さよ

 無名庵の帰りに雪にあうて申しつかはしける 去来
かさすてて尻からぐべきかげもなしでつちもつれぬ雪の夕ぐれ
 かへし 芭蕉
笠さして尻もからげずふる雪に定家の卿もはだしなるべし

 羽紅が尼になりける時に申遺しぬ
九重の内には海のなきものを何とてあまの袖しぼるらむ

ふもとより梢にかかる藤の花腹一ぱいのながめなりけり

 俳諧歌
年の夜の更けゆくままに事繁き都の市の音静かなり

寄る年の目にはさやかに見えねども豆の音にぞ驚かれぬる

 田中一閑みまかりて後、谷中の新堀(にひほり)へ初めてまかり侍りて、
訪ふ人も今は夏野の草の原露ばかりこそ友と置くらめ

見れば且つ昔の夢の言草(ことぐさ)を思ひ知られて袖ぞ露けき

人の身の今の習ひを在りし世に知らで過ぎにし人ぞはかなき

 のり姫の君みまかりし後、程無く鈴木主水みまかりければ、
見し夢に夢を重ねて片糸の心細くも思ほゆるかな

見るままにあな現無(うつつな)やあだし野の露と消えゆく夢の世の中

 五月十八日、例の講習にて、かの処へまかり、亡き人を思ひ出でて、
通ひにし人は夏野の草の露その名ばかりは消え残りぬる

いつしかに昔の人と偲ばれて言の葉草に露かかるらん

遁れ住む美濃の小山(をやま)の哀れさを松のあらしに吹きも伝へよ

 落柿舎にて
山里にこはまた誰を呼子鳥ひとり住まんと思ひしものを

※これはこれで面白い。

2020年6月30日火曜日

佐藤春夫『指輪』

『指輪』 佐藤春夫



 佐藤春夫の「指輪」という小品です。
 妻が欲しがっている指輪を浮気相手の女に買い与え、さらに社員旅行をすっぽかして二人で何処かへ出かける計画をしている男の話です。正直この話はいやな気分にさせられました。そこで「いやな気分のおすそ分け」のつもりで本にしました。男の不貞が今ほど咎められなかった時代の空気が感じられ、罪悪感のない主人公と作者が重なり、後味の悪い作品として記憶に残りました。


※一生懸命作ったわりには、ぱっとしない出来上りです。頭のなかでは岸田劉生の絵のような表紙を想像していたのですが……。

2020年6月18日木曜日

次の本ができるまで その166

マーク・トウェインの冗句 joke


 わたしが14歳のとき、父は何にも知らないまったくの愚か者で、そばにいるのさえ恥ずかしくなるくらいだった。ところが21歳になったとき、わたしはびっくりした。おやじはなんて多くの知識をこの7年間に身につけたのだろうかと。

                 ⁂

 客に行った先で、その家の女主人から、「歌はお歌いになりませんの」と訊かれたトウェイン、「わたしの歌をおききになった人は、みなさん、わたしは歌わないと言っております。」

                 ⁂

 わたしは、そのフランス人にフランス語で話した。彼は、わたしの言うことがわからないと言った。そこで、わたしはもういちど繰りかえした。ところが彼にはまだわからなかった。どうやら相手はまるっきり、フランス語がダメらしかった。

                 ⁂

 マーク・トウェインは、自分は何事をするにも、かならず朝食がすんでからやるんだ、と自慢した。どうすればそんなことができるか、ときかれて、
「朝食の前にしなければならないことがあったら、かならず、早く起きて、まず朝食をすますのさ」

                 ⁂

 目を覚ましたら、時計が4時をうつのが聞こえた。わたしは思った。──どうやら長いこと眠っていたらしい。いったい何時に寝たんだろう。
 そして、わたしは起きあがると、明かりをつけ、時計を見て確かめようとした。


