2018年11月9日金曜日
2018年10月29日月曜日
次の本が出来るまで その110
老人は
七十歳になったS・モームは言う。
老人は自分を迷惑なものにしないように努めるべきだ。しいて若い者の仲間に加わろうとするのは軽率である。
若い者はそのために緊張させられて決して打ちとけぬからで、自分が立ち去ればみんながほっとするのを察しられないようでは、彼は鈍感だと云わざるを得ない。(中略)
老人は同じ老人仲間の交際につき合うよう忠告される。もしそこから何か楽しみが得られるなら幸いである。片足を墓場に突っ込んだ者たちばかりの集まりへ招かれるのは定めし、憂鬱なことにちがいない。愚人は年寄りになったからとてよくなるものではなく、愚かな老人は愚かな青年より遥かに退屈なものである。
せめ寄る年波に負けまいとして胸くそわるい児戯のふるまいをする連中と、一方、自分たちが受け入れられぬ世の中になったことに業を煮やしてしばしば席をけってゆく頑固な連中と、どっちが耐えがたいか私はわからない。
ともかくそんな風で、若い者たちには望まれぬし、同年輩の仲間はこちらで飽きあきだとすると、老人は見渡すところまことに寂寥のようである。
そうなると彼に残されるのは自分以外になく、そこで私は、自分が誰よりも辛抱づよくこの私に満足して来たのを此の上なく有りがたいことと考えるのである。
私はもともと仲間の大きな集まりに出るのを好まなかったもので、今、私の上に孤独が深まるにつれて私は一層満足を感じている。
私は時折、自分の生涯をもう一度繰り返したいかと尋ねられることがある。大体において私の人生はかなりよいもので、おそらく一般の人々よりもよかったろうが、特にもう一度くり返したい気はしない。それはきっと、前に読んだ探偵小説をもう一度読むように気のぬけたものだろう。
もう十分である。私はあっさりと苦痛なく死にたいと思うだけで、最後の息と共に私の魂も、その切望や弱さもろとも、無に帰すことを確信して満足である。
※ふむふむ。
私はもともと仲間の大きな集まりに出るのを好まなかったもので、今、私の上に孤独が深まるにつれて私は一層満足を感じている。
私は時折、自分の生涯をもう一度繰り返したいかと尋ねられることがある。大体において私の人生はかなりよいもので、おそらく一般の人々よりもよかったろうが、特にもう一度くり返したい気はしない。それはきっと、前に読んだ探偵小説をもう一度読むように気のぬけたものだろう。
もう十分である。私はあっさりと苦痛なく死にたいと思うだけで、最後の息と共に私の魂も、その切望や弱さもろとも、無に帰すことを確信して満足である。
※ふむふむ。
2018年10月23日火曜日
2018年10月15日月曜日
2018年10月4日木曜日
フランツ・カフカ『観察』
『観察』カフカ
カフカの作品集『観察』より「独身男の不幸」「走り抜けて行く人々」「拒絶」「通りに向かう窓」の4篇を選びました。どれも妄想とも現実ともつかない状況や会話が続くだけで、筋らしい筋もありません。ただ日常生活にひそむ人間の孤独感や不安感だけが伝わってきます。
※印刷が下手です。
2018年9月24日月曜日
次の本が出来るまで その107
モーム語録 女について
女がどれほど不身持(ふみもち)だろうとそれは勝手だが、もし美人でなかったら、大した効果はないだろう。
⁂
男の理想の女は、相変わらずあのお伽話の、七枚のふとんを重ねてもなおその一番下に固い豆があるので寝られなかったという王女様である。
⁂
女の性格の中で、些末なものへの熱情と記憶の確かさほどすぐれたものはない。女は、数年前に友人らと語り合った、ほんのつまらぬ世間話の中の細かい事を、正確に話そうとすれば話せる。しかも更に悪いのは、実際にそれを話すことだ。
※いや、わたしの意見でなく、モームさんがそう言ってたという話で。
2018年9月17日月曜日
岸田國士『女七歳』
『女七歳』岸田國士
劇作家であり小説家でもある岸田國士は、フランスで近代演劇を研究して大正十二年帰国、翌年、戯曲「古い玩具」や「チロルの秋」を発表して、日本の新劇界に新風を巻き起こしました。
「女七歳」は散文集『言葉言葉言葉』(大正十五年・改造社発行)より選びました。が、なぜこの作品を選択したのか、はっきりした理由は思い出せません。帯にも書いていますが、少女の悲しみが心に引っかかったのだろうと思います。
※サイズを小さくしました。性格上、同じものを作るのは厭になるので、なるべく変えてみようとあれこれ試すのですが、けっきょく徒労に終わります。しかし無駄な時間をかけ悪あがきしたことで少し気持が満たされます。
2018年9月4日火曜日
次の本が出来るまで その106
モンテーニュの言葉
「エセー」から、気になった言葉をいくつかを紹介します。
過ぎ去った不幸の思い出は甘い。
♦
私は思い出したくないことを思い出す。
私は忘れたいことを忘れられない。
♦
軽い心配は多弁であるが、重い心配は無言である。
♦
葬式の心づかい、墓地の状態、儀式の立派さは、
生者の慰めにこそなれ、死者の助けとはならない。
♦
未来を知ったとて何の益もない。