※『ちょっと面白い話』『また・ちょっと面白い話』(旺文社文庫)より抜粋しました。第1作『マーク・トウェインの箴言集』もここから選んだものです。

2020年6月11日木曜日

次の本が出来るまで その165

無題


『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)より


 S. H. Wainwright という学者が、和歌や俳句の美を紹介した論文の中に引用されている俳句の英訳を、俳句の事を何も知らない日本の英学者のつもりになって、もう一遍日本語にしかもなるべく英語に忠実に翻訳して見ると、こんな事になる。

 「如何に早く動くよ、六月の雨は、寄せ集められて、最上川に」

 「大波は巻きつつ寄せる、そうして銀河は、佐渡島へ横切って延び広がる」

 此頃、拠ない必要から、リグ・ヴェーダ※の中の一章句と称するものの独逸訳を、丁度こんな調子で邦語に翻訳しなければならなかった。
 そうして実は甚だ心元ない思いをしていた。
 今、右の俳句の英訳の再翻訳という一つの「実験」をやった結果を見て、滑稽を感じると同時に、いくらか肩の軽くなるのを覚えた。(昭和三年三月、渋柿)


リグ・ヴェーダ=古代インドの聖典であるヴェーダの一つ。リグ・ヴェーダは 財産・戦勝・長寿・幸運を乞い神々の恩恵と加護を祈った讃歌の集録。(興味のある方は岩波文庫で)

2020年6月1日月曜日

次の本が出来るまで その164

断片


 自分の持っている定規に合うように人を強いる事を親切と心得ている人がある。こういう人の定規は不思議に曲がっているのが多い。
 同情のない親切と同情のある不親切──自分は糊の硬くない浴衣の方がいい。

                  ⁂

 ある問題に対して「ドーデモイイ」と云う解決法のある事に気のつかぬ人がある。何事でも唯一つしか正しい道がないと思っているからである。
 「ドーデモイイ」ということは必ずしも無責任という事を意味するのではない。

                  ⁂

 常識という言葉の内容はこれを用いる人々によって悉くちがっている。換言すれば、人の事を「常識がある」とか「ない」とかいうのは自分と似ているかいないかという意味に了解すればいい。

                  ⁂

 AがBを評して「彼は気取っている」という場合には次のように解釈すればいい。即ち「彼は自分とちがった気取り方をしている」と。本当に気取らない人は人の気取るという事を感じない。

                  ⁂

 物事に対して「ツマラナイ」と云うのは「自分はその物事の中にツマルある物を発見する能力を持たない」と自白するに過ぎない。

                  ⁂

 人格の高いと思うような人の口から「人格」という言葉を聞く事は甚だ稀である。

                  ⁂

「邪道」という言葉は頭脳の古い人が新しい人の捉えた真理に名づけるものである。


※なるほどとうなずけるものばかり。
 出典は『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)居る=いる、或る=ある、此の=この、に変えました。

2020年5月16日土曜日

芭蕉翁『幻住庵記』評釈

『幻住庵記』評釈


『幻住庵記』評釈です。芭蕉の文章だけだと短くて本にならないので、参考書を元に自分の程度にあわせて解説をいれました。しかし誰が読んでも面白いというものではありません。少数の読書家が本棚の奥の埃だらけの文庫本を取り出すきっかけになればと思っています。

二つなき翁なりけり此の道におきなといへば此の翁にて   本居宣長


元禄三年四月、門人曲水の叔父、幻住老人が以前住んでいた石山の奥の小庵を訪ねた芭蕉は、山中の風物がたいそう気に入り、ここを「幻住庵」と名づけ仮の住居としました。移り住むこと半年、悠々自適の心境や日常のありさまをさびた文章にしたためました。数多くある芭蕉の俳文の中で『幻住庵記』は『奥の細道」と並ぶ名文といわれています。


※コロナが落ち着いたら一度訪ねてみたいと思っています。

2020年5月12日火曜日

次の本が出来るまで その163

無題


『寺田寅彦全集』第六巻(昭和二十五年、岩波書店)より短文を掲載します。

 大学の構内を歩いて居た。
 病院の方から、子供をおぶつた男が出て来た。
 近づいたとき見ると、男の顔には、何といふ皮膚病だか、葡萄位の大きさの疣(いぼ)が一面に簇生(ぞくせい)して居て、見るもおぞましく、身の毛がよだつやうな心地がした。
 背中の子供は、やつと三つか四つの可愛い女の児であつたが、世にもうらゝかな顔をして、此の恐ろしい男の背にすがつて居た。
 さうして「お父ちやん」と呼び掛けては、何かしら片言で話して居る。
 その懐かしさうな声を聞いたときに、私は、急に何者かゞ胸の中で溶けて流れるやうな心持がした。(大正十二年三月、渋柿)


※ありますね、こんな事。

2020年4月28日火曜日

次の本が出来るまで その162

ヴァニタス vanitas


絵画に興味のある人ならご存知でしょうが。
ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画で、16世紀から17世紀にかけてフランドルやネーデルラントなどヨーロッパ北部で特に多く描かれました。頭蓋骨(死の確実さを意味する)のほかに、爛熟した果物(加齢や衰退などを意味する)、シャボン玉遊びに使う麦わら・貝殻や泡(人生の簡潔さや死の唐突さを意味する)、煙を吐きだすパイプやランプ(人生の短さを意味する)、クロノメーターや砂時計(人生の短さを意味する)、楽器(人生の刹那的で簡潔なさまを意味する)などがあります。(ウィキペディアの受売りです)


 「ヴァニタス─書物と髑髏のある静物」 エバート・コーリアー


「Vanitas Still Life」ピーテル・クラース


「Vanitas still life」N.L. Peschier


「悔い改めるマグラダのマリア」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
キャンバスに、メアリーがテーブルに座った横顔で示されています。キャンドルはコンポジションの光源ですが、ライトは聖人の顔とテーブルに組み立てられたオブジェクトに黄金色の輝きを放ち、精神的な意味も持ちます。キャンドルライトのシルエットは、本に置かれた頭蓋骨に乗ったメアリーの左手をシルエットにしています。頭蓋骨は鏡に映っています。頭蓋骨と鏡はヴァニタスのエンブレムであり、生命の一時性を意味します。(Google Arts & Culture ちょっと怪しい日本語翻訳の受売りです)

本題と少しはずれますが、ついでにラ・トゥールの作品を。

「ダイヤのエースを持ついかさま師」

「女占い師」
※悪事をたくらむ人の表情と行為を見事に描写していて、はらはらします。
※少し説明不足だったので、頭蓋骨の画像を追加しました。

2020年4月20日月曜日

次の本が出来るまで その161

大塩の乱


唐突ですが大塩平八郎の話です。
天保八年、民衆が飢餓に苦しんでいるのを見かねた大坂町奉行所の元与力大塩平八郎は、門人を集め、米を買い占める鴻池、三井、山城屋など諸豪家の襲撃を計画しました。しかし密告により、蜂起当日に鎮圧されます。大塩は逃亡しますが一ヶ月後発見され、役人に囲まれる中、短刀と火薬で自爆しました。これが「大塩平八郎の乱」です。
この事件で大塩が逃亡中、各所に人相書が貼りだされました。

一、年齢 四十五六歳 (年は45,6歳)
一、顔細長ク色白キ方 (面長で色白)
一、眉毛細ク薄キ方 (眉は細く薄い)
一、眼細ク吊リ候方 (目は細くつり目)
一、額開月代青キ方 (額は広く月代は青い)
一、耳鼻常躰 (耳は普通)
一、背格好常躰中肉 (体格は中肉中背)
一、言語爽カニシテ尖ドキ方 (話し方は爽やかでハキハキしている)
其節之着用、鍬形甲着用、黒キ陣羽織其余着用不分(鍬形の甲に黒の陣羽織を着用)

似顔絵がついていたにしても、これで見つけられるとは思えないが。

2020年4月13日月曜日

次の本が出来るまで その160

クローバー


5歳になる女の子が、草花や石ころを並べてお店やさんごっこに忙しい。
わたしがお客になって近づくと女の子は
「クローバー見せて、と言って」と言った。
わたしはちょっといじわるをして
「いいえ、そちらの石を見せてください」と言うと
「違う!! クローバーを見せて、と言って!」
と少しオカンムリである。
しかたなく「じゃ、クローバーを見せてください」
と言うと、彼女は得意そうに笑いながら
「クローバーは売り切れました!」と言う。
わたしは「そこにあるのを売ってください」
と並べたクローバーを指さすと、
彼女はそれを自分のうしろに隠して
「ありません!」と言った。