いたずらに心を苦しめるのは不幸なことである。
♦
死そのものは、死の期待ほど苦痛ではない。
♦
哲学するとは死を学ぶことである。
♦
避けなければならないその時々の危険を予見することは
誰にもできない。
♦
いつか起こりうることは、今日にでも、起こりうる。
♦
何びとも、その隣人より脆いわけではないし、
何びとも、明日についていっそう確かなわけではない。
♦
運命はわれわれよりもすぐれた意図をもっている。
♦
各人の性格は、それぞれ自己の運命をつくる。
2018年8月27日月曜日
2018年8月20日月曜日
次の本が出来るまで その104
麻布で気がしれぬ
江戸の諺です。江戸の麻布に六本木と云う地名がありますが、どこに六本の木があってこのような名がついたのか誰も知らないことから、「木の知れない」と「気の知れない」をかけて、心の知れない人のことを麻布と云うようになりました。
別の説もあります。
桜陰主人が云うには、麻布で気がしれぬという諺は「気」ではなく「黄」である。その理由は近所に赤坂や青山、白銀台、目黒村があるが五色のうち黄だけがない。故に麻布で黄が知れぬというようになったのじゃ、と。
俳諧の発句に
夜の菊 花は麻布で 黄がしれぬ
※やつァ麻布で気がしれねぇやまッたく、と今も霞ヶ関では頻繁に使われています。
2018年8月15日水曜日
2018年8月8日水曜日
次の本が出来るまで その102
立秋
今年ほど秋が待ち遠しい年はない。毎日判で押したような天気予報を聞くのもいいかげんウンザリだ。しかしもう暦の上では立秋である。いくら高気圧が頑張ろうと頑張るまいと、その場所を追い立てられる日は遠くない。例年ならば、肩を落として去っていく夏のやつれた後ろ姿を思うと一抹の寂しさを感じるが、ことしの夏にはそんな同情は微塵もない。
立秋の三候を掲載する。刻者は明治時代の著名人や芸術家である。
※七十二候に刻者の経歴を加えました。気が向いた時に掲載します。
2018年8月7日火曜日
2018年8月1日水曜日
北条民雄『続癩院記録』
『続癩院記録』
北条民雄略歴
大正3年9月22日朝鮮京城に生まれた北条民雄は、昭和9年19歳のときにハンセン病を発病し東京東村山の全生病院に入院する。闘病生活のなかで文学に情熱を傾け、入院当初の異様な体験を描いた「いのちの初夜」が川端康成の推挙で「文学界」に発表され注目をあびる。その後も小説や随筆を発表、絶えず死と向き合いながら、ハンセン病患者としての宿命を直視し続けたが、37年腸結核により24歳で急逝した。(コトバンク)社会から隔離された環境の下、必死で生きようとする患者たちの様子を、同じ病に苦しむ作家が描き出した『続癩院記録』。外部の者には想像できない日常が語られます。
2018年7月30日月曜日
次の本が出来るまで その100
年号
時間大観の歌(一)
時永劫に比べては 千歳も須臾に異ならず 見よ百年の後の世を 汝もあらず吾もなし 共に生れて共に逝く 生死の旅の友なれば 世の人々のなつかしや
時間大観の歌(二)
かの光陰は矢の如く 百年後は明日ぞかし ああいかにせんいとほしや あのなつかしき人々も 一人残らず悉く 明日は墓場に行くべきを 吾も墓場に急がでや 百年後を偲びつつ
2018年7月16日月曜日
モンテーニュ『随想録』
モンテーニュ『随想録』 第1巻第14章より抜粋
モンテーニュは16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者です。彼が生涯加筆し続けた『随想録(原題:Essais)』は自分の経験や古典の引用を元に、人間性の本質を明らかにしようとしたものです。
今回抜粋した部分は難しい哲学の話ではありません。モンテーニュ自身が経験したお金の話で、お金が無い時と有る時の心情を正直に告白しています。五百年前のモラリストが語るお金とのつきあい方、なるほどと納得いくところも多く、私も含めて特に近頃の年寄りに読ませたい一文です。
※帯は製作中。『随想録』には印象に残る言葉も多く名言集が一冊作れそうです。
2018年7月6日金曜日
2018年6月26日火曜日
次の本が出来るまで その98
北斎の手簡
葛飾北斎が画に健にして、其のかりそめの手簡(てがみ)などにも、文字を以て意を達すべきを却って画を挿みて事を済ませたる例多きは人の知るところなるが、次に掲ぐるは、文字は其の紙端に「物いはず」と記したる四字のほかには一字も無き絵手紙なり。(『露伴随筆』第二冊より)
※上は元の手簡、下は露伴が解読したもの。
※洒落っ気のある人だということは分かった。
2018年6月20日水曜日
次の本が出来るまで その97
東坡六無
「東坡六無」と云うのは、蘇東坡の嶺南での生活をいったものである。
病無医、冬無炭、食無魚、外の三つは今は忘れてしまった。
まあ、あとで思い出すこともあるだろう。(『日本随筆大系』より)
雨無傘、嚢無銭、甕無酒、空無月、風無音、心無迷、我無妻。
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