※ただそれだけの話ですが、なんか面白かったので書き留めておきました。

2020年4月4日土曜日

小川未明『ペストの出た夜』

『ペストの出た夜』小川未明


コロナウイルスで世界中が混乱しています。これほどではありませんが明治33、4年頃に東京や横浜でも「ペスト」が発生しました。さいわい大きな流行にはならなかったようですが、社会に大きな影響を与えました。

物語の主人公清吉は神経質で、近所にペストが発生したことを知り不安でたまりません。夜中に薬屋へ鼠取りの薬を買いに走ったり、引っ越すために一日中家を探したり、一人慌てます。のんびり構える妻や近所の人の行動がますます清吉の神経を逆なでします。


※もうこんな話はウンザリかも知れませんね。
 扉画はヒエロニムス・ボスの三連祭壇画「快楽の園」右翼(地獄)のスケッチ。

2020年3月31日火曜日

次の本が出来るまで その159

芥川龍之介の即興歌


芥川が「支那遊記」を大阪毎日に連載していた頃、原稿の催促に返事としてよこした手紙に書かれていた即興歌です。新聞連載の苦痛を訴えています。

その一

怠けつつありと思ふな文債にこもれる我は安けからなく

あからひく昼もこもりて文書けばさ庭の桜ふふみそめけり

去年の春見し長江の旅日記けふ書きしかばやがて送らむ

旅日記とくかけと云ふ君の文見のつらければ二日見ずけり

神経衰弱癒えずぬば玉の夢のみ見つつ安いせずわれは

二伸
マガジン・セクシヨンへはその中に何か書きます。何しろ方々の催促にやり切れぬ故、けふ鵠沼に踏晦し、二三日静養した上、紀行及びマガジン・セクシヨンへ取りかかります。
                            芥川龍之介


その二

原稿を書かねばならぬ苦しさに痩すらむ我をあはれと思へ

雪の上にふり来る雨か原稿を書きつつ聞けば苦しかりかり

さ庭べの草をともしみ椽(えん)にあれば原稿を書く心起らず

作者、我の泣く泣く書ける旅行記も読者、君にはおかしかるらむ

赤玉のみすまるの玉の美(は)し乙女愛で読むべくは勇みて書かなむ

支那紀行書きつつをれば小説がせんすべしらに書きたくなるも

小説を書きたき心保ちつつ唐土日記をものする我は

原稿を書かねばならぬ苦しさに入日見る心君知らざらむ

                           澄江堂主人

二伸
一体ボクの遊記をそんなにつづけてもいいのですか。読者からあんな物は早くよせと言ひはしませんか。(云へばすぐによせるのですが)評判よろしければその評判をつつかひ棒に書きます。なる可く評判をおきかせ下さい。小説家とジヤナリストとの兼業は大役です。


※ 薄田泣菫『樹下石上』より

2020年3月25日水曜日

次の本が出来るまで その158

芭蕉翁「二虫」の字に賛す


ある好事家に秘蔵の一幅があった。「二虫」の二字を横に書きつらねたものだが、好事家もさすがにその意味を解し兼ね、面白き賛でもあればと、当時名のある人々に接する毎に賛を求めたが、みなその意味がわからず筆を下すものもなかった。そこへ或る日、芭蕉翁が此の家に宿泊することになり、主人はさっそく例の幅を取り出し、ぜひ賛を書いていただきたしと懇願すれば、翁とりあへず

風と月裸になりて相撲とる

と書いたという。


※風の𠘨と月の外側を取ると虫と二が残る。それが上着を脱いで相撲を取るようだとの解釈らしい。しかし芭蕉がこんな狂歌師のような賛を書くとは思えない。

2020年3月20日金曜日

次の本が出来るまで その157

香川景樹翁


《次の本が出来るまで その150》の続きです。

香川景樹翁が頼山陽(らいざんよう)と相携えて京都の稲荷山に詣でし時、
頼門の書生歌よむ心得を問ひしに
景樹翁「帰るにはまだ日も高し稲荷山 伏見の梅の盛り見てこん」と詠みて、
歌は前に趣向を求むるに及ばず只ありのままに詠むものなりと語りたり。

          *    *    *

或る俳諧師「米洗う前に蛍の二ツ三ツ」という句を得たり。
これは上々の出来と喜び、景樹翁の許に行きこれを示されけるに、
景樹翁これを見て「この俳諧いかにも面白し。されどその蛍は死したるものと思はるる。
これ如何に」と問う。
俳諧師大いに怒り其の故を詰(なじ)るに、
景樹翁「さればなり。もしその蛍の飛行するものならんには、
前に」を「前を」と云はざるべからず」と。
これを聞きたる俳諧師大いに悟るところありしといふ。

※お後がよろしいようで。

2020年3月15日日曜日

次の本が出来るまで その156

盲心経 めくらしんぎょう


江戸時代のおわり頃、文字が読めない人に般若心経を図で読ませる「盲心経(めくらしんぎょう)」というものがあったと橘南谿(たちばななんけい)が『東遊記 後編』に書いています。場所は盛岡の城下から七八十里北西の田山村というきわめて辺鄙な所で使われていたようで、下の図はそれを写したものです。解説もありますが、よくわかりません。一番下に般若心経の原文を掲載します。


摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。即説呪日。羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。

※誰かが考えたのでしょうね。画ならわかるだろうと。

2020年3月9日月曜日

次の本が出来るまで その155

乞食の歌


『宮川舎漫筆』の中にこんな文章があった。

嘉永五年八月の事なりとかや。下谷山下にて六という乞食死せしところ、
笠の中に詩歌をしるしありし。ある人より写し越しぬ。

一鉢千家飯  一鉢(ひとはち)は千家の飯(めし)。
孤身幾回秋  孤身(こしん)幾回(いくかい)の秋(あき)ぞ。 
夕暖草莚裡  夕(ゆうべ)は暖かなり、草莚(そうえん)の裡(うち)。
夏涼橋下流  夏はすずし 橋下(きょうか)の流(ながれ)
不空遠不立  空(むな)しからざれば 遠く立たず。 
無楽又無愁  楽しみなければ また愁いなし。
人若問此六  人、もしこの六(りく)を問わば、
明月水中浮  明月、水中に浮かぶ

又、

月さへも高きに住めば障(さわ)りあり おきふしやすき草の小莚(さむしろ)
の歌あり。

※諦めというか、悟りというか…。冥福を祈る。

2020年3月2日月曜日

泉鏡花『迷子』

『迷子』泉鏡花


『迷子』はタイトル通り、町のちょっとした事件がテーマです。

お考が歩いていると道で人だかりがしている。のぞいてみると女の子が迷子になったらしい。大人たちがあれこれ訊くが泣くばかりでいっこうに要領を得ない。お考はその様子を見て可哀想でたまらなくなり、ある決心をする……。

時代の雰囲気を感じさせる描写と、人の温かさを感じる短編です。

 
 
 

※地味な本になりました。

2020年2月18日火曜日

次の本が出来るまで その154

名付け親としての森鴎外


鴎外は自分の子供たちに外国人でもわかるような名前をつけている。
 長男 於菟(おと・Otto
 長女 茉莉(まり・Marie
 次男 不律(ふりつ・Fritz
 次女 杏奴(あんぬ・Anne
 三男  類(るい・Rouis
 森於菟の長男 真章(まくす・Max
     次男  富(とむ・Tom

また友人に子供が生まれると名前を頼まれることがしばしばあったようだ。
 與謝野寛氏の娘二人
 與謝野七瀬(ななせ) 
 與謝野八峰(やつを) 
 小山内薫氏の息子
 平野常兒(じょうじ・George)
 山田珠樹氏の息子
 山田 爵(じゃく・Jack
 実弟森順三郎の息子
 森  兌(とおる)

妹の喜美子(小金井良精氏妻)の次女の名前を頼まれた時、鴎外は摩尼(まに)と名付けた。しかしこの名前にはまわりが反対し、けっきょく良精の精を取って小金井精子という名になったという。

※なにかこだわりがあったのでしょうね。